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原発事故に携わる人はなぜ福島をフクシマと言い換える
原発事故に携わる人はなぜ福島をフクシマと言い換えるのだろうか? フクシマだと福島県以外の領域もカバーできるためなのだろうか? それともフクシマならば日本語圏以外にも広められる為なのだろうか? 福島、フクシマ、それぞれの語感(印象、ニュアンス、イメージ)の違いとは? 社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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- chevoyer
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そんな人はいません。
- fujic-1990
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広島も「ヒロシマ」、長崎を「ナガサキ」と書く例は時々目にしますよ。 そのときも考えたのですがネ、 これは、広島や長崎を、今の広島や長崎とは切り離して客観視し、原爆投下と結びつけるというか、広島・長崎の日常生活という情緒等の諸々から「原爆の落ちた場所」という意味(冷厳な事実)だけを切り離して、事実ダケを読者に提示したい場合に行われる表記である・・・ と思われます。 誤解を恐れず言い換えると、広島・長崎というと、そこにはさまざまな日常生活が感じられるのですが、ヒロシマ・ナガサキと表記すると、そういうものが捨象されて感じられなくなり、単なる「場所」にすぎなくなります。 カタカナで書くと、我々が例えば病気発生地として、アフリカの1寒村(現地人だって知らない)の名前が書かれているのを見たとき、と同じ反応を期待できるようになるのです。もしかしたら「行ったことがある!」と叫んで、その村の住人の一人一人の顔や生活を思い出す人もいるかもしれませんが、そういうことはめったにないのです。 (病気の場合なら)どう対処すればよいかを、冷静に、客観的に、考えることができるようになります。 そうなることを期待して、あるいは「自分はそういう客観的な観点に立って考えていますよ」という意思表明のために、「ヒロシマ・ナガサキ」「フクシマ」とカタカナで書くのだと思われます。