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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:航空母艦の艦橋はなぜ右側ばかりなのですか?)

航空母艦の艦橋はなぜ右側ばかりなのか?

このQ&Aのポイント
  • 航空母艦の艦橋はなぜ右側にあるのか、その理由を解説します。
  • 航空母艦のほとんどが右側に艦橋を配置している理由について、詳しく説明します。
  • 航空母艦の右側にある艦橋の理由と、左側にある例外的な艦橋について、解説します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • GENESIS
  • ベストアンサー率42% (1209/2823)
回答No.1

その答えが以下のサイトにあります。 空母の艦橋はなぜ右舷だったのか? - 電脳 大本営 http://daihonnei.wpblog.jp/why-was-the-aircraft-carrier-bridge-a-starboard 煙突の位置関係等、前置きは長いですが後半以降にその回答が書かれています。 ここも参考になる?。 何故航空母艦の艦橋は右舷にある? https://blog.goo.ne.jp/goozmakoto/e/3d2503ea37c33df59abe5944c3edc3b0 「空母の艦橋はなぜ右舷」で検索したら色々ヒットしました。ご自身でも検索してみてくださいね。

akinokami
質問者

お礼

ありがとうございました。両方とも確認いたしました。 プロペラ機のことについては私もモーターグライダーなどで経験したことありますし、試作戦闘機震電の試験飛行記録を読んだ時の記憶などからすぐに飲み込めましたが、ジェット機についてはちょっと意外な感じがしました。 それにヘリ空母や強襲揚陸艦などなら、使う機体もヘリやV-TOL機なのでまだ左でも良いんじゃないかな、なんて感じますがまあこの辺は永年の慣例みたいなものなんでしょう。 赤城、飛龍が名空母として名高いのも別に左艦橋など関係なく、飛龍についてはその戦歴が他の空母がやられたあとも戦い尽くしたからで、むしろ右艦橋の蒼龍はその後の翔鶴型や雲龍型の原型となり、艦政側の評価は飛龍よりはるかに高かったこともわかりました。 (赤城の高評価の理由は???単に南雲艦隊の旗艦だったからでしょうか?設計上からも欠陥を抱える無理の多い艦だったようですし…) とにかく黎明期の空母についてはたくさんの試行錯誤を繰り返して、今の形に落ち着いたのであり、そこで日本が果たしてきた実績が今の世界の空母の大元になってきたことがよくわかりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

  空母が開発された頃の飛行機はプロペラ機でした プロペラの回転はパイロットから見て右回転します、その反動で機体は左に傾きます 着艦時にはこの傾きから機体は左に行きやすい傾向があり、左に構造物があるとパイロットには大きなストレスとなります。 そんな訳で大きな構造物である艦橋は右に配置されたそうです。 接岸の話 ベネチアのゴンドラでお馴染みの「オール」で漕ぐ昔の船はオールが少し右寄りに付いてました、これは右利きの人が力を入れやすいからです。 そんな事で右側で接岸しようとするとオールの扱いが困難なのです(陸地に折衝する)だから左側で接岸したので船の左側をポートサイドと呼ぶのです この頃の慣習で左接岸が多いのでしょう。 一方で空母は右に艦橋があるため桟橋との距離などが確認しやすい右で接岸するのでしょう  

akinokami
質問者

お礼

お早い回答ありがとうございます。別な方からも同じ様な回答をいただきました。 近代のジェット機についてもエンジン内のファンの回転方向がプロペラ機と同じなので同じ様なことになるのだ、という説明もいただきました。じゃあ、今のV-TOL機やヘリなら左艦橋でも問題ないだろ?って気もしますがきっと、今までのように右側に艦橋がないと、パイロットも“落ち着かない”のかもしれませんね(^-^;) ミッドウェーで最後まで戦ってた飛龍を持って名空母というのは感傷的なところから来てて、むしろ蒼龍の方が後の正規空母の総ての原型になった名空母であったこともわかりました。(赤城は単に真珠湾攻撃以来の旗艦だったからでしょうか?)ありがとうございました。

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