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努力、才能、運、どれが大事かについての考察です
人生に大切なのは、「努力」なのか、「才能」なのか、はたまた「運」なのかが、ネット上で議論されていますが、私は以下のように考えています。 全てが「YES」であると。 つまり、以下のようにです。 〇才能や運がない人は、それらの必要性を論じる。 〇努力でなんとかなる程の才能を持っている人は、努力の必要性を論じる。 〇圧倒的な才能を持って生まれた人は、運を論じる。 皆さまのご意見をお聞かせください。 よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
面白いことを言うね。初めて聞くような意見だ。 では私の声を。 「人生に大切」と聞いている。「成功するのに大切」とは聞いていないのだ。 成功に大切なのはなんといっても才能が一番のベースだろうな。その上に努力があり、さらに運に恵まれれば最高。 では人生に大切なのは、 それは運が一番だと思う。次が才能で、努力は最後かな。 努力というのは無理に通じやすい。 私は人間が無理をすることほどいけないことはないと思っている。
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- potatorooms
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〉性差があるのでしょうか。 スポーツでも性差はありますよね? ただ、子どもの頃は、柔道のヤワラちゃんも卓球の愛ちゃんも年上の男の子を試合で倒していました。 ただ、のびざかりの時期は男の子をはじめとする倒せても、のびた後、トップを争う時期になると、女性のプロスポーツ選手の多くは男性と練習で勝てなくなっていきます。 ある程度成長し、鍛えた後の筋肉や骨格到達点が男女で違うからと言う人もいます。 将棋の話ですが、脳の構造の違いだと言う人もいれば、思春期での集中力の違いという人もいます。 プロ棋士になるには奨励会の三段リーグというリーグ戦をトップか準トップで勝ち抜ければよいのですが、男性ばかりの環境に女性が1~3人という状態での戦いになります。 将棋しかしてこなかった子たちがこういう環境で争うと女性は勝ち抜けない、考えてる人もいます。 いずれも、才能も努力も運も持っている人たちの間の競争です。このどれかひとつでも欠けたら、三段リーグに届きませんし、子どもを奨励会に入れるより、灘や開成に合格させる方がはるかに簡単です。 そんな人たちのあいだでの「性差」の話です。
- alterd
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>「やれることをやれば良いじゃない」 教えていただきたいのですが、上記は、どのように反論として機能するのでしょうか? 私は「才能」や「運」を強調する人は、それがない自分が努力しないことの言い訳に使っているように感じています。 ですが、全く無能な人もそうそう居ない訳ですから、やれる範囲で努力すれば それなりの結果も出るでしょうし、例えささやかな結果だったとしても、それは素晴らしいことだと思います。 ただ、この質問に回答してから思いましたが 「才能」や「運」を強調する人は、ひょっとすると、「1番」でないと気が済まない人かもしれませんね。 ですから、自分が到底1番に成れそうにない時、挫折に対しての慰めとして 「才能」と「運」を口にするのかもしれません。
お礼
返信ありがとうございます。 実はこの質問の本質は、 「自分が既に持っているものは、知覚できない」 という点にあります。 (この点を、質問文に書き忘れたことを反省しています) つまり、各々のレベル(才能や努力、環境の度合い)において、人々は十人十色の意見をもっており、それぞれが真実である・・・と考えたのです。 「自分が既に持っているものは、知覚できない」 これは極めて重要です。 なぜなら、「謙虚さ」の鍵になるからです。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8906)
平たく言うと・・運>努力>才能ってことですかね。 才能があっても運がないと開花できないし、努力しなければ才能もムダになるってことで。 才能ありきの話になってますけど・・ 才能がない人の頼みの綱は運でしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
コンシェルジェというマンガに、周りの成功者の才能がダイヤにたとえる中、石ころに例えられる程度の才能の少女が、親にほめられた記憶を支えに練習を続け、認められる演奏家になる話があります。 仕事にする程度の話なら、才能は成功とは関係ないと思っています。 ただ、ほとんどの女流棋士はプロだけど、奨励会のプロ前の女性奨励会員に手も足も出ず、タイトルを独占され、男性の小学生の奨励会員に勝つこともままなりません。 相撲や野球と違って完全に平等な制度に見えるんですが、女性プロ棋士は生まれたことがありません。 才能が努力ではどうしようもない例があるとしたら将棋の世界です。
お礼
回答ありがとうございます。 将棋の世界を教えていただき、勉強になりました。 >男性の小学生の奨励会員に勝つこともままなりません 上手く言葉で言い表せれないのですが、恐ろしいと思いました。 性差があるのでしょうか。
- keizo99
- ベストアンサー率14% (265/1820)
やはり努力でしよう、 前向きにトライ、日々の積み重ねが、才能を呼びお越し、それに従って運もついてくる、確かに宝くじがあたり、一発運があつても、それを使い切り運で下がるのみかも、また、才能はあつても、それを開花するために、努力しなければ生かせません、確かに3点セツトかもしれませんが、それなりの工夫と前向きに取り込む努力がしつようでわないかと考えます、
お礼
回答ありがとうございます。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3623)
必要だとされてるからこそ、候補にあがっているわけで。 議論されている内容は、その三択の中でどれが一番重要かということじゃないのかなと思うんですが――。 その問いが ●どれか、必ず優劣をつけろ。 でないのなら、どれも大事でいいと思いますよ。 三択の中で、優劣をつけろというのであれば。 運は、待ってるだけでは巡ってこないし。 才能は、磨かねば意味がない。 要するに「行動力・実行力」が、一番大事じゃないでしょうか。 それを、自ら能動的に何かを成すという意味でとらえるならば、努力が一番でしょうね。 あの時のあの場に行かなければ今の自分はなかったという「運」を引き寄せるかどうかも、行動次第ですし。 特定の才能がなければ付けない職業があったとしても、潜在的な能力があるだけで仕事に就けるわけじゃありませんから。 努力>才能>運 かなと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- johnyangel
- ベストアンサー率23% (142/594)
こんにちは! どれも掛け算だとおもうのですが、 運、努力、才能、環境、、、 しかし、どれかひとつが致命的に欠落していると、人生は急速にハードモードになるという気がします。 ぎゃくに、全てがそこそこ揃っていたらわりと、枠に収まった人生が歩める感じはしますね。
お礼
回答ありがとうございます。 掛け算・・・上手い表現です。 まったくの同感です。
- OnePunchMan
- ベストアンサー率23% (919/3935)
人生に大切なのは、努力、才能、運のバランスだと思います。 バランスが保たれていれば、順風満帆な人生が遅れるかも知れませんが、バランスが崩れてしまえば、波乱万丈の人生になるでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 確かにバランスは大切です。 その点にかんして、忘れていました。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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Q、人生に大切なのは、努力、才能、運のどれ? A、運ですね。 ただし、 >運とは才能を開花させる偶発的な出来事。 >そもそも才能がなけりゃ偶発的な出来事も目の前を通り過ぎるだけ。 >才能があっても努力の蓄積なしには偶発的な出来事を幸運には変えられない。 ことは当たり前のこと。以上のように、論理的には《努力一番》だが・・・。現実問題としては、我が人生では《運が一番》でしたね。 >時代の追風を我が帆に受け続けたからこそ今がある。 >時代の逆風を我が帆に受け続けたからこそ今がある。 >如何に、時代の追風を己の帆に受け続けるかが勝負。 と、思っていますね。
お礼
回答ありがとうございます。 時代の風を帆に受ける・・・良い言葉です。 なるほどと思いました。
- okvaio
- ベストアンサー率26% (1983/7619)
人生について、普通に考えれば、才能→努力→運で、 才能:7割程度、努力:2割程度、運:1割程度でしょうね。 しかし、運だけで評価されている人もいます。 良く会社にいるゴマすり人間ですね。 結局、上に行けば行くほど、ぼろが出て、限界が来ますが・・・ 才能も、その人の人生に役に立つものであれば良いのですが、 まったく、才能に関係なく仕事をしている人もいます。 結果、一番、ウエイトが高いのは「努力」でしょうか。 まあ、努力できる才能を持っていると言うかもしれませんが・・・ 飛び抜けた才能のある人は別にして、ある程度の才能が自分の人生に 役に立つか、立たせるかは、努力次第かもしれません。 従って、努力→才能→運になり、運は、努力の大きさで、 好転する運が開ける確率が高くなるのでは、と思います。
お礼
回答ありがとうございます。 ゴマすり人間は、上にいくほどボロが出る・・・ 覚えておきます。
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お礼
回答ありがとうございます。 j3100-pipsさんの、ご回答には、全面的に同意です。 成功に必要なベースが、才能であることも、無理をすることほどいけないことはない、という見識にも、全くの同感です。 「無理をすることほどいけないことはない」とは、 ・自然体が、もっともベストを尽くせる状態である。 ・無理をすると寿命を縮める。 ということで、よろしいでしょうか?