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折り紙の鶴が折れない子は増えていますか
小学生で鶴を折れない子がたくさんいますが、昔に比べて数が増えているでしょうか。特に女の子で目立つように思います。
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折り紙をおる機会が昔に比べたらかなり減っていると思います。 幼稚園や保育園でやらなかった。 幼稚園や保育園でやったけど一度だけ、家ではやる機会がなかったなど普通に考えられますね。
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- zabusakura
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そうですね。折り紙をする機会が、なかったりするので。 幼稚園とか保育園で、しないとすることがなかったりします。 娘は20代ですが、その頃すでに、小学校に入って初めて鋏を使うという 話をされていました。 折り紙や鋏は幼稚園、保育園で使うのが普通だと思ってましたが 算数や字を覚えることを中心にしているところが、わりとあるという 話を幼稚園の先生から伺いました。 あとは小学校で、修学旅行が広島だと原爆ドームとかに行くので 折鶴を持って行くので、その時に初めて折る子も多いようです。
お礼
たんに折る機会があったかなかったかということなのでしょうね。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
今からすればだいぶ昔の話ですが、中学の受験で筆者と作品名を100ぐらい覚えないといけない時に、親がそれを横目でみながら、私の読んだことがある本をたずねました。そして、漱石や太宰を読んだことが無いのか?と怒りを含む言葉が返ってきました。彼からすれば異常なことだったのかもしれませんが、受験戦争まっただなかの自分がそんな文学作品を読んでいる暇は無いと思った物です。 一方渡米中に子供が生まれアメリカの家で幼い子供に、手書きで絵を描いてやり、折り紙を作っては見せてやっている自分がいました。当然米国から帰ってきてしまえば子供はずっとスマホをみて遊んでいます。 読書にしても、折り紙にしても、日本にとって大事なものであるという思いはありますが、一方でそのとき、その当時は、他に手立てが無く、純粋に娯楽だったのだろうなと思うこともあります。 人はやはりどこか楽しみがなければ、動きませんよね。 高尚な表現を学ぶためだけの文学作品の読書は苦痛を伴いますし、折り方を覚えなくてはならないと思えば、折り紙でさえ教育となり苦痛になります。 最初はみんな手先は不器用で折り方を知らなければうまく折れない。 でも楽しいから何度もトライして間違っては正しい折り方を覚える。 今はその時間すらメディアにとられてしまっていますが、ある意味それが「進化」なのかもしれません。 受け入れるべきことはどうかは議論の余地はあると思いますが、このような淘汰は僅か20年という月日の間にでも確実に起きていることがらなのだと思います。
お礼
スマホでも繰り返さなければ操作は習熟できませんね。しかしなぜかスマホの習熟はほかのことには役にたたないようにも思えます。
- Yumikoit
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数が増えている、増えていないは判りませんが、折り方を知る機会が多いのは、今も昔も女の子の方が多いように思います。しかし、折りヅルの折り方を知るチャンスが今までなかったにもかかわらず突然「鶴折って♪」と言われて当惑する機会に見舞われるのも、女子の方が男子よりもずっと多いように思われます。 そもそも、男子はそういうことを要求される機会がなかなかありませんから。
お礼
せっかくですから鶴くらい誰でも折れるほうがよいのではと思いますが、他にも大切なものがたくさんありますね。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
具体的には数字を知りません。 しかし、問題視する必要はなく、教えれば誰でもすぐできるようになります。 まったく文化そのものを知らない外国人でもまあ10分もあれば覚えます。 仮にできる子の数が減っていると嘆くのであれば、嘆いた当人が文化伝承を怠っているとしかいいようがありません。
お礼
なるほどと思いました。
個人的なはなし。 半世紀もむかしから,ぼくは折り紙をほとんどしたことがありません。折れるのは飛行機だけです(手先そのものはブラック・ジャックなみに器用です)。折り方を,親族からも,学校でも習ったことはありません。12色くらいのセットになった正方形の色紙(いろがみ)は,図工で「切り絵・ちぎり絵」をつくるために買いました。 アニメ『夏目友人帳』では,夏目が鶴の折り方を知らず,本屋で調べる場面があります。来合わせた友人が,「鶴の折り方なんかだれでも知っている。俺に聞けばいいじゃないか」と夏目をなじるのですが,ぼくは「えっ,そうなの?」と驚きましたね。その友人も,じつは途中で折り方がわからなくなり,兄に教えてもらうという落ちもついていました。夏目は(妖怪が見える能力のせいで)小さいころから友人がなく,孤児として親戚の家をたらい回しにされてきたという生い立ちです。作者(緑川ゆき)は,そういう境遇だから知らないといいたいように受け取れましたが,ぼくは夏目の同類なのかい? 何十年も生きていれば,だれでも他人が折っているところを見たことくらいはあります。作品を分解すれば,構造が推定できないわけでもない。しかし,外国で origami が日本文化として紹介されるほどには,日本人は知らないのではないか? 活け花についても,たいていの人はそうでしょ?
お礼
どこか大変頼もしいお方とお見受けいたしました。自分の身近にあるものは大したことはないというような感じでいるうちに消失した後どうにもならないというようなことがほかにもあるように思います。古ければよいということはないにしても、いったん失われてしまうと復活が難しいということは大いにありますね。あまり有名な話ではありませんが、解体新書の主人公の一人である前野良沢は、だれも吹かなくなりそうだった笛の一種をわざわざ医業の傍ら習得したそうです。それがどうしたという感もありますが・・・。
- oteramairisuki
- ベストアンサー率34% (511/1475)
まず、親の世代(30~40歳)がジジババ世代(50~70)と比べても鶴を折れない人が多いと思います。折り紙は親が教えることが多いと思いますが。 私は(アラカン)、新聞の折込チラシで「かぶと」「紙鉄砲」などは折ってましたね。いまでも「紙風船」「二艘舟」「だまし舟」「やっこさん&はかま」「手裏剣」などは折れますよ。 で、数で言えば親世代よりも人口が減っているのでパーセンテージ的には増えているかもしれませんが、総数では増えていないかもですね。
お礼
時代というより人によるのかもしれませんね。
- okwavey2
- ベストアンサー率15% (251/1593)
なぜその疑問を持ったのでしょうか。 私は一般会社員ですが、小学生と接するのは可能性も含めて親戚か自分の子供のみです。 標本調査とするにも、調査の範囲が狭すぎて、増えているも減っているも判断出来ないのですが、折り紙をやる機会があれば鶴を作ることもありますし、子供が知らなければ教えます。 幼稚園程度で教えるので、私の親戚の子供の中には小学生では1人も鶴が折れない子供はいない。 と言うのが、一般的な大人の見解だと思うのですが、なぜこの質問となったか疑問なんですよね。 もし、あなたが小学校の教諭をやっていて、質問のように思っているのなら、質問は家庭で折り紙の鶴の折り方を教えているかどうかを聞けばすみます。 質問のままだと、状況がわかりませんし、回答者のほとんどは正解がわからない。 これって何がしたいの?となってしまうんですよね。
お礼
きちんと考えていませんで、どうもすみませんでした。
機会がないからです。教えてやればできるようになります、
お礼
やはりそれだけのことでしょうか。教えない理由は特にないということでしょうね。
「折れない」ではなく、「知らない」子が多いだけです。
お礼
ほかのことと同じく唯それだけのことですね。
お礼
単に時代の流れでよいのでしょうね。