• 締切済み

肝臓癌ってこんなにあっけない?

2週間前最愛の父を肝細胞癌で亡くしました。特に体調不良を訴えることなく黄疸が出て検査入院し、その3日後にはあと余命1ヶ月未満の宣告。セカンドオピニオンに他院に行っても結果は同じで手の施しようのない状態。亡くなる1週間前まではとても元気で食欲もあり、そんな状態の人には見えませんでした。しかしその後あれよあれよと言う間もなく悪化し、最期3日はまぎれもない癌患者でした。でも、最期2日は肝性脳症の状態でしたが、亡くなる3時間まえまで尿も出て、腹水、むくみもなく、死を予測することはできませんでした。 結局20日足らずの入院でしたが、肝臓癌とはこんなにあっけないものでしょうか。 私はいまだに納得できません。

みんなの回答

回答No.10

祖母は去年の暮れに余命宣告をされ、明日生きてるかもわからない状態でした。 手の施しようもない状態で、いよいよかと覚悟しましたが、今もまだ生きています。 もともと足が悪く、全介護でおよそ一年…医師からも生きてるのが不思議と言われます。 ただ、あっという間に無くなるのも悲しいし受け止められないかもしれません。 しかし、入退院を繰り返し、何度も覚悟をして、本人も何故死ねないのかと嘆くより、結果的には本人も家族も楽なのではないかと思います。 生きていて欲しいと、思えるうちが…と言う感じです。

回答No.9

心中お察しします。 沈黙の臓器と呼ばれるように、肝臓は病気になってもなかなか症状が現れません。 そのため、末期になるまで気づかないことも少なくありません。

  • peko35
  • ベストアンサー率11% (5/45)
回答No.8

こんにちは。 私の父親も肝臓癌です。 今月の初めに病院に行き、検査してもらった結果、余命3ヶ月と宣告されました。 食欲もあったし、入院していても院内を元気に歩いていて、余命3ヶ月なんて信じられませんでした。 しかし1週間たったら、歩くことは出来ず、食欲もなくなり、腹水がたまってきました。 そして今、宣告されてから3週間が経ちます。 今は腹水のためお腹はパンパンで、話も出来ずに寝込んでいます。 余命3ヶ月と言われましたが、先日担当医から後2週間と宣告されました。たった3週間でこんなに悪化するものなのか私も納得いきません。 しかし、色々な人に聞いたところ肝臓癌は症状が出ないためあっけないものだそうです。 私は何より心残りは、検査だけのつもりで入院した父が、このまま家に帰ることなく病院のベットで息を引き取るのがとてもかわいそうです。 ごめんなさい。回答になりませんでしたね・・・。

回答No.7

>肝炎のキャリアでもなく、血液検査上では肝硬変を疑う数値でもなかった、 と言うのであれば、毎月行っていた血液検査の数値から、肝機能の衰えなどが推察される結果ではなかったのでしょう。一般的な血液検査の範囲で、特別なオーダーをしなくても、肝機能を測る血液検査が行われています。GPT/GOTなどという項目。もちろんコレだけでは完全ではありませんが、ある程度の予測が立てられます。 なのに >唯一、医師から「昔から肝臓は硬かった」との言葉。肝硬変だったのでしょうか?実は。 『肝臓が硬い』というのが、どういうことを意味するのかがわかりかねます。単純に考えれば、肝硬変の傾向があった意味かと思うのですが、肝機能には異常が見られなかった・・・私には、サッパリ意味がわかりません。やはり、細かい言葉を確認するような感じで、どういった状況を『硬い』と言ったのか当の医師に聞いてみないと・・・。特に、黄疸が出た直前の血液検査の結果からなにか推測できることはなかったのか、他にエコーやレントゲンなどの検査をしていれば、そこでなにか兆候が見られなかったか(肝硬変や肝癌があれば発見される可能性があります)などを。 また、率直に、コレだけ急激になくなる要因にはどんなものがあると考えるのか、その医師の結論を聞いてみてもよいかと。 ただ、黄疸が出たときの身体の状態は、2件の病院で同じ結果ということですので、その時点での診断には謝りはなかったのだろうと推察します。納得がいかないのは、これまで検査を受けたりしてきたのに発見されなかったことと、入院してすぐに様態が急変したために入院中の治療について疑問を持っていらっしゃる・・・点ですよね。 劇症肝炎ではなく、肝臓癌(あっというまに昏睡状態になって)でお亡くなりになったのですよね?本題とは多少話が逸れてしまうので、前回書き込むことを止めたのですが、もし劇症肝炎の状態になったり、急激に肝機能が落ち込んだ場合(癌細胞の数や場所などにもよって)、手を施すまもないケースもあります。また年齢的に、身体全体が老化している状態ですので、どこかに不具合が起こった時に、他の臓器も持ちこたえるよりも引きづられるようにダウンしてしまうケースも。 運動をし、毎月血液検査を続けてこられたというほど、健康に気を配られていたのですね。なかなか出来ないことです。ご立派なお父様だったんですね。 ここまで書き込みをしてもなお、私レベルでは、詳しいことは言い切れません。やはり実情(経過)を知っている医師でないと。その医師から、ごまかされないよう、確実に対話が出来ることをお祈りします。ただ、いくつかの疑問点となる柱が整理されているようなので、それに対してわかりやすい言葉で話をしてもらえれば、お気持ちの整理もつくかと思います。 すみません、時間の余裕のないまま、読み返さずに送信させていただきます。ただ、やはり個人差があり、長く療養する人と、あっという間の入院で旅立つ人と様々です。今もなお、そういった個人差に、医療が追いつけない現状もあるかもしれません。でも、過半数などのケースで見られる兆候は見落とすべきではありませんが。

0905
質問者

お礼

ありがとうございます。 来週にでもホームドクターのところに言って、最後に納得できるように聞きに行ってきます。 高いながらも本人が自覚症状がなかったため、画像診断を怠ったこと、延いては触診で硬いと感じながらも原因を追究しなかった、キャリアでなかったことに甘んじていたんだと思います。おそらく起こしていたであろう肝硬変のまえには炎症を示す数値があったと思うんです。18年もの間の全ての数値がないにしろ、データから拾うことができないかと思っているのです。医師を信頼していた父に代わり、医師としての資質を問いてみようと思っています。

  • usaton
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回答No.6

私も先週肺がんで父を亡くしました。 1年前に告知されてから入退院を繰り返しておりましたが、2ヶ月くらい前からせん妄症状が現れ自宅に帰ることができなくなりました。その後、ホスピスに転院することで、せん妄症状は和らぎ少しは話ができる状態になってきたのですが、亡くなる1週間前は特に調子が良さそうでこのまま良い方に向かうのでは・・・と家族全員が思っていました。ところがその4日後、状態は急変し、素人の私が見ても“あと2,3日くらいかも・・・”と思える状態(より一層やせこけ、息もとても苦しそうでした)になり、それから3日後の早朝にゆっくりと息を引き取りました。 私の父の場合は最期の2ヶ月は殆どまともな話ができずにとても悔いが残りました。 0905さまのお父様は3時間前まで普通に過ごされていたのですよね。色々お話はできましたか? 父を看取って感じた勝手な私の意見ですが、最後まで自分の意志があってあまり苦しまずに旅立たれたのでしたらお父様にとっては癌になってしまったという中で不幸中の幸いだったのではないでしょうか。(苦しんでいる姿を長く見るのは家族にとってもとても辛いことです。) それと、私自身も最初に入院していた大学病院と担当医師には不信感や疑問点は多々ありましたが、もし万が一治療方法の選択ミスがあったとして、医師に聞いたとしてもうまくごまかされてしまうでしょう。 1ヶ月前の余命宣告は大変お辛く信じられなかったでしょうね。私は1年前からこういう時が来ると覚悟していましたが、まだ父がいないという実感がないのですから・・・。 しばらくの間は手続き等色々大変だと思いますが、0905さまもお体にお気を付けて頑張って下さい。

  • K-1
  • ベストアンサー率21% (832/3844)
回答No.5

祖母が肝臓癌で亡くなりました。 数ヶ月ベッドの上で苦しみ、やせ細り、機械に繋がれた上ででした。 「痛い。死なせてくれ」とつぶやくのは辛かったです。 祖父は夜寝たまま起きてきませんでした。 病気とかではなく老衰です。 こういっちゃなんですが、苦しまずに最後を迎えるというのは、それはそれでよいことと思います。 で、肝臓癌といっても、なにか種類(?)が違うのかもしれません。 場所とか転移状態にもよるでしょうし。 医者に聞いてみるのが一番ではないでしょうか。 「知り合いに聞いたら、こんな感じが多かった。父とはだいぶ違うがどういうことなのでしょう?」と。

回答No.4

#2です。 『お礼』の文章を読み、ご家族が納得しきれなかった背景が少しわかりました。それほどまでにハツラツと過ごしていらっしゃったために、疑問が拭いきれないのですね。加えて医師の>心無い発言と感じていらっしゃる、更なる疑問を感じざるを得ない心境がおありなのですね。 確かに肝炎または肝硬変が肝臓癌の要因となります。定期的な健康診断で、肝炎や肝硬変が指摘されていれば、癌になる手前でどうにか手を打てたかもしれませんし、癌を初期のうちに発見できたかもしれません(あくまでも可能性の話です。定期健診を受けていても、そのタイミングは悪ければ見つけられないケースもあります)。 アレコレ考えると疑心暗鬼になるばかりで、ご家族の気持ちがつらくなるばかりでしょう。その気持ちの引っ掛かりを解消するためには、少し時間をおいて、実際に医師と本当の意味で冷静に話をすることかもしれませんね。 この場で私が言えることとして、最後に・・・ もしそのような行動にでるのでしたら。ポイントとして、病院にかかった時点の検査結果からだけで、どのような結論に至ったのか、入院してどのような治療をする計画でその結果どうだったのかなど。 専門用語ひとつとっても、わからなければ用語についても質問してください。どういった意味なのか、どういう内容を指すのか、専門用語でごまかされないように。話の腰を折るようでも、用語についても質問を。言葉がわからなければ納得できませんから。そして、わかるように説明する義務が医師にはありますから。

0905
質問者

お礼

ありがとうございます。 結局、医師に対する不信感からのスタートだったんだと今更ながら思います。18年もの間、毎月血液検査をし、本人も家族も大丈夫だとおもっていた矢先のことだったので納得行かなかったのです。最後にひとつ質問です。肝炎のキャリアでもなく、血液検査上では肝硬変を疑う数値でもなっかた、唯一、医師から「昔から肝臓は硬かった」との言葉。肝硬変だったのでしょうか?実は。

  • assist
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回答No.3

最愛のお父様を予期せぬ病で失われ、計り知れない悲しみに包まれていることは 他人の私でも理解できます しかし、この質問に対し「苦しまなかったから良かったんじゃない」という あまりに無神経な回答には理解できません 亡くなられたお父様の病気について担当の医師に経過の説明を受けられては いかがでしょうか それによってご自身の気持ちの整理がつけばよろしいのですが・・・

回答No.2

不確実な内容を書き込むべきではないのですが…。 入院と言う事態になると、精神的に影響が出ることがあります。ゆっくりと病気が潜伏・進行している場合、本人にコレという自覚症状が感じられない場合もありますし、急な環境の変化で不安が増大する事によって、身体に変調をきたす可能性もあります。 肝臓の状態と、転移についてが詳しくわからないのですが、おそらく身体はギリギリの状態だったのかもしれませんし、ご本人もなんとなくおかしい事に気がつきながら受診せずに過ごしていらっしゃったのかもしれません。 ただ、長く病床にいて自由も利かないまま療養するより、亡くなる直前までお父様らしく過ごせたことが何よりかと思います。ご家族の悲しみや納得のいかない気持ちは、決して拭い去ることは出来ません。でも、ギリギリまで持ちこたえていたお父様を私は尊敬します。確かに>尿も出て、腹水、むくみ・・・などがなければ、末期の気配は感じられませんが。ただ最後は肝性脳症の状態になったのであれば、さほど苦痛を感じずにいることが出来たかもしれないです。 納得がいかない気持ちは病気についてでしょうか?それとも病院の対応についてでしょうか?ふたつの病院で同じ診断だったとのことですので、病態はかなり進行していたと察します。ただ、その際の医師の説明(具体的な状態について検査数値などの根拠を交えて話があったのか、今後起こりうる状態についての見通しと差がありすぎたのか、入院中行われた検査や治療について疑問が残っているのかなど)に納得がいかなければ、『あっけない』状態となった経緯を説明してもらうことは出来ます。おそらく亡くなった時にも説明を受けたと思いますが、冷静に聞くことはなかなか難しいですよね。今になってからでも病院に電話して、医師と再度話をするよう働きかけることは可能ですよ。カルテは確か法律で5年か10年は保管されますから、その医師がいなくても、そのときの様子の話は聞くことが出来ます。 ただ、急激に症状が悪化してしまう場合と、それに治療と治療の効果が間に合わない場合も多くあます。個人差といってしまえばそれまでなのですが。 私は医療従事者として、ご家族がどれだけ納得できるかと言うことも大切だと思います。その答えにはなっていない書き込みなのですが、納得するために医師と話をするということは、患者さんが亡くなったあとにしても当然だと思います。 最後になりましたが、お父様のご冥福をお祈りいたします。ご家族の方も、ご自愛されますように。

0905
質問者

お礼

温かいお言葉ありがとうございます。確かに医師ともう一度話す必要はあると思いますが、余りにも心無い言葉に打ちのめされて父は死に至りました。ですから詳しくわからないことだらけなのです。この急激な悪化はどういう原因からでしょうか?自覚症状がないまま末期に突入したのは本人の我慢強さともともと鍛えていた体力のせいでしょうか?亡くなる1ヶ月前まで水泳をしていたのです。そのせいで心臓が強かったから腎臓もうまく回り、腹水、むくみがなかったのではと素人ながら考えています。亡くなってから調べるに、肝炎のキャリアではなかったものの、肝硬変予備軍だったんでしょうね。悔やまれてなりません。

  • weeelcom
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回答No.1

 質問の主旨と違うかもしれませんが、お父様は幸せだったんじゃないでしょうか?何故なら、ほとんどのがん患者は抗がん剤などの副作用によって苦しみながら亡くなると聞きます。なんだかガンで苦しんでんだか、抗がん剤で苦しんでんだかわからないような状態らしいですよ。それも何年も苦しんだ末、だったり・・。  私は以前から素朴な疑問があるんです。ある日突然ガンと宣告されて、余命半年とか、3ヵ月とか1ヶ月とか。それは裏を返せば、命がなくなる直前まで元気に日常生活がおくれてるということですよね。ガンは苦しいというイメージがありますが、実はガンって苦しくないんじゃないかなって。闘病生活が苦しいんであって。江戸時代にだってガンはあったはずです。おそらく現代人ほどはガンを恐れてなかったんじゃないかな、と。  質問の主旨からはズレていますね。でも悲惨な闘病生活を送っている人々や、生還してもうつ病や再発の恐怖など様々な問題もあります。珍回答で失礼しました。聞き流してください。

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