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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:これって、そうはないだろうという経験)

「そうはないだろう」という経験

このQ&Aのポイント
  • 1980年代中頃、ジャカルタの空港で飛行機の遅延に遭遇し、目的地に辿り着くためにさまざまな困難に立ち向かった経験談。
  • 飛行機が引き返し、遅延が続いたため、怒り狂った日本人旅行者は空港オフィスに怒鳴り込み、解決策を求めたが、鷹揚な対応に悩まされた。
  • 荷物がトラックに乗っていたため、目的地に連絡が取れず、自分でトラックを追いかけることになったが、空港のターンテーブルを逆走する困難さに直面した。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.16

こんばんは。 お久しぶりです。 時々こちらを拝見はしているのですが、中々参加出来ずご無沙汰しております。 そうは無いだろうとなりますと、バイクの28年規制だと思います。規制値がとんでもなくてヤマハがホンダに製造委託するとか、バイク屋さんでもここまでは経験が無いと話してました。 そろそろ自分のバイクも買い換え時でしたが、車も欲しいし悩んでいました。そうしてる内に候補に考えていた車種が軒並み製造中止になり、遂に選択肢がジレラの200cc店頭在庫しか無くなり、これも早く決めないと無くなりそうなので漸く決心しました。 isokenさんと初めてお話させて頂いてから、早いもので3年になるんですね。起業した当時からお話させて頂いてますので、これもそうは無いだろうってお仕事のご報告になります。 料亭時代は、腕が無いのでお給料が安いのは当たり前、這い上がれ成り上がれと周囲の励ましを頂いて頑張りました。役職も上がり相方と暮らすまでは、それこそ爪に灯をともすような節約生活でした。 ドルは以前の通りでしたが、3人で出資したので余裕が出来き、株式投資と言うよりは配当金と優待で銀行金利よりは良いかなって事で、割烹のお姉さんのおすすめも有って、株価の安い食品関係で知ってる会社のを家族で何社か買いました。 それがご存知のような、この3年間の異常な高騰です。 余り欲を出さなかったのも良かったようで、忘れた頃こんなに上がってるよみたいな感じで、何度か買い換えましたが、まるで何か見えない力に後押しされてるような気がしました。 現在、私の片腕で頑張ってくれてる副長と共に目指して来たのは、働きながら学ぶ環境作りです。それに相方と祖父が共感してくれて今に至ってますが、同居の高校生も今月卒業になりますし、割烹でも通用する腕前にまで育ちました。 世の中には家庭に恵まれない子供達も沢山居ます。 少しでも、手助け出来たら良いと考えています。 余談ですが、先日kamejrou さんとお話されてた銀座の近藤さんの天ぷら鍋ですが、変わってなければ砲金の鋳物です。真鍮より僅かに赤身を帯びた銅合金で大砲に使われたので、砲金と呼ばれてます。 これを内外をピカピカに仕上げたのをご使用です。 肉厚なので蓄熱量が半端なく、大きなフライヤーで大量の油を使ったのと同じ効果で、油温が下がり易いかき揚げ等もサクッと揚がります。勿論、素材と腕が有ればこそのお話です。 もし、黄金色の鍋でしたら、奥様とのお話のネタにでもお使い頂ければ幸いです。

isoken
質問者

お礼

yuria さん おはようございます、お礼が遅くなり申し訳ありません。 お久し振りでした、きっと忙しくしておられたんでしょうね、まあ 暇を見つけてたまには顔を出し、プロの料理人としての矜持と小気味良い話を聞かせて頂きたい、それは私のみならず貴女のファン 共通の願いでもあると思うのです。 >そろそろ自分のバイクも買い換え時でしたが、車も欲しいし悩んでいました。そうしてる内に候補に考えていた車種が軒並み製造中止になり、遂に選択肢がジレラの200cc店頭在庫しか無くなり、これも早く決めないと無くなりそうなので漸く決心しました。 早速ぐぐりました、洗練された 都会派の スクーター で見るからに スタイリッシュ ですが さすがはイタリア車・・、一頃流行った ベスパ の スポーティー・バージョン といった感じで、カッコいいですねぇ。 ベスパ は私の大学時代に流行ったんです、古くは 『 ローマの休日 』 もそうでしょうが、我々の頃は『 探偵物語 』 というTV番組で 松田優作 が乗り回しましてね、それも ビンテージ・シリーズ のスピードが出ないやつ。 >料亭時代は、腕が無いのでお給料が安いのは当たり前、這い上がれ成り上がれと周囲の励ましを頂いて頑張りました。役職も上がり相方と暮らすまでは、それこそ爪に灯をともすような節約生活でした。 初めて yuria さんとお話させて頂いて、もう3年にもなりますか、そう言えば 料理や 能登 の話を随分教わりましたが、確か 『 成り上がり 』 という拙題にも御回答頂いたはずです。 若いお嬢さんに似合わぬ 緻密な人生設計と実行力が好もしくて、私は一度でファンになった、昨今は男の子にすら見られない、決して低くはないはずのハードルを自力で乗り越えて行こうというその ガッツ と或る種の上昇志向に共感出来るんです、きっと kamejrou さんもそうだと思う、私とあの方は種々 好みが似ておりますから。 例えば一流大学を出て大企業に就職し、更には順調に出世街道を歩んだとしても、所詮 勤め人は勤め人でしかなく そこにあるのはただそれなりの安定だけ、極論すれば本業だけで年間 億の金を握る事はほぼ不可能。 一方 yuria さんが身を置くのは、 腕 一本・ 器量 一本でのし上がれる 言うなれば 才覚 の世界、無論 容易くはないでしょうが反面 得られる果実は比較にすらならないはず、どんどん成り上がって、人も羨む成功を掴んで欲しいと私は念願するのです。 その為には目線を下に合わせちゃなりません、 付和雷同 は自分を低くしてしまいますから、それと 傷の舐め合い も NG です、小さな悩みを他人と共有し、不満や愚痴を並べ立てたって互いに1文の得にもならない、時には 孤高の人 であるべきでしょう。 そして何より 経営者として大切だろうと思うのは、数字に客観且つ冷酷でなければならないという事・・、大きな成功を得たいと願うならばです、人としての温情はまた別ですが・・。 >ドルは以前の通りでしたが、3人で出資したので余裕が出来き、株式投資と言うよりは配当金と優待で銀行金利よりは良いかなって事で、割烹のお姉さんのおすすめも有って、株価の安い食品関係で知ってる会社のを家族で何社か買いました。 昨今 株に関して実は口を閉じておりまして・・、何故なら最早プロの時代ではなくなりつつあるからです、平たく言うと 直接金融 の世界も様変わりして、かつての株式投資への セオリー が徐々に通用しなくなり、アマチュア・プレーヤー が相場を作っているが故の難しさがある。 極端な話 もう銘柄云々の時代じゃない、経済全体の先行きを読んで上げ潮に乗り、行け行けドンドン の方が儲かるんですよねぇ、これだけ好景気・株価の右肩上がりが続き損する方が難しい状況になれば・・、ただ株に限らず博奕全般に言える事は、張り続けている間は 所詮途中経過に過ぎないという事です。 これは 博奕の真髄 と言っていいと思う、つまり 手仕舞い のタイミングこそが何よりも肝要という点が・・、簡単なようで皆 分かっちゃいないのです、現状 私が yuria さんにアドバイス出来るとすれば、その点だけなのですが。 >世の中には家庭に恵まれない子供達も沢山居ます。 >少しでも、手助け出来たら良いと考えています。 上は 松下幸之助 さんや 本田宗一郎 さんといった例を挙げるまでも無く、経営者たるべき者・・崇高な理念と理想という裏付けがあるのが望ましいと思います、仮に将来それが yuria corporation の社是・社訓となれば素敵ですねぇ。 >もし、黄金色の鍋でしたら、奥様とのお話のネタにでもお使い頂ければ幸いです。 うちの家内 最大の趣味は料理なのです、 辻調 に通うほど入れ込んでおりまして・・、試しに聞いてみたのですが、やはり知りませんでした。 回答ありがとうございます。

その他の回答 (18)

回答No.20

×危険の報酬ではなく 〇恐怖の報酬  でした。 お詫びして訂正いたします。 危険の報酬では、二流の不倫ドラマのタイトルになっちゃう。

isoken
質問者

お礼

態々 訂正頂きまして、恐縮です。

  • oya_zico
  • ベストアンサー率19% (397/2006)
回答No.19

和製007ことisokenさん、こんにちは。 もちろん、動いているターンテーブルの上では敵スパイの攻撃を華麗に撃退し、その後は美人スッチーと・・・ですよね。 ふ~う、羨ましい限りです。 >さて 「 そうはないだろう 」 という経験・体験談がありましたら、お聞かせ下さい。 う~ん、isokenさんのような、そんな刺激的でカッコイイ経験は無い(涙) ラブホで一泊した日、自宅に帰った後、私のオヤジから、「昨日夢で見たんだが、その女はやめたほうがいいんじゃない」と霊能者チックに言われたこととか、以前言ったと思いますが、新宿でヤクザ(スタジオマルイ)に「ゲイ能界に興味ある?」と声をかけられたことくらいでしょうか・・・。 そういえば、こんなしょーもない体験もありました。(過去に言っていたら申し訳ございません) 自動車免許を取ったばかりの大学生が、ボンドカーならぬ親の軽トラを借りて、稲刈りも終わった晩秋の農道を運転している姿を想像してください。 スーパーマーケットで購入したペットボトルを助手席に置いて運転していたのですが、田んぼの真ん中の信号の無い狭い交差点を左折したときにペットボトルが足元に転がり落ちてしまった。 その大学生、よせばいいのに足元のペットボトルを運転しながら拾おうとしたんですよね。 (ちなみに、過去にも何度か同じ事を成功させているので、自信を持っていたのでしょう) しかし、今回は違っていた。ハンドルを握ったまま、前方から目を離したその瞬間、軽トラは路肩から田んぼに一直線・・・今考えると、左折したばかりで、タイヤは道に対し平行ではなかったのでしょう。 でも、そのとき奇跡が起きたのです。 「くるりんぱ!」 田んぼに突っ込んだ後で、横に丁度ゴロンと一回転した後で、車の屋根はまた上に・・・・。 多少、軽トラはゆがみましたが手で直せば大丈夫な程度、田んぼにも水が無く全く汚れませんでしたし、何よりもその馬鹿なドライバーが無傷だったことが奇跡でした。

isoken
質問者

お礼

zico さん、おはようございます。 >もちろん、動いているターンテーブルの上では敵スパイの攻撃を華麗に撃退し、その後は美人スッチーと・・・ですよね。 ・・のはずだったんですが どこでどう間違ったのか、ターンテーブルの先に停まったトラック周辺で、褐色の肌をした空港のオッサン労務者達に囲まれている私がおりました ( 涙! ) 。 でも余計な1泊を余儀なくされたその夜はやりましたよ、某企業の ジャカルタ 駐在員と高級ホテルのディスコにナンパに行き・・当然 スカ( 涙! )。 ・・でもって、 ジャカルタ の銀座と称される繁華街のクラブで リターン・マッチ を試み、お茶を引いている褐色美人を全員呼んでどんちゃん騒ぎ、出て来たお勘定が 10万ルピア ( 当時の邦貨換算で7000円 ) 也・・、や・安い。 >ラブホで一泊した日、自宅に帰った後、私のオヤジから、「昨日夢で見たんだが、その女はやめたほうがいいんじゃない」と霊能者チックに言われたこととか、以前言ったと思いますが、新宿でヤクザ(スタジオマルイ)に「ゲイ能界に興味ある?」と声をかけられたことくらいでしょうか・・・。 ???・・、親父さんとラブホ女性との相関関係がちょっと理解出来ないのですが、まあいいか。 マルイ は確か怪し気なパンチのおじさんでしたよねぇ、パンチに光り物ジャラジャラは今や絶滅危惧種ですが、因みに ゲイ の メッカ ・・ 新宿2丁目 は 極東会 の縄張りなんです、ついて行けば zico さん新境地を開拓出来たかも知れません、惜しい事をしました。 >スーパーマーケットで購入したペットボトルを助手席に置いて運転していたのですが、田んぼの真ん中の信号の無い狭い交差点を左折したときにペットボトルが足元に転がり落ちてしまった。 >その大学生、よせばいいのに足元のペットボトルを運転しながら拾おうとしたんですよね。 車を転がしていると結構あるんですよねぇ、何かが落っこちちゃって気になって仕方がない事、手が届けば私もそうします、停車して拾えばいいものを・・。 >でも、そのとき奇跡が起きたのです。 >「くるりんぱ!」 >田んぼに突っ込んだ後で、横に丁度ゴロンと一回転した後で、車の屋根はまた上に・・・・。 その光景を頭の中で想像してみましたが、当の zico さんにしたら スローモーション のような出来事だったんじゃないですか、何にしても もう半回転しなくて良かったですね。 >多少、軽トラはゆがみましたが手で直せば大丈夫な程度、田んぼにも水が無く全く汚れませんでしたし、何よりもその馬鹿なドライバーが無傷だったことが奇跡でした。 車はまあともかくとして、若い頃って自分でも無意識な反射神経があるのだろうと思います、私だって無茶して危ない目にも随分遭いましたが、怪我なんかした事なかったもの。 ところが最近はちょっと運動しただけで、あっちが痛いこっちが痛いってそんな感じです、歳は取りたくないですよねぇ。 回答ありがとうございます。

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.17

こんにちはisoken さん 千葉は雨でして こんな日はisoken さんと肩の凝らない話しをするのが面白い 先日の話しの続きをしてみたいのですがその前に Yuria さんが見えておられる 桜の咲く季節にお祖父様と北海道の函館旅行を計画してると言っておられたが 桜が咲くと言えば今月?あるいは四月? どちらにしてもお祖父様との良い思い出を沢山作って欲しいのです Isoken さんもお付き合いがいい虎ちゃんの回答を最後まで読んだと? まあ私も読むことは読みますけど 内心は「小説か?❗」心の中で悪態をついてますアハハハ まあ私も虎ちゃんを庇う訳でもありませんがi Isoken さんに好意を持っているのでしょう まあ不憫な弟分と思い勘弁してやってほしいのです 田畑義夫さん? 「バタやん」と呼ばれましてね登場する時の口癖が「オスッ」、 バタ臭い人でありました 「🎵波の背の背に~ 揺られて揺れて~🎵」 今、田畑義夫と言っても若い方は殆どご存知ないisoken さんの年代くらい? 「朋友会事件」は仰る通りでして 田畑義夫への「バタやん、俺はあんたのフアンなんや一曲歌ってくれ」 こんな些細な言葉から始まった訳で まあこの話しもisoken さんと始めると長くなりますからしませんが ただ言えることは田岡さんと言う人は所謂「荷」と言うものを大事にした もう随分前になりますが このサイトで美空ひばりは田岡一夫の愛人であった?面白いことを言う 馬鹿馬鹿しくて私話す気にもならない 子供のひばりさんを肩車する田岡さんの写真が残っております 私は別にあの世界の田岡さんを人格者であると言うつもりは毛頭ありません ただ人間として筋を違える人ではなかったそう思いますねえ それは娘さんの田岡由伎さんの「お父ちゃんの石鹸箱」を読んでも分かるのです Isoken さんのことですからこの本は読んでおられる? 未読でしたら是非❗ さて最後に、 私も嫌味な奴と思われてごうはらですから名前を伏せたのですが ああもあからさまに言われれば私の気遣いはどうしてくれる?アハハハ まあ江戸前の仕事とはそう言うことでしょうしホスピタリテイ? それは仕事としてはなるほどと思わせます 「穴子」なども口の中でホロッと溶ける「こはだ」もそうでしょうねえ 文句のつけようがないのです もう随分昔です 若い時に読んだ「神田鶴八鮨話し」その店は「穴子」と「こはだ」 そして「玉子」を食べればその店が分かるとそう言ったものでしょうが まあそうなのでしょう ただね、私はisoken さんですから率直に言いますが 身銭を切って度々行くところでもない一度くらいなら冥土の土産にとも そうも思いますが要は銀座と言うブランドを食べに出掛ける なら私はむしろ 庶民的な上野・浅草のちょっと小粋な店のほうが 私のような千葉の田舎者には肌にあうのです仕事も変わらないでしょうしね まだ話しいことは沢山あります 伝説の職人と言われた藤本繁蔵さんのことも話してみたいのです あの当時の所謂文人墨客と言う人々にいかに愛された人であったか? その代表は大佛次郎であり小林秀雄、あるいは白州次郎、 またと言うことにしましょうか? 最後の最後に 奥様と誕生日が同じ八月? 是非、お二人で、金はこの世で使わなければあの世とらへ持って行けませんし Isoken さんも奥様の喜ぶ顔を見るしかもう楽しみもないのでは? 別の楽しみがあって私とは違う?あらあ❗アハハハ お話の先代新津さんは「西麻布 青木」でまた握っておられるようで? 職人気質と言うのは不思議なものです

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、おはようございます。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >Isoken さんもお付き合いがいい虎ちゃんの回答を最後まで読んだと? まあ私も読むことは読みますけど 内心は「小説か?❗」心の中で悪態をついてますアハハハ いや これがですね、結構疲れるのです、ただ 虎ちゃん が長い回答を書いてくれるのも、 kamejrou さんと私の他 そう何人もいない事を思えば、ありがたいやら何やらで・・。 >「🎵波の背の背に~ 揺られて揺れて~🎵」 今、田畑義夫と言っても若い方は殆どご存知ないisoken さんの年代くらい? 私が幼い頃には既に懐メロ番組専門の歌手でしたが、親父とお袋が楽しそうに観ていたのを思い出します。 >「朋友会事件」は仰る通りでして 田畑義夫への「バタやん、俺はあんたのフアンなんや一曲歌ってくれ」 例の 『 実録外伝 大阪電撃作戦 』 では、 石橋蓮司 さん扮するチンピラが絡んだんですよねぇ、それで大乱闘になった、確か3代目は 丹波哲郎 さんが演じておられたはずです。 この映画に関して kamejrou さんとは何度もお話させて頂いてますが、 松方弘樹 さんの代表作の1つでしょう・・面白い映画でした、 渡瀬恒彦 さんもいいんですよねぇ、大好きです。 『 シネマの極道 』 で 日下部五朗 さんも言っておられますが、実録路線でやって行けたのはいいとこ5年で旬は3年、その レンジ を外れると テイスト が変わって来まして、正直言って面白くない。 そうこうしている内に 鶴田浩二 さんはテレビという新ジャンルに活路を見出し、高倉健 さんはフリーになり路線変更、 一方の 菅原文太 さんは 『 トラック野郎 』に ウエイト を置いて、それぞれやくざ映画を離れる事となる。 >ただ言えることは田岡さんと言う人は所謂「荷」と言うものを大事にした 『 シネマの極道 』に負けず劣らず面白かったのが、 山平重樹 氏著 『 神戸芸能社 』・・、 kamejrou さんもきっと読まれたろうと思います、あの本を読みますとね、興行に賭ける3代目の熱意は本物だったと思わざるを得ない、少なくとも歌手や芸人の上前をはねるような、ケチな料簡でなかったのは確かでしょう。 仰る通りで 「 荷 」 を大切にしたそうですね、それも他よりもギャラを弾んだとか・・通り一遍の話じゃない、駆け出しの頃の 三橋美智也 さんと風呂に入り背中を流してやったらしいのですが、 三橋 さんも迷惑だったろうと思うのです、天下の山口組3代目に背中を流されては・・。 >このサイトで美空ひばりは田岡一夫の愛人であった?面白いことを言う >馬鹿馬鹿しくて私話す気にもならない いや もう仰る通りで呆れ果てて物も言えない、 ひばり さんに対する 田岡 さん・・私が受けるその印象は、身内のおじさんか・・でなければファンとして逆に彼女に仕えている、そんな感じでありまして。 >それは娘さんの田岡由伎さんの「お父ちゃんの石鹸箱」を読んでも分かるのです >Isoken さんのことですからこの本は読んでおられる? >未読でしたら是非❗ いや それがまだなんです、存在を知ってはいたのですが・・。 >私は別にあの世界の田岡さんを人格者であると言うつもりは毛頭ありません >ただ人間として筋を違える人ではなかったそう思いますねえ ヤクザと言うのは皆 極端な二面性を秘めていると思うんですが、ことに 3代目 いう人はその典型ではなかったでしょうか、 行け行けのヤクザ という本質を 紳士然とした押し出しに内包した・・。 山口組 というのはそりゃ無茶をやりました、だからこそ 菱の代紋 が全国ブランドになったのでしょう、田岡さんが跡目を取った当時僅か30名足らずだった 神戸 の1組織がです。 但し こと盃に関しては筋目を通すという印象です、依って少なくとも3代目の時代に 広島 のような 捻じれ は殆ど見られない、それともう1つ、抗争で体を張った組員への ケア が群を抜いてしっかりしてますね、その点はやはり組織の頂点に立つ親分の意向と無縁とは思えません。 例えば 山健さんが収監されていた・・あれは 加古川刑務所 だったでしょうか、 3代目が ひばり さんに慰問を頼んだと言います。 当初 誰も信じてなかった、ところが実際にやって来て当の刑務所は大騒ぎ、何せ 天下のひばり ですから、そんな彼女が歌の合間に 「 ケンちゃん、お勤めを済ませて 早く出て来て下さいね! 」 ・・とやったらしいですね、そりゃ 山健さん の男も上がろうというものでしょう。 >私も嫌味な奴と思われてごうはらですから名前を伏せたのですが >ああもあからさまに言われれば私の気遣いはどうしてくれる?アハハハ kamejrou さんの奥ゆかしさはよく存じておりますが、そこまで気を遣う事はないでしょう、その方面に興味がある方にとって、具体的な店名を出してもらった方が却って参考になろうというものです。 >「穴子」なども口の中でホロッと溶ける「こはだ」もそうでしょうねえ 文句のつけようがないのです よだれが出そうです、ここ暫く本格的な寿司屋に行ってませんから、これから 浅草 にでも出掛けてみようかな・・そんな気分になりますね。 >ただね、私はisoken さんですから率直に言いますが >身銭を切って度々行くところでもない一度くらいなら冥土の土産にとも そうも思いますが要は銀座と言うブランドを食べに出掛ける >なら私はむしろ >庶民的な上野・浅草のちょっと小粋な店のほうが >私のような千葉の田舎者には肌にあうのです仕事も変わらないでしょうしね 御謙遜はともかくとして、ブランド代込みの 銀座料金 というのは確かに存在しますね、仕事も一流ですが値段は超一流でありまして、もっともその点は寿司屋に限りませんが・・。 浅草 だとどうだろう・・、1人2万円も出せばゲップが出るほど堪能出来るでしょう、名店にしたって店構えが概ね地味ですし。 >伝説の職人と言われた藤本繁蔵さんのことも話してみたいのです >あの当時の所謂文人墨客と言う人々にいかに愛された人であったか? >その代表は大佛次郎であり小林秀雄、あるいは白州次郎、 私はそっちの世界に疎いので 早速ググってみましたが、 藤本 さんというお人は 三原橋 の 『 二葉鮨 』 で修業を積み、 『 なか田 』 の創業者とも繋がりがあるとか・・。 わたしはこの 『 二葉鮨 』 には何回か行ってますが、明治10年創業の超老舗である事を含め、そんな経緯は全然知らなかった、単にいつでも入れる 庶民的なお値段の店という認識でしたが、次回以降があるとすれば見る目が変わって来ちゃいますねぇ。 >お話の先代新津さんは「西麻布 青木」でまた握っておられるようで? 職人気質と言うのは不思議なものです いやいや 新津 さんは御存命でしたか、てっきり鬼籍に入られた方だとばかり思ってました、ついでにと言っちゃなんですが、『 なか田 』 では雇われ主人だったというのも今初めて知りました、その『 なか田 』の 初代 雇われ主人が 藤本繁蔵 さんだったという事を併せて・・、いや 寿司職人の世界も深いですねぇ。 回答ありがとうございました。

回答No.15

こんばんは 車トラ白う偏 ケン様30分も、ありがとうございます 記憶を呼び覚まし、実は1時間以上書き連ね なるべく短くと更に1時間編集してた甲斐が あるってもんです、うれしいです 半分にしましょう・・って、あれで半分なんですけど・・ 続編失礼致します バイクぐりん偏 虫の知らせに似た感覚を人並み以上に感じる事が多々 あるのです。が 24歳位のとき4St単気筒カフェレーサースタイルのバイクに 弩はまりでした、バリ伝の影響でレーサーレプリカ人気と二分してた 時代で、2stや4St4発の早い奴を単気筒で煽り追いかけ回し 天狗の鼻をへし折る快感がゾクゾクして・・ 暴走族の後ろに、そぉ~っと近づき 青信号と瞬時に族のど真ん中をアクセル全開ロケットスタートすると、 オラの単気筒SR500直管の爆音に 族ビクッ・・SRズドォドォォーン・・族ビクッ となる姿が、めっちゃんこ笑えるだんべぇオラは弩S気質なもんで。 話がいきなり逸れちゃいましたごめんなすって。 新車SRX400が2ヶ月まって、やっと来たその晩 GSx400の走り屋のダチ公が夜10時過ぎに例のプレハブ小屋に やってきて、(来たんだって?走り行くべぇ) オラ:もうおっせぇーよ、やなこった (いくべぇ、行くんなら行くんだし、行かねえなら行くんだし) が口癖のダチ公 ;例の保育園からの付き合いのトヨタマンも行くならいいよ 誘いに行き、なんと、そこでバッタン立ちゴケ泣新車なのに いきたくねぇー と だだをこねるも、榛名山に行く途中 前を走っていた軽自動車が反対車線を走り出した ??なんじゃ?? 先に行けってことか? と直進で全開にした途端いきなり左に近づいてきた なんとまぁ、その、わけぇねぇーちゃんは 直ぐ左の自宅に入るのに、えっれえ大回りで左折したのであった 横並びになって、ビックリした、ねーちゃんの顔は今も覚えています 目とっ目でぇつぅーじあうぅーそぉ~ゆう~なぁかじゃありません~ ガッツンガッツンぶつかって、どぉーにもならず自宅のジャリ庭に 引き込まれるようにして、すっころんでしまいました 新車なのに・・ 立ちゴケで壊れた分も請求してやったぜぇい。 次は 古いプレミアモンの単気筒DUCATI350も買った時 新しいDUCATI乗りの別の保育園からのダチ、そいつとは 滅多に遊ばないんですがドカ買ったのを聞きつけ1週間後に やってきた (走りいくべぇ) 真夏の夕方近くゴロゴロゴロぐんまー名物、雷様来そうだった ;ゴロゴロ言ってるぞぉ、よすべぇよ(やめよう) じゃぁ赤城の料金所まででいいから行くべぇ と 押し切られ その帰り・・一時停止を無視した不倫相手を乗せた軽自動車の オッサンが呼んでもないのに 飛び出てじゃじゃじゃじゃーん ドッカァーン そこには電柱やら郵便ポストやらがあって、直撃なら・・ それをすり抜け(警察計測20m)飛ばされアスファルトに 直撃ゴロゴロズザザザザァーと激突場所から50mに横たわる オラは、よい子なのでメット、革ジャン革ズボン革手革ブーツ のフル装備で乗るので、全身打撲の無傷程度で済みました、 咄嗟の柔道受身も役にたって、めでた・・し・・これは廃車泣 30歳 フルカウリングのカワサキ2Stレーサーレプリカ購入 スピード凶のオラは事故ってしんじゃうから 30までは200キロを超えてしまうバイクには乗らない と決めていたのです が これも半年でやっぱり飛び出てきた車に激突 この時は電柱と大正用水と言う、とても大きく深い 用水路がありました、どっちに飛ばされても・し・ この時は30m吹っ飛んで、運よく、土手下の畑に 落下激突 やっぱり全身打撲程度でピンピンしているスッパマン バイクはこれも廃車の2台目 車は急に止まれないだとぉぉぉ バイクは尚更止まれんわーいべらんめーいこんちくしょぉメ 気が乗らない時は絶対に行くもんかと 硬く心に誓うのであった、 バイク偏もまだまだあるんですけど ではここいらにし・ま・(いいかげんにしなさいよ) ひえええ。 言い忘れてました、 オラの方が、ケン様、KJ様達に甘えてますです。

isoken
質問者

お礼

虎ちゃん、おはようございます。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 ところで またまた渾身の力作を賜り、ありがたいようなそうでないような・・複雑な気持ちはそれとして、押された 「 支持 」 と 「 ありがとう 」 ・・相変わらず人気者ですねぇ。 私としては、誰が投票しているのか大いに興味をそそられるところです。 >半分にしましょう・・って、あれで半分なんですけど・・ もっと端折って下さい。 >なんとまぁ、その、わけぇねぇーちゃんは >直ぐ左の自宅に入るのに、えっれえ大回りで左折したのであった 自分が運転していて不思議に思うのは、内外輪差というものを理解しておられない方が余りに多いという事実です、左折する際 何でそこまでふくれなきゃならないかと思う事が度々でありまして・・。 さて 虎ちゃんが ハード・ボイルド に生きて来たのは重々分かるのですが、その全てに触れていては夜が明けちゃう・・と言う事で、以下好き勝手に書かせて頂きます、悪しからず。 東京に暮らしていると、温泉・スキー他 グンマー は手頃な旅行先なのです、西に行くほど道も込みませんしね、例えば我が家から 首都高 に飛び乗り、 外環道 を経由して 関越道 に乗り入れれば 高崎 辺りだとどうだろう、スカスカに空いてれば2時間もあれば着いちゃうでしょう、 前橋 もそうだけど。 昨今は 北関東道 も全面開通して、関越道 だけではなく 東北道 からの迂回ルートも可能となり、ますます便利になりました。 そんな グンマー にあって、ランドマーク的な 赤城山 もいいが、自己主張が少ない分、個人的には 榛名山 の方が好きかも知れない、 榛名湖 もいいですよねぇ。 随分前の話になりますが、 榛名湖畔 の国民宿舎に泊った事があるのです、それと確か 伊香保 の近くには大正レトロな 竹久夢二 記念館もあったはず、加えて温泉もスキー場も身近にあり、都会育ちの私からすれば、実に贅沢な環境に身を置いておられると羨ましく思う事が少なくない、決して 群馬観光協会 の回し者ではありませんが。 まあ そんなところで・・回答ありがとうございました。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1512/3682)
回答No.14

これは個人的な体験ではなくて、20年前に回答者が住んでいた某市で起きたことですが、20日も経たないうちに真冬と真夏を体験しました。 具体的には4月2日に積雪が13センチあり、その19日後の4月21日の最高気温は32.2度でした。日本は南北に細長いこともあって、4月に10センチ以上雪が積もるところも、最高気温が30度を超えるところもそれぞれは特に珍しくはありませんが、同じ都市で20日以内というのは相当珍しいのではないかと思います。 と、ここまで書いて念のためと気象庁のサイトで確認したら、20年前の4月には私が住んでいた都市のほか、北海道と東北の複数の都市で同様の(積雪は10センチ未満もありましたが)「積雪10センチ超+真夏日」が起きていたことがわかりました。でもまあ「そうはないこと」でしょう。

isoken
質問者

お礼

staratras さん、こんばんは。 >具体的には4月2日に積雪が13センチあり、その19日後の4月21日の最高気温は32.2度でした。日本は南北に細長いこともあって、4月に10センチ以上雪が積もるところも、最高気温が30度を超えるところもそれぞれは特に珍しくはありませんが、同じ都市で20日以内というのは相当珍しいのではないかと思います。 幾ら日本列島が南北に長かろうが、積雪と30度を超える真夏日が、20日以内に起こってしまうという現象がそうそうあるとは思えない、 レア な経験だろうと思います。 個人的に思い出すのは、 GW にスキーをしに 天神平 に向かっていた時の事、勿論こっちは キャリア にスキー板を乗っけて走っているのですが、向こうから来て スライド した車が サーフボード を乗っけていたのです、すれ違いざま顔を見合わせて互いに驚いた・・、20代の頃はそんな事もありました。 因みに東京生まれの私が記憶している、4月に入っての なごり雪 ・・しかも積雪というのは1度だけ、もう随分と昔の話ですが・・。 PM10時に 六本木 に着いた時分はまだみぞれでした、ところが日付が変わりさあ帰ろうと外に出たところ、それはもう見事なまでの 銀世界 。 それはいいが、季節外れの積雪であの不夜城 六本木 にタクシーが1台も見当たらない、顔が利くタクシー会社に電話しても勘弁してくれと言うし、ハイヤーも同じ、結局始発まで時間を潰して上野のサウナで2~3時間仮眠後、出勤と相成った次第です。 回答ありがとうございました。

回答No.13

 地下鉄サリン事件の日、東京へ行く予定でした。  朝、TVのニュースで霞ヶ関が大変なことになっているのを見て、どうしようと思ったんですが、泊まるホテルが確か新宿で、現場から離れているので大丈夫だろうと、予定通り出かけました。  ホテルに着いたのが14時半。15時チェックインですが、重い荷物を預けようと、フロントを読んでも返事がありません。  仕方がないので、ちょっとの間だし、荷物をフロント近くのソファーの上に置いて、高島屋に時間潰しに出かけ、15時くらいにホテルに戻りました。  するとホテルに警察官がいて、怪しい人物として尋問を受けました。何でもフロントの人が、ソファーに見慣れない荷物が置いてあるので、またサリン関連じゃないかと思って、警察官を呼んだのでした。  中身を全部調べられ、結局無罪放免となりましたが、あの日は東京じゅうがたぶんピリピリしていたのではないでしょうか。  

isoken
質問者

お礼

nobound さん、こんばんは。 >地下鉄サリン事件の日、東京へ行く予定でした。 >朝、TVのニュースで霞ヶ関が大変なことになっているのを見て、どうしようと思ったんですが、泊まるホテルが確か新宿で、現場から離れているので大丈夫だろうと、予定通り出かけました。 余りに色々とあり過ぎて、直ぐに忘却の彼方へと飛んでしまいがちな昨今ですが、今尚記憶の襞に鮮明に残る大惨事・大事件がないではない、平成に入ってこの東京が大パニックに陥った事が2度ばかりあると思うのです、それが 地下鉄サリン事件 、そして先の 東日本大震災 。 当時 私も地下鉄で都心へ通勤しておりました ( 今もですが ) から、他人事ではなかった、特に 霞が関 なんて当時通っていた オフィス の目と鼻の先、そう言えば 霞が関 ~ 新宿 も近いですよ、直線距離だと恐らく数キロ程度でしょう、歩いてだって行けちゃう。 >するとホテルに警察官がいて、怪しい人物として尋問を受けました。何でもフロントの人が、ソファーに見慣れない荷物が置いてあるので、またサリン関連じゃないかと思って、警察官を呼んだのでした。 ホテルの人も、びびったんじゃないでしょうか、運が悪かったのもそうでしょうけど、仕方なかったかも知れませんねぇ・・時が時だったし。 >中身を全部調べられ、結局無罪放免となりましたが、あの日は東京じゅうがたぶんピリピリしていたのではないでしょうか。 それはまた大変な目に遭いましたね、ところで次にピリピリするのは恐らく2年後のオリンピックでしょう、その時またお越しになられてはどうですか? 回答ありがとうございました。

回答No.12

不幸中の幸いという話のほうがウケはいいのでしょうね。 最初の出血で3分の1が死亡。さらに血管攣縮や再出血の影響が加わり、4週間以内では約半数が死亡するといわれています。また救命できても後遺症が残る例が多く、完全に治癒する確率はクモ膜下出血を起こした人の中で2割と低い。 一昨年の5月、妻がクモ膜下出血で倒れたとき、その2割に含まれて完全に治癒できたのは本人の運の強さなのでしょう。 私の人生かなり普通と違っているようにおもいますが、あんな経験は「そうはないだろう」というものでした。 倒れた日に私が病院に付き添って傍にいた。救急病院が近くにあってその時の当直が血管内にコイルを設置する脳外科の若手のホープだった。さまざまな偶然の賜物で妻は元の姿で私の目の前に居ます。有難いという以外に言葉がありません。 妻の入院していた2か月間は一日も休まずに病院に通いました。時間の流れが重かった。 一生の中で一番長い60日間でした。 暗い話ですみません。

isoken
質問者

お礼

もう一丁行きます。 >私の人生かなり普通と違っているようにおもいますが、あんな経験は「そうはないだろう」というものでした。 いい方の稀な経験で、本当に良かったですねぇ、私も他人事じゃない・・時々考えてしまうのです、家内に先立たれたらどうやって生きて行こうかと・・。 独りぼっちにされたら生きて行けないんじゃないか・・そんな風に思いましてね、じゃあ普段 大切にしてるかと言えば、全くそんな事はないのですが・・。 知り合って 35 年 一緒になって 25 年が過ぎ、昨今は愛おしさが増すばかりなのです、そんな気持ちになる自分自身が信じられない、あっちこっちに女を作って遊び歩いていたこの私が・・です。 この歳になって初めて分かった、女房の価値ってものが・・。 >妻の入院していた2か月間は一日も休まずに病院に通いました。時間の流れが重かった。 >一生の中で一番長い60日間でした。 夫婦ってそういうものでしょうね、いや そうあらねばならないものなのかも・・。 回答ありがとうございます。

回答No.11

今から8年くらい前、ロンドン経由でウィーンに到着した際に、12個のスーツケースがどこかに消えるという椿事に見舞われました。 私は21人の団体視察団のコーディネーターをやっていたのですが、グループが「スーツケースのある人」「ない人」の二種類に分断されてしまいました。旅行会社の添乗員は必死の形相でヒースロー空港にといあわせたのですが、深夜のこととてなかなかわからない。ベルヴェデーレ宮殿近くのホテルについても、旅行鞄のない人は着替えの下着すらない状況。手にもっているのは、カメラとノートとパスポートとクレジットカードくらいのもの。平均年齢60歳の企業の役員クラスのメンバーは、もきなみ情けない表情で途方にくれています。 次の午前中の視察先の訪問を終えても空港から連絡がなく、視察団はまるでカレーの市民の像のように悄然と空を見上げていました。https://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1959-0008.html 午後、バスでブタペストに出発する間際に12個のスーツケースが空港からホテルに届けられました。 ヒースロー空港で、一籠分だけ積み忘れたらしいというのです。これが間違って南アフリカあたりまで送られていたら・・・まぁ、まず帰国するまでオジサンたちは汚いパンツを穿いたままで臭いツアーを続けたかもしれません。 1953年の映画に、「危険の報酬」というのがあります。危険なニトログリセリンを運ぶ仕事を請け負った4人の男達を追うサスペンス映画なのですが、私はあの映画の恐怖の疑似体験をインドで味わいました。 もともと道路などのインフラの悪い国だというのは聞いていましたが、ニューデリー近郊と、それ以外では地図に描かれた道が大違いの整備状況。 グルガオンの先の工業団地を視察し、タージマハルのあるアーグラーに行こうとしたとき、遠回りでも一旦ニューデリーに戻ってv字型に行くべきだったものを「県道のような道」を直線コースで行こうとしたのです。 M銀行OBの人と我が社のスタッフとインドのスマートシティの構想の調査に行ったのですが、グジャラート州も見ようということでアーグラーに泊まったあとの行程が控えていました。おりしも季節は雨季。前夜降ったスコールで下水道のない道路は水浸しなんたりしました。田舎道は快適に走れたものの山道をのぼりはじめて一時間ほどたって、マイクロバスの運転手が突然車を停めました。 なんとその先の道が、雨で崩れて道幅が半分ほど削られています。 残った道幅はマイクロバスがやっと一台通るかどうかという幅。 我々5人はバスを降りて先に行き、運転手がゆっくりとバスを進めます。 私はインド人に責任と勇気というものはないと思っていたのですが、彼は違いました。無事わたりきり5人は拍手喝采。あまりうれしかったので、私は運転手にチップをはずむのを忘れてしまったのが悔やまれます。

isoken
質問者

お礼

ex さん、こんばんは。 >今から8年くらい前、ロンドン経由でウィーンに到着した際に、12個のスーツケースがどこかに消えるという椿事に見舞われました。 チェックイン・ラゲージ が一時的に行方不明になるハプニングは、まま あるようです、特に接続便を利用する際に起こりがちなのでしょう、それよりもむしろ興味深いのは、 ex さんに振られた役回りの方。 VIP の纏め役は、卓越した 気配り ・ 目配り をお持ちの方にのみ可能でしょう、少なくとも 我が強く 率先して怒ってしまう私には絶対に無理、ただ 今思えばその昔そんな先輩は結構いたように感じます。 能力全般もさる事ながら、前後左右どころか痒いところに手が届く・・そんな人がです、私自身随分と世話になりましてね、そこそこ快適に宮仕えを終われそうなのもそんな先輩諸氏があってこそ・・、私の能力なんて 1 % もありません。 ヒラの分際で管理職並みに会社の金を使いまくり、気に入らなければ上司にすらろくすっぽ口もきかなかった私のようなやんちゃ坊主を、 陰に日向に庇ってくれた先輩がおりましたが、 やはりというか順調に出世の階段を駆け上がり、気に掛けても1文の得にもならない私の面倒を、最後まで見てくれました。 さすがの私も恩義に感じましてね、この人の 「 いざ鎌倉 」 には、何を置いても馳せ参じようと手ぐすね引いておりましたが、やはり私のような ボンクラ とは生き方の基本線が違うのでしょう、絵に描いたような ハッピー・リタイアメント でありまして、奥様と二人 悠々自適に暮らしておられるようです。 気の合った仲間を含めて、何度か一緒に個人的な旅行もしましてね、20何年も前に私がやらかした大失敗談を思い出し、感慨深げに何度か呟いたのを2~3度耳にしました、 「 isoken 君、あの時は楽しかったなぁ ! 」・・と。 >もともと道路などのインフラの悪い国だというのは聞いていましたが、ニューデリー近郊と、それ以外では地図に描かれた道が大違いの整備状況。 グルガオンの先の工業団地を視察し、タージマハルのあるアーグラーに行こうとしたとき、遠回りでも一旦ニューデリーに戻ってv字型に行くべきだったものを「県道のような道」を直線コースで行こうとしたのです。 インド は学生時代の貧乏旅行しか経験がありませんから、昨今の事は何とも言えないのですが、たった1度で満腹状態になり2度と訪れる気は失せてしまいました。 インドが良い悪いの・・勿論そんな思い上がった事は言えませんが、今まで私が訪れた外国で カルチャーショック を受けた場所はあそこしかない、言い換えれば、 インド のような土地柄こそ、宗教や哲学が生まれる素地があるとも言えるのではないでしょうか。 >私はインド人に責任と勇気というものはないと思っていたのですが、彼は違いました。無事わたりきり5人は拍手喝采。あまりうれしかったので、私は運転手にチップをはずむのを忘れてしまったのが悔やまれます。 比較的色が黒くなく 眉目秀麗な アーリア 系が今の支配階級ですが、 顔さえ見れば 社会的にどの程度に位置しているのか、凡その見当が付くと言います。 その ドライバー が カースト のどの階層であったかはともかく、正義感や責任感そしてモラルといったものが、所属する階層に概ね比例するのがインド・・、そんな無責任な先入観を持ってしまう事を、我々は反省せねばならないのかも知れません。 回答ありがとうございました。

回答No.10

いつも面白いお話を有難うございます。 私の 「それはないだろう」を 恥を忍んでお話します。 友達が涙ながらに語る話についほだされて 50万円貸してしまいました(10年前) 私は結構バカで頼まれると嫌と言えないのです。 その時はお金もあったので (それを狙われたのだと思いますが) 貸してしまいました。 ところがある時 突然お金を返すわと言ってきて 50万円返してきました。 しかしその後1ヶ月経った頃 あの50万円は人から借りて貴女に返したのですけれど どうしても1時的に通帳にお金のある事を見せるだけなので すぐ返すから、もう1度7日間だけ 貸してもらえないかしらと言われ 一応返してくれた実績もあるのでと 又その50万円を貸してしまいました。 そして その後その50万円はいまだに戻ってこないのです。 後で判った事なのですが、 彼女は其の1ヶ月の間に生活保護の申請をして通り その時区役所の福祉課に50万円の借金をしているのでと 申請し、区役所から50万円の返済金をもらい 私の口座に振り込み借金を返したという証拠を見せて 其の後私からもう1度その50万円を借りて 自分のものにしてしまったのです。 返してくれた50万は区役所から出してもらい それを私から又借りると言う手口で 区役所からだまし取ったという事になりますね。 私はそれを彼女の友達から聞いてびっくりしました。 そんな・・・詐欺じゃないの。 (3年くらい経ってからです。) 彼女は そのことを自慢げにその友達に言っていたそうです。 まぁ。私も利用されたのですから 自分の馬鹿さ加減にあきれ果てていますが 保護課に上手く泣きついてよくそんなことが出来たと思います そしてつい最近電気代が払えないので 10万円貸してくれないと電話があった時には 私は飽いた口がふさがりませんでした。 よくそんな事が言える、どの口で言っているのと思いました。 「それはないだろう」と思いません いい年をして お恥ずかしい話ですが そんな事もありましたよ 本当の話です。  

isoken
質問者

お礼

purimuro-zu さん、こんばんは。 >友達が涙ながらに語る話についほだされて >50万円貸してしまいました(10年前) >私は結構バカで頼まれると嫌と言えないのです。 >その時はお金もあったので >(それを狙われたのだと思いますが) >貸してしまいました。 公的金融機関の利用が叶わず、友人知人を頼るしかないほど切羽詰まった方が、その追い詰められた状況故に 有無を言わさぬ迫真の演技者となる事、御承知の通りです。 他人に頭を下げ、金を借りる事の惨めさを考えれば、まだしも貸す立場の方がましだとは思いますが、ただ世の中には他人に迷惑を掛けて申し訳ないという感情すら麻痺した借金の常習者もおられるようで、そうなるともう詐欺漢と何等変わるところがない、その辺りが悩ましいのもまたその通りでありましょう。 そうした方々の極めて顕著な特徴は、先ずは率先しなければならない血の滲むような努力を簡単に放棄して、安易に他人に縋ろうとする点にある、更に意地悪く言いますと、常日頃 自分の交友範囲の中で甘い相手を 鵜の目鷹の目 で物色している訳で、 大変申し上げ難いが、 purimuro-zu さんはその種の甘い相手と認識され、その優しさに付け込まれたという事であろうと思います。 本来の私は purimuro-zu さんタイプ・・、 フィクション にすら涙腺が刺激され直ぐに涙ぐんでしまうほど、どうしようもないぐらい情に弱く、他人の窮状を目の当たりにすれば、財布を空っぽにしてでも何かして差し上げたくなるのです、ただ私にも生活がありますから・・。 そこでどうしたかというと、他人に無条件で何かしてやるほど甘い男ではない自分を敢えて長年装って来ました、痛いほど自分の甘さを認識しているが故に・・、その為 今では特に仕事関係に於いて、クールで酷薄・・そういうイメージが定着しているはずですが、それでいいと私は思うのです。 何より 他人を利用しようと意図する輩が、近付いて来ないメリットは小さくないでしょう、人間は イメージ に弱い特性を持ちますからね。 >そしてつい最近電気代が払えないので >10万円貸してくれないと電話があった時には >私は飽いた口がふさがりませんでした。 御自身が一番お分かりでしょうが、 purimuro-zu さんの優しさが、その方の心の琴線に触れる事は未来永劫ないと断言出来そうです、むしろ借りやすい手頃な金額を提示して来る分、より悪質だとお考えになった方が宜しいかも知れない。 何等メリットを齎さない交友関係は、酷薄に切り捨てる事をお考えになる事こそ、今の貴女に必要な事であろうかと思われます、差し出がましいようですが・・。 回答ありがとうございました。

  • angelo77
  • ベストアンサー率15% (304/2021)
回答No.9

こんばんは。 以前書いたかも知れませんが、インドとパキスタンの間に横たわるタール砂漠でキャメルライドした事でしょうか。 約1週間、ターバン巻いたラクダ使いに先導され、日がなポクポク砂漠でラクダに揺られました(大した距離は歩いてない)。 食事は砂漠でカラカラになったラクダのフンを燃料にラクダ使いが焚き火を起こし、毎食鉄鍋でチャパティと野菜カレー、甘くて濃厚なチャイを作ってくれました。 フンを拾って火を起こし、チャパティ捏ねてカレーの野菜刻むまで手洗い無しです。 水が貴重なので、食器や鍋は砂で擦って終わり。 夜はラクダがながーい月影を作り、ゲボゲボ反芻する音が聞こえる中、焚き火の周りに布団を敷いて野宿。 満天の星空、耳がキーンとする程の静寂、時々焚き火が小さくはぜて、月明りに照らされる砂漠の奥に蠢く妖艶な存在を感じました。 タール砂漠はかつて海底だったので、時々砂の割れ目に貝やアンモナイトの化石が見えて楽しいです。 湿気が無いので菌が発生出来ない為、焚き火しても虫も来ずお腹も壊さず快適でした。 1度だけサソリを見つけましたが、あっ!と言った途端にラクダ使いに踏み潰され焚き火にポイ、、、人間に大した害は無いけれど、ラクダがショック死するから生かしておけなかったとの事。 砂漠は快適だったのに、帰りに寄ったムンバイの5つ星ホテルで食事してリバース&お腹下したのが長引いて、帰りの飛行機の中でも酷い目にあいました。 砂に残ったヘビの這った後が波模様で綺麗だったなぁ。

isoken
質問者

お礼

angelo さん、こんにちは。 >以前書いたかも知れませんが、インドとパキスタンの間に横たわるタール砂漠でキャメルライドした事でしょうか。 ディープ な体験をされてますね、 タール 砂漠というのは初めて聞きましたが・・。 パキスタン には2度行きました、最初は19歳の時です、 インド に隣接する ラホール から入りましたが、小悪党が多くて余り良い印象の土地ではありませんでした。 その後 カイバル 峠にほど近い ペシャワール に移動しましたがここは良かった、特にその バザール に感激しましてね、長居を決め込んでいる間に ソ連軍が侵攻して、隣の アフガニスタン には遂に辿り着けず今に至ります。 >食事は砂漠でカラカラになったラクダのフンを燃料にラクダ使いが焚き火を起こし、毎食鉄鍋でチャパティと野菜カレー、甘くて濃厚なチャイを作ってくれました。 パキスタン のそれは覚えておりませんが、 インド の チャイ は何故あんなにも美味いのかと何度も思いました、気候的なものなのかそれとも製法に依るものなのか・・、所謂 ミルクティ とは明らかに作り方が違いますよねぇ。 >夜はラクダがながーい月影を作り、ゲボゲボ反芻する音が聞こえる中、焚き火の周りに布団を敷いて野宿。 いや これも ハード ですね、 ジョン・フォード と ジョン・ウェイン の西部劇みたいで・・。 >タール砂漠はかつて海底だったので、時々砂の割れ目に貝やアンモナイトの化石が見えて楽しいです。 そういう見聞と知識の堆積とが、旅行に欠かせない醍醐味の一つなんでしょう、何も大都市ばかりが能じゃない・・特に 古代文明が発達した アジア の旅はそうですね。 よく 名古屋 をほぼ中間点とした、 箱根 以東の文化と 鈴鹿の関 以西の文化の違いに例えられますが、東南アジア に於ける 中国 と インド の影響力って肌で何となく分かるんです、風俗・食事 或いはその他の面で。 >砂漠は快適だったのに、帰りに寄ったムンバイの5つ星ホテルで食事してリバース&お腹下したのが長引いて、帰りの飛行機の中でも酷い目にあいました。 タフ な地域を旅行する際、最も気を付けねばならないのはそこでしょう、他国との比較に於いて、我々日本人というのは、普段 真綿で包んだ無菌状態で暮らしているようなものですから。 貴重な体験談・・、ありがとうございました。

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