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相手が犯罪を自分に犯しそれを契機に自分が相手に幸せ
相手が犯罪を自分に犯しそれを契機に自分が相手に幸せになって欲しくないと負の心を抱いた場合で この場合犯罪を犯す相手が悪くてこの気持ちになったのも全て相手の責任なので例え犯罪行為やっても許されていいと思いますがこれが有罪の論理を教えてください。
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犯罪を犯す相手が悪くてこの気持ちになったのも全て相手の責任なので ↑ 総て、というのは無理があります。 そういう気持ちにならない人もいます。 だから必然ではありません。 そんな気持ちになる人の責任もあります。 例え犯罪行為やっても許されていいと思いますが これが有罪の論理を教えてください。 ↑ そんな気持ちになる人の責任、という部分がある ので有罪とすることが可能になります。 専門的には、期待可能性の理論、といいます。
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- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6877/20341)
やってはならないのではなく やると罰を受けるからやらない ということです。 法律の文章には 人を殺してはいけないということはどこにも書いてありません。 人を殺すと罰を与えると書いてあります。 宗教用語では 「復讐するは我にあり」というタイトルの小説がありますが キリスト教からとったタイトルで 「我」というのは「神」のことです。 悪いことをした相手に人が復讐してはいけない 罰を与えるのは神のすること 人間社会では 国家が罰を与えるので 個人で復讐するな というのが刑法の精神です。
- goncici
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個人的に復讐をする、いわゆる私刑は憲法で禁止されているからです。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6877/20341)
例えば 北が日本にミサイルを撃ち込んだら 相手国にもミサイルを撃ちたくなります。 そして実行します。 国家としてそれを行えば 誰からも罰を受けることはありません。 個人が同じことをすると 法治国家の一員なので 法律に基づいて有罪にされます。 国家と個人の違いです。
補足
その個人で何でやってはならないのでしょうか?
あいつに俺の子供を1人殺された・・・ たしかどこかの銀行員が やられたらやり返す倍返し と 言ってたな、そうだあいつの子供を2人殺そう。 まさに 私刑・私的制裁だ!! が、ダメなのは あいつにも僕にも同じように 基本的人権の保障は及ぶ から だと思います。 そして 人権を守りあうのが人間 だと思います。 そうでないと国家としては、なりたたないし 犯罪者こそ人権が守られるべき、と考える人たちもいます。
補足
何故国家が成り立たないと思いますか?
補足
なぜ私の質問であるようなことが禁止なのでしょうか? その人からしたらその辛さに耐える理由がないので犯罪を犯すのは仕方がないと思いますが?