創価学会は民主化すべきではありませんか?
元創価二世です。中学生の頃に疑問を持ってやめました。
私の父は熱心な創価学会の会員で、大B長から副支部長にまでなりましたが、74歳で自殺をしてしまいました。
亡くなる前に父から手紙が来て、「俺は世の中が悪くなって行っているとしか思えない」と書いてありました。私は当初、意味が良く分からなかったのですが、父が自殺をした後に振り返って、この「世の中」というのは、実は創価学会のことを指していたのだと気が付きました。創価学会では、学会の批判をすると罰が当たるとして、体制批判を厳重に禁止しています。このような状況で、父は言葉を替えて、学会を批判していたのだと思います。
学会の運営は極めて非民主的です。会長の選任は池田名誉会長の一存で決まっているようです。会員による選挙等は一切ありません。重要な教義の変更も会員に一切相談がなく、当局が一方的に決めて、上意下達で会員に伝え、信じさせます。例えば、創価学会はかつては宗門が配布する本尊だけが唯一正しいのだとして会員に拝まさせていましたが、宗門と仲違いして離別した結果、創価学会独自の本尊を作って配布し、会員に拝ませるようになりました。また、かつて戸田第二代会長は「創価学会はお金がかからない宗教」と言ってお布施を否定していましたが、第三代会長の池田氏(現名誉会長)になると、昭和50年頃から財務と称して、会員から多額のお金を徴収するようになりました。さらには、かつては自民党を「金持ち政党」と言って敵視していたのに、10年ほど前に会員に何の相談もなく突然路線を変えて、公明党が自民党と連立、選挙協力をするようになりました。
私の父も創価学会のたび重なる方針転換について行けず、さりとて、学会は会員の疑問や批判は一切受け付けてくれないので、どうしようもなくなって、自殺をしてしまったのだと思います。かつて自分が他の会員や子供たちに言っていたことが覆されてしまったら、誰でも戸惑うことでしょう。特に、父は自民党が大嫌いだったので、自民党との連立に相当ショックを受けていたと思います。実際、父が亡くなったのは、公明党が自民党との連立を模索していた頃です。
父のような不幸を繰り返さないためにも、創価学会はその運営を民主化すべきだと思いますが、いかがでしょうか?
みなさんのご意見をお聞かせください。