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心映えの美学
- 心映えとは、心の働きを外に表すことを指します。
- 心映えは、思いやりや気立てといった要素を含んでいます。
- 最近ではあまり使われなくなった言葉ですが、いいカップルの結婚やファッションの選び方など、心映えを感じる場面はいくつかあります。
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exさん、こんにちは >「気立て」みなさんは、どんな場面で感じますか。 【与作/北島三郎】 ♪気立てのいいこだよ~とんとんとんとんとんとん♪ という、北島三郎さんの『与作』しか思い浮かばなかった(汗) つまり、この問題、私には難しいってことです(涙) (私は鈍感なので、気がつかない、感じないということです。) ただ、想像するに、 「心映え」も「気立て」も、内(心の容器)にある良いものが、外に沁み出てくるってことですよね。 つまり、心の容器にそれ(良いもの)が溢れるくらいに入っていないと、絶対に出てくることはないし、後から良いものを入れようとしても、既に悪いもの(不満等)が充満していた場合は入って行かないような気がします。 スポーツを楽しんだり本などを読み「心の浄化装置」を上手く機能させている人も居れば、 心の奥底にある美しい泉から良いものがこんこんと湧き出しているような人も居るでしょうね。
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- isoken
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ex さん、おはようございます。 >ベージュをベースに緑とえんじ色を組み合わせたボタニカル柄でとても 彼女に似合っていました。 ボタニカル柄・・奥様にもお薦めだと思います、実はあんな感じの洋服を家内が何着か持っておりまして、ここだけの話 とっても可愛い・・でも口には出しません、増長しますからね。 ところで ボタニカル 、英単語としての意味は別として何か聞いた言葉だなぁと考えたところ、 我が第2の故郷 シンガポール の ボタニック・ガーデン を思い出しました、蘭の名所として有名なところです、観光名所そして シンガポーリアン の憩いの場でもある、 ex さんも行かれましたでしょうか? そう言えば以前、 グッドウッド・パーク に投宿した事があると言われておりましたが、あそこの ガーデン も美しいですね、高級ホテル・ラッシュに沸く昨今ですから何とも言えませんが、私が知る グッドウッド・パーク は長い事 ラッフルズ に次ぐ格式を持つ由緒正しいホテルでした、 シンガポール に関してはその何もかもが懐かしいのです。 >さて、最近めっきり使われなくなった「心映え」「気立て」 みなさんは、どんな場面で感じますか。 中年以降はその人の生き様が顔を作る・・そう言いますよね、蓋し名言だと思うのです、 その点は初対面でも何となく分かるものでありまして、「 心映え 」 の優れた方は概ねいい顔をしておられる、 「 気立て 」 のいい方はその良性が滲み出ている。 見過ぎ世過ぎの為、誰とでも付き合わねばならなかった過去はそれとして、今後はそういう方々とだけお付き合い願いたいものです。
お礼
(続けてシンガポール談義で失礼します) シンガポールにとって観光施設の失敗というのはめったにないことだったようで、その後「暑いなら、これでどうだ?」とばかりに2010年に水桶担いだようなホテルを開業しました。よく御存じのマリナベイサンズ屋上プール。全長 150m、世界最大の屋上プールは今やシンガポール最大の名所。これは、世界中に例をみない涼しげな光景ですね。おまけに誰しもがいちど、屋上の水面をのぞいてみたくなります。 私はここはまだ行っていません。 カジノはさておきマリナベイサンズは行きたいです。 シンガポールのほかにベトナム・ミャンマーはなるべく早く行きたいです。 >ボタニカル柄・・奥様にもお薦めだと思います、実はあんな感じの洋服を家内が何着か持っておりまして、ここだけの話 とっても可愛い おっと。ごちそうさまです。 女性のセンス、趣味の良さはまさに心映えにつながるものですね。 志乃さん、ねじねじさんのカップルなど有名人のご夫妻、どこかに 自分たちが目指すものを服装に表現というか「染み出る」ように 感じます。 一緒に外出する際の奥様のお洒落をご主人がそっと楽しむ。これってちょっと秘密めいて貴族的な淫靡な香りがして私は好きです。 男が連れの女性のうきうきする心を察知して自分も笑顔になる。 女性のお洒落の神髄かもしれません。 愛のあるお洒落なご回答ありがとうございます。
補足
isokenさん こんにちは 点心の蒸し器の蓋をあけたような、南国の熱気にあふれるチャンギ国際空港。 あの空気は独特のものでした。あ。これぞアジアの熱帯モンスーン気候。 空港を出てオーチャード通りのホテルを巡回するバスに乗ると、ほどなく道路を一段あがった丘のうえにコロニアル様式の風情ある佇まいが顔を覗かせました。ハイシーズンでもないのに、希望したラッフルズホテルが満室でまわされたグッドウッドパークは、旅行社がブルネイの王室の定宿だというふれこみの高級ホテルでした。 当時の私はブルネイであろうがモルジブであろうが区別がつかず。ヘミングウエィがダイキリ飲んでなきゃどこでも同じ、最初から気合はいらず家族旅行のツアコンよろしくかけまわってました。 そもそも数年前から共働きの我が家はずっと孫の面倒を見てもらった謝恩の慰労旅行の意味をかねて子供3人に義母を交えた結婚後二度目の海外旅行でした。 メゾネットの長期滞在対応の広い客室。横たわると水没しそうな大きなバスタブ。ラグジュアリーな朝食。みんな貧乏パッケージツアーでいった北欧の旅の比ではありませんでした。まだ、ショッピングモールの出来る前のセントトーサ島、植物園・動物園をめぐり、清掃の行き届いた街におどろいたのと同時に、1990年代前半にできたという日光江戸村と明治村の合体したようなタン・ダイナスティシティなるテーマパークを観てさらにおどろきました。 これ、香港にあるならわかるけど、なんで赤道直下なの? アトラクションの演者はみな唐の時代のチャイナ服を着こんでいて観ている方が暑くてたまらん。案の定1999年に閉鎖になったようです。高所のロープアクションなど香港映画の技術の粋を集めたアトラクションは見応えのあるものでした。〈続きます)
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お礼
オヤジーコさんこんにちは。 いや、与作は思いついていたんですけど、先に言われちゃったですねw >ただ、想像するに、 「心映え」も「気立て」も、内(心の容器)にある良いものが、外に沁み出てくるってことですよね。 つまり、心の容器にそれ(良いもの)が溢れるくらいに入っていないと、絶対に出てくることはないし、後から良いものを入れようとしても、既に悪いもの(不満等)が充満していた場合は入って行かないような気がします。 スポーツを楽しんだり本などを読み「心の浄化装置」を上手く機能させている人も居れば、 心の奥底にある美しい泉から良いものがこんこんと湧き出しているような人も居るでしょうね。 すばらしい説明です。私が探してきた「例文」が不要になってしまいました。 ご回答ありがとうございました。 心映えの用例 蛇足ですが (1) ・・・・それよりは、やはり愛情が豊かで義侠心があって、心ばえが清潔で感激心を持っておるといったような徳のほうが立派だと思うだろう。つまり言うまでもなく「徳」が本幹であって、「知」や「技」は枝葉である。・・・安岡 正篤 ・・・・第一は、他人の思惑を気にかけ、後日の沙汰を恐れる心ばえから義を行う人であり、これは「人を恥じて義を行ふ人」である。いわゆる世間体、世間の目を恐れ 笠谷和比古 (2) ... このワナメーカーの倫快な創案に示唆を与えたのは、アンナ・ジャルビスというある田舎の娘が、亡き母へのあふれるふうび思慕を白いカーネーションの花にこめて、追悼会を開いたゆかしい心ばえであった。これが今世界を風魔して ..村岡花子 - http://moon.ap.teacup.com/sottovoce/257.html (3) きっと、助ける」まわりにいたハイダルもイスマイルもフラザーも皆、いちようにちからづよく領いた。「これ、約束の手紙」伝造はくちびるを噛み締めて涙をこらえ、ウシュクの手紙を懐に入れた。もちろん、トルコ語で書かれた手紙を、伝造が読めるはずもない。伝造さん、ほんとうにありがとう。あなたたちが、あの猛烈な嵐の中、身の危険も顧みずにわたしたちを助けてくれたことを、わたしは生涯、忘れることはないでしょう。わたしたちのために命を懸け、なけなしの食料を与えてくれた、あなたたちの美しい心映えを、わたしたちは ... (4) 心映えの美しさ…というものがある 心映えの美しさを取り戻さねばならぬ、どんな逆境に陥っても不遇なときがやってきても卑屈にならず誇りを持って毅然と生きねばならぬ、なくしてしまった何かを甦らせねばならぬと、まるで時代劇の主人公のように僕は決意した。十河進 http://bn.dgcr.com/archives/20061006140000.html https://books.google.co.jp/books?id=qRQuDwAAQBAJ (5) 彼女については井原西鶴が「好色一代男」(天和2年;1962)の中で『稀代の太夫』とほめており、心映えの深さ、やさしさ、美しさ、才芸の全てを兼ねそなえた理想的な女性であったらしい。中期には可隣で清純な愛敬のある町娘が美しいひととして評判になり、鈴木春信や喜多川歌暦の描く浮世絵に多く出てくる(図4)。江戸の後期ではいろいろな社会的抑圧の中から生まれた美意識「粋」が主体となっているが、辰己芸者がその代表である。彼女達の美しさは、上品というより軽さの感じられるもので、今日の尺度では美しいとは ... (6) 私たちは、瞬間瞬間に思ったり、感じたり、考えたりはするものの、なかなか心を定められない。 次々と眼や耳などへ届く外的刺激、あるいは、習慣となった心身の欲求に身を任せがちである。 実に、「覚悟」という生き方の切り替えは難しい。また、自分の心からあふれ出しているもの(心延え)や、心というスクリーンに映し出されるだけでなく、時には他人のスクリーンにも顕れ、態度にも滲み出る心の内容(心映え)を観ることも容易ではない。 それを放置したまま、他人や社会の景色にばかり肉体の目も心の目も奪われ、好き嫌いや損得でそれらと距離を定めつつ、日々を暮らす。 実に、美しい「心映え」はつくられにくい。