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健常者になってハッピーエンド

目の見えない登場人物が、最後に目が見えるようになってハッピーエンド。という話は差別なのでしょうか? 目が見えない人を侮辱しているなどという意見があったので、質問させていただきました。

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  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1351/3665)
回答No.4

その作品の言わんとしているもの次第じゃないでしょうか。 たとえば。 目の見えない主人公が「目が見えないから自分は不幸なのだ」と考えているとして。 目が見えるようになったことで、どんな変化が訪れたのか。 ・自分に自信がついた(ハッピーエンド) その後  →自分の経験を生かそう  →見えない人間を見下すようになった  後者であれば、人間の本質は障がいがあろうもなかろうとも変わらないと言えますし、あえて障がい者を主人公に選んだだけで、訴えたい本質は別のところにあるという場合もあります。 この手の批判て、案外表面的なものの見方・受け取り方をしていることも多いです。 その作品の本質を知ろうとしたのか、作者の描いたテーマをより深く知ろうとし、その上で語っているのかどうかも、意見を聞く上では大切な判断材料になると思います。

sikatani777
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。表面的なものの見方をして批判する人には、健常者が多いですよね。何故なんでしょうか?

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その他の回答 (3)

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.3

壺阪霊験記などがそうですね。 壺阪霊験記は今の感覚では冷静に見ればひでえ話*だなあと思いますが、当時は夫婦愛とか自己犠牲とかの話として受けたのでしょう。また演者のうまさで滝壺に飛び込むシーンなどがおもしろくスリリングに語られます。 浄瑠璃とか講談浪曲はけっこう教育臭のあるエンターテイメントで、この話にも当時の時代的なイデオロギーは濃いのだと思います。 *(盲の夫が妻の足手まといにならないように滝壺に飛び込んで自殺するが神のご加護で目開きになって救われる話) まあそれはともかく、盲人が盲人のままでは幸せになれないとするのは、今の考え方=盲人や障害を持っている人は社会の中で健常者と同じように幸せになれるようにしようという考え方とは逆行した考えだと思います。 壺阪霊験記が今の目で変だとは言っても私はこのお話を全否定する気にはなりません(実は結構好きです)が、ひどいところもあるとはわかっておかないと現代の人としてはダメでしょうね。

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  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2484/6033)
回答No.2

描き方にもよりますよね。 例えば,大好きな恋人の顔が見たい。目に見えない方がいいと思う事もあるけれど,でも触った感触だけでなく,自分の目で見てみたい。 そう思っていた主人公が,いろいろな困難を経て見えるようになった。 相手の顔は想像していたとおりの顔だった。 ここだけにフォーカスを当ててあれば差別感は出ないでしょうけど, 目が見えなくなって,電車で邪魔にされたり,お店で入店拒否されたり,疎外感孤独感を感じ盲目は人生終わったも同然だと思った。的な事を書いて,やっぱり目が見えれば最高だ。という結末であれば馬鹿にしているのか?と目の見えない方が聞けば思うかも知れません。当然その物語を本で読むのはその盲目の人の関係者であり,そのような表現に本人よりも過敏に反応する人達なのだけれども。

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回答No.1

内容によるかと思います。 そういうので騒ぐのはそういう障害や外見では無い人たちですよね。 昔童話「ちびくろサンボ」が一斉に絶版になり書店から姿を消しましたが、そのような偏見差別が原因でした。 ちゃんと読めば少年が知恵で悪いトラをやっつけるという話で差別だとは感じない。むしろかっこいいと感じましたよ。

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