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都立国立高校と立川高校の偏差値の差は?

両高校ともに都立のトップ高ですが、国立高校の方が立川高校より偏差値が5ぐらい高いようです。 私が高校を受験したころは学校群制度があって、両高は同じ72群にあって受験生は合格しても高校は選べませんでした。 立川高校の方が府立二中(国立は19中)という歴史もあって、鈴木元都知事の出身校でもあり、国立高よりも人気があっても良さそうに思うのですが、この偏差値の差の要因は何なんでしょうか。

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  • yoisho
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回答No.3

丁寧なお礼、ありがとうございます。 回答はあくまでも私見ですので、話半分くらいで読んでいただきたいのですが、 私が特に大きな要因と考える「学区制」について補足します。 '82年に学校群制度が廃止され、グループ選抜制度が始まりましたが、 その際、実質一つの学区だった多摩地区は、四つの学区に分けられました。 立高は第八学区(東大和、武蔵村山市と青梅線、五日市線沿線) 国高は第十学区(国立、府中、調布、三鷹、狛江市、稲城、多摩市) の受験生しか受け入れることができなくなったのです。 (これは高校ではなく東京都の方針ですので、OB会も口出し不可) 進学実績は地域の優秀層をどれだけ集められるかが鍵になりますが、 立高の学区は人口が少なく、教育意識も微妙な地域であり (これまで大票田だった八王子市や立川より東側の市部からは受験できなくなった。) この時点で既に、国高の学区と比べ大きなハンデが生じていたわけです。 そして第七学区(八王子、町田、日野市)でトップ校となった八王子東は、 (新設校ならではの特色を生かし?)この時代に進学実績を伸ばして行きました。 この地域には有力な私立進学校がなかったことも一つの要因でしょうか。 また、国分寺(第九学区:中央線の北側)は、 学区割のため旧72群へ進学できなくなった受験生を武蔵と東西で分け合い ポジションを上げたと考えられます。 参考までに、当時都立高の中で高い進学実績を上げていた高校は、 戸山高:第二学区(世田谷、目黒、渋谷、新宿区) 西高:第三学区(杉並、中野、練馬区) 人口が多く教育意識の高い地域が背景にあったと言えるでしょう。 なお、日比谷の第一学区は都立の実績低下が特に激しく、 優秀層は国私立へ進学する図式が完全に出来上がっていたようです。 学区制は'94年の単独選抜制度導入時に多少緩和されましたが (他学区から定員の20%受け入れ)完全に撤廃されたのは2003年。 この間に中学受験が盛んになり、都立全体の進学実績はさらに低下。 東京~私立高校(中学)という選択が可能な特殊な環境下では 学校群~学区制といった高校入試改革は、 当初の目的とは異なり、別のひずみを生んでしまったのかもしれません。 近年、都立復活といったことを耳にしますが、これは一部の高校。 かつて名門だった小石川や両国は、中高一貫という別の道へ舵を切りました。 そんな中、立川高校はよく頑張っている方だと思います。

pomelofamilyjp
質問者

お礼

重ね重ねアドバイスありがとうございました。 そうですか。 日比谷、国立などの都立トップ高が減ったのは 都の教育行政の影響だったんですね。 日比谷と同じ学校群だった三田は三番手まで 落ちたようですし、多くの旧都立トップ校の復活は 難しいようです。 旧都立準トップ高の卒業生としては寂しいですが。

その他の回答 (2)

  • yoisho
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回答No.2

自分の投稿を読み直してみると、 八王子東の存在も無視できないように思えてきました。 立高のような伝統校は、先輩の実績や地域の信頼等強みがあるのですが、 逆にOB会の影響力が強く、大胆な改革が難しいという側面もあります。 (行事やクラブ活動の継承等~生徒が忙しく、受験に特化できない等。) 一方の八王子東は新設校であり、特化した受験指導をやりやすい面があります。 受験業界では、偏差値に比べ進学実績が高い(最近若干低下傾向ですが) コスパの良い(周囲が田舎で予備校がない→実績は学校の成果?)高校と言われていました。 (これが行き過ぎて、必修の倫理が3年生の一部に未履修となった問題を起こした実績もありますが。) 八王子東が急速に進学実績を伸ばした結果、 学校群廃止後に、東西の優秀層を国高・立高で分け合う図式が崩れ (西は八王子東に持っていかれる。) 結果、進学実績を残せなかったのも格差の要因になっているかもしれません。 一橋大学に挟まれた、おしゃれな店が並ぶ桜並木の学園通り。 一方は、ゲーセンとラーメン屋の角を抜ける通学路。 (ただし、通学路に立派な駿台予備校ができたのはプラス材料?) 立地のイメージ的にも、立高復活は険しい道かも知れません?

pomelofamilyjp
質問者

お礼

重ねての回答ありがとうございました。 確かに伝統に固執する旧制中学よりも 現実の大学進学に特化した新設高の方が 受験生には魅力なのでしょう。 ただ国立の環境の良さは分かりますが、 ラーメン屋、ゲーセンに加えアニメイトも ある立川の雑踏感も捨てがたいようにも見える のですが、最近の優秀な高校生は学校帰りに 寄り道なんてしないんですかね。

  • yoisho
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回答No.1

まず、学校群時代の進学実績ですが、 当初は例えば東大合格数では、立高>国高でしたが、 (立高の方が男子生徒数の比率が高かったことが要因の一つ?) '80年頃を境に逆転しています。 (国高の進学指導?立高の自由な(すぎる?)校風?) そして決定的だったのが、その後のグループ合同選抜制度での学区割。 国高の学区は、高級住宅街で文教地区の国立市をはじめ、 比較的高所得の三鷹、調布市や、新興住宅地(教育意識が高い)の多摩市など。 一方の立高の学区は立川から北西方面で、比較すると所得、教育意識が相対的に低いエリア。 それぞれが学区のトップ校であっても、最上位層の厚さが違います。 進学実績に差が出るのはやむを得ないでしょう。 その後単独選抜制度となり、やがて学区制度も廃止されましたが、 進学実績の差は、高校の格付けとして残りました。 皮肉にも、学区は違っても両校は隣接地域にあります。 国高合格の学力があっても、通いやすさであえて立高を選ぶ生徒は僅か。 (八王子市や奥多摩の優秀層は、グループ選抜時期に進学実績を伸ばした八王子東へ流れるし、) 多摩トップと二番手のポジションは、固定されてしまったように思います。 蛇足: 新入生全員参加の立高の遠泳、終わってみれば良い思い出になるのですが、 これを不安に思って、八王子東や国分寺に流れている受験生は少なからずいます。 廃止(あるいは希望者のみ参加に)すれば偏差値が1くらい上がるかもしれないけれど、 多分紫芳会(OB会)が許さないだろうな。

pomelofamilyjp
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 学校群制度のあとに学区割というのが あったとは知りませんでした。 強いとされる立川のOB会がよく認めましたね。 八王子東というのも聞いたことがなかった のですが、進学実績重視で高い偏差値を獲得 したとのこと、勉強になりました。 国分寺と立川で国分寺を選ぶ受験生がいると いうのは驚きです。 私の時代は国分寺は72群の国立、立川は言う に及ばず74群の武蔵、三鷹の次の立ち位置 でしたので。