アメリカの話ですが、パソコン通信時代にあるフォーラムがオフ会をしたら、そのフォーラムの有力な人が実はホームレスで図書館のコンピューターを使っている人だったという話があります。
私はこれをいい話だと思うのです。
「だれもが」というのはそういうことではないでしょうか。
身体の不自由な人とか、お金の不自由な人とか、機械が苦手とか、子供とか老人とか、そういうユーザーも考えられます。というかそういう方向で考えてはいかがでしょう。知的サービスから排除されそうな人を考えるというようなことです。
足湯とかカフェというのは図書館業務とは関係無いサービスですよね。
あってもいいけれどそれを「図書館として充実した」と捉えるユーザーはどれだけいるでしょうか。足湯とかカフェのユーザーは増えると思いますが。
たとえば公共交通に求められるサービスは利用者の少ない早朝にもきちんとダイヤを組んで走らせることだと思うのです。
今公共図書館の多くが丸投げ委託で「民営化」されていますが、本来収益は期待できない事業であることはどうにも変えられないでしょう。
敷地の一部で図書館業務ではない商売の場所を賃貸して収入を得ることは公営であっても可能だと思いますが、図書館の仕事自体で儲けられるかというとそれはあり得ないと思います。
自治体の公民館だとか図書館だとかのカフェはテナントを入れても経営が成り立たないので撤退というケースがとても多いように思います。
だったら自販機コーナーを充実させたほうがましではないでしょうか。
病院の売店というものがありますが、あれでいいのかどうかなど(私はわりとがっかりします。売っている物も関係ありますがデザインとしてあまりに機能むき出し。)考えてみてはいかがでしょうか。
機能さえ満たせばいいとないがしろにされている部分こそデザインの仕事の可能性がある所だと考えます。
設備の追加ではなくて「場所」として気持ちの好い空間にする工夫は可能ではないでしょうか。商売ではただで使える場所を居心地よくするなど考えにくいことですが。