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50年前と今とで一番変わったのは人のどこ?

できれば60歳以上の方に質問です。 50年前の人々と、今の人々とで一番変わったなと感じるのは どういう所ですか? またもし変わらないなと感じる所もあれば教えて下さいますと幸いです。

みんなの回答

回答No.12

お邪魔します。変ったのは‘同胞感’でしょかね、昔は街で見知らぬ人でも、 同じ日本人なら、何となく信頼出来るよな、仲間の感じが有った哉⁈ 同胞とは、その意味でしたね。~往来や雑踏でも、今よりは未知の人にも話しかけ易かったと思います。~私は子供でしたが矢張り知らないオジさんオバサンから話しかけられた。 だから逆に〈知らない人に付いてっちゃダメ!〉とも教わった。 昭和が終る位迄ですかねぇ。~ナンパや声掛けでも、人でなしの様には思われないし、其れほど無視もされなかった。一言で言えば皆さん人当たりが良かった。 世間と、人様、と云うのが有って、大事にされてたですね、 夜間の運転でも、対向車の為に、交差点ではヘッドライトを消すのが常識で、皆さん当たり前の様に実践してましたね、暴走族でさえです。今やタクシー運ちゃんだけだなぁ 一度外へ出れば何人もの敵が居て〉と言っても、一般を敵視はしなかったし、他人を只の風景や、‘物”とは見做さなかったです。~渡る世間は鬼ばかり”ではなかったね 今も、世界に対して優しくはあるのでしょう、只「袖触れ合うも他生の縁」の隣の人に冷たくなった哉〈万人を博愛する者は、隣人を憎む〉カラマーゾフ。そんな感じ ~左翼セクト主義が広まってからかな、仲間内だけ、村宇宙、separatism, で、社会が細く分断されたのは。 一部右派の拝金主義が勝ち誇ってからの「勝ち組-負け組」などと云う、さもしい差別も昔じゃ考えられなかった。自己責任論とかも、保険屋の思惑だな屹度。 昔の保守派はも少し人情や思い遣りが有りましたぜ、トホ。 今でも、アフリカや東南アジアでは街頭にて、談論風発の様です。

noname#228046
質問者

お礼

原因の1つはTV社会になった事かもしれませんね。 色々な殺人事件が連日報道されると人々は恐怖し警戒し自衛する。 しかし見知らぬ他人に殺されるのは年間70人未満。 他人に殺される心配以上に気を付けるべき死因は山の様にあるが、 人々は反応し恐怖する。 ヒッチハイクした若い女性が殺された事件などから ヒッチハイクへの警戒心が急激に高まったり、 親の兄弟が子供を近親相姦する事例があり親密さに警戒したり、 誘拐殺人遺棄事件などからあらゆる可能性が警戒されたり、 無知であれば恐れる事なく暮らせていたはずが、 TVを見てレアケースを知ってしまい、 煽られ恐怖し警戒し、そんな中を育った子供が親となり、 同胞感 というものが急激に薄れて行ったのかもしれません。 労働時間の多様化で地域交流がズタズタに壊滅し接点が失われ、 共働きの核家族や離婚で狭い狭い人間関係の中育つ子供が増加。 これらも影響があるのかもしれません。 「俺の酒が飲めんのか?」から急性アルコール中毒で死亡報道等で 出された酒を飲むのが常識という文化が崩壊したり、 若い女性のお尻を触るくらい当たり前という社会常識的風潮も 今では確実に犯罪となったり、様々に価値観や常識が変わり、 共通の価値観、常識が崩壊して通用しなくなり交流が難しくなった などの影響も、同胞感 の低下に噛んでいるのかもしれません。 >談論風発 国民の幸福度が高いと言われるブータンの若者も談論風発の様ですね。 日本は学生運動の果てに過激な集団が同胞殺しを大量にやらかしたり 日本赤軍が各国でテロをやった事で 理想に燃える事に対して酷く冷めた眼差しが広がったのでしょうかね。 民主化を叫んでみたけれど 自分の好都合な事ばかりが起こらず、エゴを力で押し付ける武力衝突 を泥沼化させてしまう事態も起こってしまいましたし、 理想に燃えて情熱のままに走った結果何が起こったか。 散々経験し散々見て、理想国家と呼ばれたソ連や北朝鮮の現実を知って 大勢の国民が失望した事で 議論する気も失せてしまっているのが今なのでしょうかね。 何だかんだありますが、人類社会から見れば恵まれた暮らしを実現し 世界で苦しんでいる人々を助けたいと活動する人も増えて居ますし、 昔の 土人 という言葉に含まれた悪いイメージの様な言葉からすると 今の日本人は比較的世界の人々に対して同胞的というか 対等に人として向き合おうとする精神が広がっている様な気もします。 実際どのような変化があったのかは解りませんが。 また、30年前は人を「犬や猫じゃあるまいし」なんて言い方で 嘲笑的、侮辱的に扱う人が居ましたが、 昨今は動物に対して上から目線というか差別的意識を持つ人も かなり減って来ている様な気もします。 人間に限らず生命に対する同胞感が広がりつつあるのでしょうかね。 色々な変化が現在進行形なのかもしれません。 違ったご視点のご回答ありがとうございました。

回答No.11

50年ちょっと前になると思いますが。 「中学校の先生は、怖かった」 熱意もあったのでしょうが、戦争も体験してたと思います。 それと、女性の先生が少なかったですね。 「女性は女神で、親父は雷でした。」 分かるかな、分かんねーだろうな。 自分が成長してるので、人の心は比較できません。 風俗で言えば。 「乞食や傷痍軍人がよく見かけられました」 「右や左の旦那様」は死語ですね。 「鼻たれ小僧が、沢山いました」 何が違うんでしょうね。 「公共心は、あまりなかった」 ゴミやタバコのポイ捨てはよくありました。 今のように、きちんと列を作ることは稀です。 唾やタンも道によくはかれてた。 犬の糞もよく踏んづけた。 川にコンドームがよく流れてた。 「貧乏だったが、将来の希望は有った」 頑張れば、必ず給料は上がり、将来の不安は殆どなかった。 「みんな中流だと思っていた。」 僕も昔は若かった。 年寄りは、みんないなくなった。

noname#228046
質問者

お礼

若者まで戦地に特攻などで送り込む為の教育をした後ですし、 組織や集団としての決意や覚悟までは簡単には消えませんし、 戦後の警察も色々聞きますし、そういう時代だったのですね。 >風俗で言えば。 そういう時代、そういう暮らし、そうした価値観だったのですね。 絶えず時代は変わり続け止まる事は無い。 そう思い知らされます。 50年後も私達が想像するより加速度的に変化が訪れるんでしょう。 価値観も暮らしも様々に。 ご回答ありがとうございます。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.10

ep3093 さん、おはようございます。 女性が車を持ち、運転しているという事かな?その自動車を所有するのには膨大な税金なんかがかかることくらいですかね。

noname#228046
質問者

お礼

そういう変化もあるんですね。ご回答ありがとうございます。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.9

こんにちは。 50年前は高校生だった私ですが、マイカーに対する価値観は今の人々と随分違ってると思います。 50年前当時は、運転免許を取得してもマイカーは高くて容易く買えない時代でしたので、社会人になったらマイカーを買うのが夢でしたが、今の若い人々はマイカーを買うのが夢ということはなく必死になって働く気持ちが見られないです。 また、当時は猛烈社員と言われる人々が居て残業や休日出勤の時間外労働が月に200時間を超えるようなことがありましたが、今の人々は月に100時間を超えるような時間外労働でさえ過労死になるような心身共に弱々しさになってると思います。 やはり、団塊世代と言われる人々が若い頃は今の若い人々とは逞しさが違ったように思います。

noname#228046
質問者

お礼

心身の身の弱さの原因の1つは車の普及でしょうね。 子供が気兼ねなく走り回って遊べる環境は 車の普及によって特に都市部で顕著に壊滅しました。 今でも5~9歳の死因の1位は不慮の事故(8割交通事故)だったはず。 10~44歳の死因の1位は自殺ですが、 5~24歳は交通事故による死亡は未だに高いものになっています。 車は社会を圧倒的に豊かに便利にしましたが、 常に多くの子供を殺し続けその親を嘆き苦しませ続けて来ています。 次は騒音や怪我などから遊べない場が増加した事でしょうね。 地域社会が希薄化する前は騒音や怪我が地域社会に周知され、 互いに配慮し叱り自制したり、全くの他人ではないから我慢するなど 社会の状況が違っていたのでしょう。 今は地域社会は崩壊し、配慮も叱る事も自制もない他人同士。 改善のしようもなく迷惑を被り続ける住人の苦情から それらを誘発するあらゆる行為を規制し罰則を設ける。 これは社会変化で当たり前に起こる事だったのでしょう。 立場さえ変われば誰もが当事者ならそう行動しそうに思えます。 あとは誘拐対策や学歴=生涯年収による受験熱の過熱でしょうか。 鍛えていない訓練されていない人間を突然戦場に送り出せば 呆気なく殺されてしまう。それに似た状況なんでしょう。 また、本人にやる気があり過ぎて自分の体力の限界を無視して 過労死するケースもあります。 誰も責任を取らず再発し放題な野放しにすると、 遺族はそれを放置する社会を狂った鬼畜集団と叫びかねず、 育児する女性達が明日は我が身と警戒し共鳴し始めかねません。 そして人々の不安や意志の集合が起これば それを酌んで社会を変えようとする者が支持をされるので 機を利用しそう動く人間も出て来て社会は変わって行くでしょう。 色々な流れがあって今になったのでしょうね。 海外旅行も昔は馬鹿みたいに高額だった様ですが、 今ではかなり安くなったみたいですし、 移動の低コスト化、情報の低コスト化、色々な変化が 立て続けに起こっているという事なんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

noname#229162
noname#229162
回答No.8

意識の面では、「平等・差別・優越感・劣等感」のあり方が変わっています。 高度経済成長下では、「皆これから伸びるんだから細かいこと言うなよ」みたいな意識があったけど、今はもう「格差社会」みたいに言われて、差は歴然としたものみたいに捕えられていたりします。 これは、まったくもって間違っていますよね。よくない傾向です。 人は、いつだって未来に希望を持って生きていくことが可能で、それを否定することは犯罪に等しいです。 昔は、ひな形があって、それにのっとってやれば誰でも幸福になれた。それはステレオタイプの幸福に皆が満足したからで、今は目標を定めて生きることが、個々の多様性のなかで難しくなっていますね。 でも、変わらないのは「心安らかに生きることを目指せば、幸福の青い鳥はもともと身近にいるということに気付く」ことでしょう。 60歳以上とご指定なので、それなりの人生観を語ってみました。

noname#228046
質問者

お礼

人間の脳は生まれて3年間に浴びた喜怒哀楽それぞれの量に応じて 喜怒哀楽に対する反応性に一生消えない傾向を帯びる。 ポジティブ/ネガティブな感情に影響されやすい人に対して 後付けの学習的な知恵で補正を試みようとしても現実には限界はある。 自分と他人は同じではなく明確に違う部分もやはり存在する。 人類に限らず母親は、些細な不注意で呆気なく死亡する子供を育てる為 些細な危険を雄以上に記憶し学習し反応し避けようとする。 それによってより確実に子孫を育てる者が生き延びて来た。 しかし人間社会は近年機械化の高性能化、電子化自動化が進行し、 昔の様に単純労働集団就職はできなくなり、 大手企業が品質改善大量生産で多くの需要を掴む時代になり、 技術とコストの壁で新規参入が難しい分野が増え、 個人経営の店などがどんどんコストと品質の面で追い詰められて行く。 未来に対する閉塞感が増えて行き、 子供の抱く夢を応援したくても先行きにかなり不安を感じやすくなった。 子供の父親も自身の未来に安心を持てず、 子供の母親は父親以上にかつ母親としての本能的にあらゆる不安を警戒し 子供の希望の先にある危険性を否定しやすくなっている。 あらゆる夢を現実的ではない苦労すると否定されやすくなった。 そしてあらゆる不都合な現実から目を逸らす架空のコンテンツが飽和し、 若者は架空のコンテンツの中に理想の未来や異性を見出し始めた。 しかし若者を過ぎると架空にも慣れ飽きて来る。 目を向けるのは好奇心や現実や史実になるのかもしれません。 人間は努力し努力し努力し続けても微塵も目的を達せないと 限られた人生でその努力は無駄だと認識し努力しなくなる。 こういう社会状況で努力は悲惨な人生に陥らない為の保険、 恐怖から逃れる呪縛の様に過ぎないのかもしれません。 何でも良いから努力していれば安心できる。何かの宗教的に。 衣食足りて富があっても幸せになると限らない事例や 孤独になる地獄のケースを知ってしまい、 富を我武者羅に求める愚者は減ってしまった。 >幸福の青い鳥はもともと身近にいるということに気付く 大規模災害などで多くを失って初めて 当たり前の幸せを意識する人も増え、 今はそう気付く人が増えて来ているのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。

  • roadhead
  • ベストアンサー率22% (852/3790)
回答No.7

一番変わったのは人と人のつながりでしょう。 とても希薄になったと感じます。 そして世の中に不満を持つ人がとても増えてイライラしている人が多くなっているとも感じます。 ちょっとした事でトラブルを起こしたり暴言や暴力を振るう方が多く電車などでのトラブルも増えているようです。 変わらないのは人間が愚かであるという事でしょうか? 未だに世界では貧富の格差がありますし争いも無くなっていません。

noname#228046
質問者

お礼

嫁姑問題で双方が不快な思いをし、核家族化が進行。 機械化、電子化、雇用の海外流出で雇用が不安定化し続け、 人が流動し地域社会の形成どころではない様な労働環境と 労働時間の多様化。 誘拐を警戒し大人を警戒し避けて育つ感覚に馴染み育つ子供達。 孤独な密室で育つ手の掛からない子供が歓迎され、 低刺激による感覚器の過敏化と孤独を選び精神が病む泥沼化。 10歳までの急成長し環境刺激に最適化される脳の孤独への適応と 対人関係への適応し損ねる事態の増加。 新入社員のメンタルの脆弱化が顕著と言われますが、 労働時間の多様化が進行した時点で 対人関係が様々な崩壊を起こし 連鎖的にこうなる宿命だったのかもしれません。 今更それを手放せない暮らしになってしまいましたが。 豊かさ、便利さの代償はかなり深刻だったのかもしれません。 10~14歳の死因の1位が自殺というのが特に。 車に気を付けなさいと言う前に、 子供の心の健康に気を付けなさいというべき時代になりました。 孤独な密室に慣れた親が子を育てれば 自然に過敏で病みやすい子になるのかもしれませんが。 「子供の命を守る」 という意志はありつつ、死因1位に対してあまりに無防備無思慮で 子供が自殺してから学校が悪い教師が悪い余裕が無かった知らなかった と喚く人を見ると、 まぁそりゃ死ぬだろうなと思えてしまう事もあります。 心の健康、人とのつながり。 正解は無いんでしょうけれど、 どうすれば10~44歳の死因1位を解決して行けるのでしょうね。 ご回答ありがとうございます。

noname#229162
noname#229162
回答No.6

一言で言いうなら「生活の豊かさ」ではないでしょうか。 お前んちだけだろうと言われると自信はないですが、衣食住すべてにわたって、質が向上し彩りが豊かになりましたね。 私の50年前は、中学一年生の子供ですから世間のことは記憶にありませんが お洒落に目覚める年頃でも、学生服のズボンにプレスを効かせてみるか、メンズクラブでみたリボンベルトを隣町のVANショップで買うくらいのことしかできませんでした。食生活に至ってはおやつのチョコフレークと、翌年に発売されたボンカレーを温めて食っていたぐらいで、美味いものを食った記憶がないのです。まず牛肉がめったに食卓に上がらないし、浜松の隣なので鰻はよく婆ちゃんがご馳走してくれましたが、たまの外食はデパートの食堂で食う五目中華。 一番今と違うのは住生活。 まず、50年前の家は、みんな狭くて汚い家に住んでいました。うちは母方の祖父が地主で土地はそこそこ広かったけど、前の道路は舗装されておらず、父方の祖父が山から切り出した木材で建てた家は、瓦ぶきの二階建てで見た目はいいが、木製の建具は冬寒く、断熱材などなくて夏は暑い。ルームクーラーは応接間にあって、そこに机を持ち込んで勉強と称して隠れて平凡パンチを読む日々。 犬も飼っていたけど、そのへんの野良が産んだ仔犬で、屋外で飼っていたから、あまり長生きしませんでした。 街の娯楽というものは映画とパチンコくらいですが中学生ですから縁がない。 生活格差という点では、昔はさほど大きくなかったですね。そりゃクラスに一人くらい金持ちの子はいましたけど、大抵はみな同様に貧乏でしたね。

noname#228046
質問者

お礼

衣食住全てが向上しているのですね。 言われてみると当時の社会状況の知識としては そうした話を幾つも聞いて来た気がします。 どれも断片的知識に過ぎませんでした。 あらゆる事が工夫改善改良され続け、 今日の衣食住の充実に繋がっている訳ですね。 そうした経済活動の中で活躍できる人がより潤い、 そうでない人がより貧しくなる格差が広がる。 発達障害などから社会性に難があると雇用にありつく上では 厳しくなりやすく精神を病み10~44歳の死因1位の自殺リスクも上がる。 幸福、生命すら明確な格差が遺伝しやすい固定化を招いている。 豊かになった社会の中の孤独な不幸というんでしょうかね。 うーん。 戦前も地主と小作人など色々格差が酷く 発言権がない、年長者の借地借家差別他、侮辱罵倒など茶飯事で 殴る蹴るも起こりかなり腐った社会であんなの放棄、崩壊して当然だ なんて声もどこかで聞いた気がしますが、 戦中戦後の極限状態が一番平等だったのでしょうかね。 世界では格差が小さいほうとは言われるものの、 時代的には相対的格差を感じるのが今なのやも。 色々考えさせられます。 ご回答ありがとうございます。

回答No.5

 人間性という事はあまり変わらないのでしょうが  女性が我慢しなくなったという事でしょうか  働く女性が増えて生活も自分で出来る様になり  男性に頼らなくても生きて行けるようになった  嫌な結婚生活等、我慢したくないという事で  離婚も増え シングルも増えています。  女性が我慢しなくなり強くなるとそのしわ寄せは  子供、お年寄り、男性に来るので  子供は怯え、老人は邪険にされ、男性(特に若い人)はいいなりになる。  痴漢問題等も50年前の女性は恥ずかしくて言えなかったでしょう  良いか悪いかは別にして今の若い女性は  権利を主張していい気になっています。  そこのけそこのけ私が通るです。  私のする事 何が悪いの!!  ってね。  良い人もいますが50年前より増えたって事です。    

noname#228046
質問者

お礼

人間は逆らえない相手から嫌な事をされ我慢させられ続けると 今度は逆らえない相手を同じ目に遭わせようとしやすくなる。 我慢し吐き出せなかった分だけ、吐き散らし当たり散らし、 仲間にその苦しみ恨みを口伝し子や孫も恨みに染まり易くなる。 世界各地で見受けられる現象でしたが、 この国の女性にも結構見受けられる事だったのかもしれませんね。 加害者は常に自分に都合の良い理屈ばかり拾い主張し正当化する。 この行為は相手の為を思っての事。 皆もそうやって来た。自分は悪くはない。自分は加害者ではない。 感情的嫌悪感は好都合な情報ばかり取捨させ同類と馴れあい 井の中の人の輪で肯定しあい称賛しあい自分は正しいと思いこむ。 井の外ではそれは通用しない。 変化は必然の流れの中にあったのでしょうかね。 考えさせられます。ありがとうございました。

noname#232424
noname#232424
回答No.4

むかしは,仕事(定職)への執着が強かったと思います。「働かざる者食うべからず」の考え方があり,ともかく飯を食えるようになりたいと思っていたはずです。上の学校に行かない人も多く,手に職をつけたり,たたき上げで昇進することを考えた。 いま,フリーターや派遣社員という不安定な人が増えていると思います。かならずしも本人のせいではなく,雇用がないという事情もあるんですけどね。いっぽう,せっかく就いた定職を簡単に辞めるのはどうかと思います。こちらも,ブラック企業が原因のことがありますので,本人のせいとばかりはいえません。

noname#228046
質問者

お礼

明治の産業革命で雇用の時代に変わり始めるまでは 家業を継ぐ事が確実な有益な生存手段だったんですよね。 地域社会など家長の務め義務などがあれば雇用があっても 簡単にそれに行く訳にもいかないというのが 50年前にも結構あった様ですし、 終身雇用的考えの根には 家業と社会の築いた文化も影響していたのかもしれませんね。 昨今、 手に職をつけても、機械化した方が人間より安い為に より需要の多い職人芸は一気に雇用が失われる事があります。 私も苦労して習得した技術が技術革新で不意になりましたし、 常に時代の変化は身に着けたスキルを不意にさせ 伝統技術の多くを淘汰しそうになって来続けていますね。 この苦い経験をあちこちで多発させながら変わる社会で 長く続く仕事が何なのか、親も子も解らず迷い混乱し、 昔の人の価値観や考えが現実の生業に活かせない様になり、 ごちゃごちゃな混乱が社会に蔓延してしまったのかもですね。 経営者が居なければ雇用など存在しない。 雇用にありつこうとする者は経営者の境遇を察さず権利ばかり主張。 自堕落が祟り時代変化に取り残され経営が悪化すれば 簡単に負の連鎖に陥り挙句倒産離職。 そんなに文句を言うなら自分でやってみろ とは言いつつ雇用にありつく発想からは抜け出さない。 同類が集まる組織の行く末は・・。 人は無力に生きる事しかできないものなのかもしれません。 ご回答ありがとうございます。

回答No.3

昔の女性は、 「ひと前で、酒は飲まなかった」 「腋毛も普通だった」 「スラックスのチャックが横だった」

noname#228046
質問者

お礼

ひと前でのお酒は色々言われていたそうですよね。 時代と共に若者の認識や行動、集団心理が変わりこうなったのやら。 ご回答ありがとうございます。

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