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「条件」にこだわり,自分自身を「忘れる」人々
パートナーを選ぶという観点においては,誰しもが,「条件」というものにこだわります。 しかしながら,「条件」ばかりを語る人々には,面白い共通項があるようです。 それは,「条件」ばかりを語る人ほど,恋愛ができないということです。 なぜ,「条件」ばかりを語るのでしょうか? 自分自身に自信がないから,自分自信が嫌いだから,「条件」をつけて,パートナーの存在を「利用」したいのでしょうか? 恋愛や結婚とは,単なる,「エゴの衝突」なのでしょうか? いくら,恋愛経験のない人々であっても,「条件」というものが,あります。 たとえば,恋愛経験のない人物が,その人物がヘテロセクシャルであると仮定して,「どんな女性でも良い!」などと言うわけにはいきません。どんな女性でもかまわないという人がいるのならば,わたしはその場で,福田和子でもいいのかと質問します。命がほしければ,そのような女性を,パートナーには選べません。 これが,ヘテロセクシャルの女性であれば,「どんな男性でも良い!」などと言うわけがありません。宮崎勤や松本智津夫と恋愛できるか,あるいは,結婚できるかと問われたら,素直に首を縦に振る女性など,ほとんどいません。(ほんの数名はいるかもしれません。)
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- soramn
- ベストアンサー率6% (59/901)
自分にプライドがあるから。
- yumi0215
- ベストアンサー率30% (1335/4411)
理想と現実が違うという事をわかっている女性も多いものです。 現時点で恋愛対象となる人がいなければ、恋愛対象として高いスペックを夢見て楽しんでいる人もいます。 実際に好きな人が出来たら理想と違うなんてよくあることです。 犯罪者をパートナー候補としてあげるのはいかがなものかと。誰でもいいというとは言えども、常識の範囲内というものもありますから。
お礼
コメントありがとうございます。「極論」には,面白い効果があります。それは,回答してくださる人々の「本性」やら「性根」を読み取ることができるというものです。
お礼
コメントありがとうございます。プライドがある人ならば,人を選ばず,受け入れた人に,多くのものを与えることでしょう。
補足
質問文をよく読んでから,コメントしてください。あまりにも単純すぎるコメントだと思います。