ま、いろいろな考えがあってこそおもしろいのだろうと思います。区別の必要はありますか?
例えば、『もう一人の自分がいるからパラレルワールドもの』だとすると、「主人公ダケがいないが、ほかはまったく同じ状況・・・ 両親もいるし妹もいる、親友もいるし、首相は安倍晋三さんだし・・・ の世界」に主人公が飛び込んで活躍するのはパラレルワールドものではないことになりますか?
私はそれもパラレルワールドだと思いますし、ぎゃくに、我々の世界と同時に、平行して存在する世界だとしても、地球人が一切登場しない、宇宙人だけの世界を描いても、パラレルワールドものかと言われれば、違和感があります。それだと、我々の宇宙の中の、はるか彼方の銀河の物語と区別がつかない。
多数の事例から帰納的に、パラレルワールド物と異世界物を区別する目安を導き出すと、
(1)2つ(以上)の世界に「類似性」「近似性」があって、読者が共感できる。
(2)2つ(以上)の世界が交流している(時々は交流する)。
だろうと思います。
よって、魔法が使えるような、我々の世界とまったく違う世界であるならば、話の展開はまったく別物になるはずなので、パラレルワールドではないんだろうな、ファンアタジーな、たまたま「その時の」状況はごく似ているけれども異世界なんだろうなと「私は」思います。
私はそう思いますが、作者が「これはパラレルワールドものである」というならそれはそれでいいんだろうし、なにか制約があってめったに魔法は使えないとかの設定をすれば、パラレルワールドに近い世界になるかなぁとも思います。
余談ですが、いま描かれているパラレルワールドもののマンガを2作品紹介します。
2つの世界のそれぞれの日本で、前方後円墳の研究をしていて、片方の世界で大地震が起きてそれまで非公開だった古墳が崩落して中が・・・ というもの。
そこに、(両方の日本に?)他方の世界を覗き見ることができる青年がいたことで、2つの世界の交流が生まれます。
また、戦国時代のパラレルワールドに転移した高校生?たちが、自分たちの世界に帰ろうと悪戦苦闘している間に、光秀も家康も死んでしまって、第六天魔王の信長が生き残ってしまった。
そこで、高校生たちはその世界に招かれた理由を悟り、帰る方法として、その世界の歴史を自分たちの知っている歴史にもどす(平和な徳川幕府創設の)ために、家康軍の身代わりとして活動を始めた・・・ という内容です。
どちらも、ラーメン屋でチラ見してきたダケの話なので、某テレビ番組の林先生の人生要約のように正確ではないかもしれませんが、読んでもらえば、私がパラレルワールドものの典型と考えるストーリー、設定をご理解いただけると思います。