人格とか価値観と言っても悪くはありませんが、基本的には「コミュニケーション能力」です。
何か失敗をしたとき(誰でもやらかします)これを隠そうとしたり、何も問題ではないから報告の義務はないのだというような屁理屈を考えだし何も言わないやつ、というようなのが人格異常と言われるでしょう。
相手に怪我を負わせ、大丈夫こんな程度はすぐ直る、ガンバ、みたいにごまかすやつは価値観がおかしいんじゃないのと言うことになりますが、要するに謝ったり配慮することをしないで済まそうというごまかしです。
そういうことを一度でもやらかす人間には、報告能力も報告しようという意志もないことになりますから、ものを任せられません。そういう傾向があるなら現場につけるわけにはいかないということになります。
逆に、自分が即判断しなければいけないときに、こうなったああなった、どうしましょうと上の判断を欲しがりそれがないからできませんでしたというやつも人格破綻とみなされます。しかし、これは自分が責任を負いたくないから人のせいにしているというだけのことです。
コミュニケーションというのは、いい悪いじゃなく現状がどうであるということを仲間うちでシェアし、立ち向かおうということです。
ミスは誰でもやる可能性がありますが、それを責める環境だと皆隠したくなります。ですから、現場には、それを管理する人間の管理能力とかフォーカスが損失していたら、人材ばかりではなく問題が絶えないことになります。
環境に求められるのは、すべてを開示しシェアしようとする合意と、こまごましたことで個々人を責めるような狭量な管理者がいないことと言うことになります。
往々に人材がわが人格だのと言われるのですが、上に立つもののほうが人格が問われることになります。
職種でいうとほぼ全部そうでしょう。そうでないものを数えたほうが早い。
そうでないものは、日雇い派遣です。
頭数があればいいだけで、基本的に何も任せないという現場は人格も価値観の持ち方も問いません。
お礼
勉強になります。 上に立つものの人格が、下に居る人材の成長を非効率化させたり 転職したくなる程の環境しか築けないと、 長期的には人材の能力や組織として力を併せ成果を出す事が 他の効率的に成長できる組織に負け、淘汰され易くなるんでしょう。 企業の50年生存率がほんの数%と聞きます。 200年以上続く会社が日本には3000以上あるそうで、 その多くが社会貢献を意識していると記述されていましたが、 生き残れる組織、組織を長く存続させられる経営者の人格や価値観には 最初から狭き門の様なものでもあるのかもしれませんね。 人は環境の鏡。個人を見ればその周囲の環境も察しが付く。 そういう事なのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。