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サッカー1971年オリンピック予選 inソウル

上記試合の応援にアルバイトで得た7万円を資金とし、下関から関釜フェリーとバスを乗り継ぎ ソウル運動場に辿り着いたのは10/2の事でした。道すがら交番があると必ず連れ込まれ「ユア ヘアー ロング カットカット!」と荷物検査と尋問の連続でした。戒厳令下の韓国でしたので仕方なかったのですが・・運動場は満員で私と友人はバックスタンドで周りは全部韓国民でした 正面を見ると小さな集団が日の丸を振っているのが見えましたがよく見るとその集団に向かって ずっと四方から物が飛んでいるのが見えました。前半日本が1点先取した際立ち上がったのはバックスタンドでは二人だけで後は3万人の沈黙でした。暫くすると正面スタンドから走って来られた日刊スポーツの記者さんが「君達!日の丸を片付けなさい!このまま日本が勝利するような事になれば君達の安全は保障出来ない!出来れば直ぐ退去しなさい」と言われその言葉に従いました。案の定周りの迷彩色の学生服の一団からつばを吐きかけられ、危険を感じ早々に退去しました・試合は1-2で敗戦したと後に聞きましたが、どんな試合だったのか当時はサッカーの記事など中々目に出来ず詳しくは知ることが出来ませんでした。少しだけでもどんな試合だったのか ご存知の方がいらっしゃれば簡単で結構ですので教えて頂きたいと思っております 宜しくお願い致します・・・ ※試合後の旅行では韓国の皆さんに特別待遇に近い親切を受け本当に感謝の旅となりました  しかし旅館に泊まると必ず夜は例の女性達が呼んだ訳でもないのに押しかけてきました  毎晩断るのが大変な仕事となったのは想定外でした。多分日本人は必ずそのような行動  をしていたのではないか?その為旅館側では気を利かしたつもりで必ずセットで呼んで  いたのではないか?と気が付いたのですが非常に恥ずかしく残念な気持ちでした・・・  そんなこんなの思い出に残る”19の秋”の1971年でした・・・  

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  • IXTYS
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回答No.2

こんにちは。 #1の再入場です。 この試合はミュンヘンオリンピックのアジア地区予選の一次予選です。 この先にアジア最終予選と続きます。 1970年代はまだアジアにはこれといったプロリーグはありません。 アジアカップが1956年に第一回大会が開かれ、以降4年に一度開催。 1,2回は韓国、第三回はイスラエル。 68年、72年、76年とイランが三連覇。  イスラエルは国際情勢もあり、60年中盤以降AFCを脱退し、EUFAに加盟しています。 同じアジアにありながらトルコやイスラエル、カザフスタンはアジア予選には出て来ないのです。 この大会の開かれた1971年は韓国とイランがアジアの両横綱として陣取っていた時代で、日本はそろそろ『サッカー氷河期』に突入する過渡期にありました。 この大会でメキシコ大会で銅メダルを獲得した釜本、杉山、小城、宮本と言ったスター選手を擁しながら一次予選で敗退。 宮本、杉山は代表を去り、以降日本は世界の表舞台から消えてしまうのです。  この試合は日本サッカー界にとってもマイナスの意味で記念すべき一戦となりました。 日本に奥寺康彦、韓国に車範根と後年ドイツで大活躍するスター選手が生まれますが、彼らが登場する直前の出来事です。 ● 戦術的にみると日本と韓国は対照的です。  日本は両サイドに俊足の選手を置いてサイドを突破してセンタリング、これを釜本がヘッディングでゴール。 韓国は一貫したロングボール作戦。 DFから正確なロングパスを前線に送り、長身FWがこれを頭で落とし、俊敏なMFが走り込んでシュート。 韓国は『赤い悪魔』と恐れられていました。  1970年代に入り、日本はテストマッチで韓国に15連敗と屈辱的な成績を残していますが、その発端となったのがこの試合でした。    

jijojoji0917
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ございません そうだったのですか15連敗・・・・ 戦術はいつも「杉山選手」がスピードスターでセンタリング・・ 「小城選手」のロングスローと期待が膨らむプレーがありました 後に他国のサッカーを見た時はパスプレーの正確さに驚き 面白さも感じもっと見たいと思いましたが 今のように身近で見る機会はなく上記の戦術がサッカーなのだ と思い込んでおりました 私の世代は高校などでサッカーをする者は周りからは不良と思われており 高校総体の予選などでも我高校サッカー部友人達は血まみれになり 試合をしておりました・・・ 今はリアルタイムでどの地区の試合も観戦出来 スーパースターのプレーも堪能出来 おまけにクジまでひく楽しみもある・・・ 若い頃そんな環境でサッカーに触れたかったと つくづく思いますのと同時にこのスポーツは別格で 色々な大きなものも動かしてきたのだなと思う今日この頃です・・ ありがとうございました思い出のデーター整理に 活用させて頂きます

  • IXTYS
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回答No.1

日本チームは、横山謙三, 山口芳忠、宮本征勝、荒井公三、片山洋、小城得達、富沢清司、宮本輝紀、永井良和、杉山隆一、釜本邦茂の11人。 前のメキシコ大会で銅メダルを獲得した黄金メンバーも残り、この大会でも予選突破が期待されていました。 ところが、緒戦のマレーシアに0-3と敗れ、最終戦の韓国に勝たねば最終予選に進めない。  試合は48分に朴シュ徳がシュートし先制。 その4分後に永井選手がシュートに成功し、同点。 試合後半の83分に丁圭豊が得点し、試合終了。 1-2で敗れ、予選敗退となりました。 韓国はマレーシアにも勝っており、既に予選突破を確実にしていましたが、日本戦だけは特別。 釜本、杉山、小城、宮本(輝)などのスター選手を擁する日本に負けるわけにはいかない。 必死で戦って来ました。 日本チームも優れた選手がおり、黄金時代でした。 緒戦に気を引き締めて戦っておれば最終予選にも進めたと思われます。  

jijojoji0917
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません 記憶が途切れる年頃なので間違えておりました 確かに最初は韓国が得点しました その時私達二人は何が起きたのか分からなかったのです スタジアムで座っていたのは二人だけの様な気がします 立ち上がった人達で何も見えず聞こえず恐怖をも感じた気がします その4分後二人だけの時もスタンドの静けさに恐怖しました 大事な一戦だったので韓国まで出掛けたのだと思います あれから半世紀良きライバル関係が続いています サッカーというスポーツが世界では別格であるという事が よく分かります 色々教えて頂きありがとうございました

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