- ベストアンサー
自己愛が叶う人生と冷酷な心情
- 子供のころから、自己愛が叶うことだけを求めて生きてきた私。
- 年を重ねるほどに冷酷さが増し、他人の命も見殺しにすることに躊躇しなくなった。
- 自己愛が叶うだけの人生を歩む中で、世のため人のためという気持ちが湧かないことに悩んでいる。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
お礼ありがとうございました。 大変失礼な言い方をしてしまいましたが、無茶苦茶なエゴを通し続けるというのはあくまでそういう人間がいるという事で断定してあなたの事を言ったつもりはなかったです。ただそういう人も沢山いるので珍しい事では無いですよね? あなたが無意識のうちに自分の居心地の良さを求める為に他人を考えずに生きてきたという内容は、他人を犠牲にして自分の利益を追求するという事と取れました。 なのでもしかしたら良心が無いという事を考えました。 でも世のため人の為に、という人間の方が少ないですし元からそんな人間はいないと私は思います。 そういう人はまず自分が幸せになってから他人の事を思いやれるわけなので、元から聖人みたいな人はいないです。自分を幸せにしないと中々世の為には動けません。 あなたのお母様は自己充足した立派な人なのかもしれませんね。 世の為に生きているという風に見えてるのかも知れませんが、誰だって世の中と自分を天秤にかけたら自分を選ぶと思うので安心してください。自分が生き生きしてると周りにも気を配れるというだけです。 自己愛が叶うだけで虚しい、とおっしゃるのは自己愛とは何かにもよるのですが。 自分の目の前の欲求などをただ追い求めて淡々と生きていくと虚しいと、ある日本の学者さんが言っていました。 あなたのおっしゃるように情緒的な成熟が少し足りないと人間は虚しいんだと思いますよ。 でもでも生き生きとして外を歩いている人なんて今の世の中あまりいないとは思います笑 なんだかんだ皆虚しさはあると思いますよ。 普通は自分勝手で他人の事を考えない人にはそういう自分の特徴に自覚がありません。 しかし、具体的にはわかりませんがあなたはそんな自分に気づけているので凄いです。 他人を犠牲にして自分のことだけを、という人は情緒的に成熟しにくいはずです。 情緒的な成熟とは他人を思いやる必要があるからです。 あなたは自分で気づいているので、情緒的に何が欲しかったのかを考えて他人と心を通わせて行動してみたら解決するんじゃないでしょうか。 情緒的に成熟していない人に囲まれては自分も成熟できないので、まずはそういう暖かい人を探しましょう。 長い道のりですが情緒的に満たされ、自己充足したらお母様のようになれるはずです。 あくまで私の知識や自論ですし、共感できるところがあったら幸いです。
その他の回答 (2)
すごいですね。 自分でそんな自分に気づけている人がいるんですね。 人のために生きれる事が幸せだということにも自分は居心地の良さだけを求めていたことも気づいている。 あなたは良心がない人という事でしょうか? 良心も無くただ淡々と人生を過ごしているという事ですよね? もしそうなら、ハッキリ言ってしまうとそういう人は幸せにはなりにくいそうです。あなたの言うように虚しいはずです。 また幼少期愛情やスキンシップを貰えずにに何かしらの情緒的な成熟がない場合は良心が欠けてしまう事もあるし、満たされない子供の自己愛を永遠と求めるが故に無茶苦茶なエゴを突き通し続けると言っている方もいらっしゃいます。 とある有名な人の本に書いてました。 それに気づいていると言う事は、もしかすると人を思いやる気持ちも出てくる事も可能かもしれませんよ。
お礼
お礼遅くなりすみません。 頂いたご回答を消化するのに時間がかかりました。 確かに良心は、無いです。 無いことも最近自覚しました。 情緒的な成熟がないのは、当てはまると思います。 愛情をもらえなかったという思いはないのですが、親に対し納得できない思いは子供のころにありました。 そのことがいつも頭の中にあるというわけではありません。 思い返せば、という程度です。 周囲に対し無茶苦茶なエゴを通すところも、あります。 それが、満たされない子供の自己愛を永遠と求めるが故であるとは、考えたことはなかったですが、何かヒントを頂けた気がします。 今回の質問をさせて頂くに当たり、自分のそのようなところも関係しているとは特に思っていなかったのですが、私の質問文のどの点から、「無茶苦茶なエゴを突き通し続ける」とお考えになったのでしょうか? 後学のため伺えましたら幸いでございます。 ありがとうございました。
- blue1impulse
- ベストアンサー率14% (2/14)
自己愛が叶うだけの人生・・ですか・・ でもね・・ 此処に質問する事で 運営は あなたに依って給料が貰える・・ 普段でも あなたの食べるもの 着るもの 何もかも あなたが買う事で 誰かが得をする・・ 知らない間に 世のため 人のために なってるだけですよ・・
お礼
お礼遅くなりすみません。 自己愛のためだけに生きてても、生きているだけでどこかで誰かの役に立っている。 確かにそうですね。 とても参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
お礼がまた大変遅くなってすみません。 再度のご回答ありがとうございました。 私は、無茶苦茶なエゴを通してでも自分の利益を追求することが多々ありますが、(私の場合)それは相手に対する「甘え」だと、つい最近気づいたところです。 「良心がない」とも言えることだとは、気づいていませんでした。 周りから見たら、悪魔のような人間になっています。 改めたいと思います。 まず自分が幸せになってから他人の事を思いやれる、というところは私も当てはまります。 社会や人の役に立つことを目指すどころか、迷惑かけないことをまず目指さなければならないですね。 世のため人のために生きるなどという大きな目標を掲げずに、まずは自分を良心を持った人間に近づけるところから努力しようと思います。 >自己愛が叶うだけで虚しい、とおっしゃるのは自己愛とは何かにもよるのですが。 質問文の「自己愛(でしかない)」は、「自分が居心地よく感じること」を指しています。 たとえば、社会的地位が欲しいとか、誰かと家庭を作りたいとか、 それらは、手に入ったら幸運なことだと一般にみなされていますが、 実質は 「自分に社会的地位がある状態が居心地良いだけで、その地位に見合うだけの社会貢献をしたい気持ちがあるわけではない」 「自分が愛される状態が居心地良いだけで、その相手を大事に思う気持ちがあるわけではない」 このような感じのことを指しています。 (自己愛でしかなければ、よい未来には結びつきませんし、その状況が自分にとってしんどくなった時に踏ん張りがきかず、その状況をも投げ出してしまったりするのだと思います。) 若い時は、自分の望むものが自己愛でしかないとは、考えたことすらありませんでした。 幸か不幸かそれらがなかなか手に入らず、そのために考える長い時間ができ、そのことにも気づけたのですが。 あっさり手に入ってしまっていたら、気づけないままか、人生の最期の最期にしか、気づけなかったかもしれません。その点だけは幸運だったと言えます。 しかし、気づいてもいまだ、自己愛から抜け出せていません。 >自分の目の前の欲求などをただ追い求めて淡々と生きていくと虚しいと、ある日本の学者さんが言っていました。 >あなたのおっしゃるように情緒的な成熟が少し足りないと人間は虚しいんだと思いますよ。 >情緒的な成熟とは他人を思いやる必要があるからです。 私は、目の前の欲求を叶えていけば、自分は幸せを感じられると、考えていました。 成長・成熟することなどには、全く関心がありませんでした。 でも、心のどこかで、目の前の欲求とは違うものを、探し続けていたようにも思います。 何が手に入れば自分は満足するのか、その答えをずっと問い続けてきたのだと思います。 ずいぶん回り道しましたが、、 ・自己愛が叶うだけでは人は満たされない ・情緒的な成熟が伴わなければ、人は自分の人生に満足できない 自覚しているいないに関わらず、人間とはそのような生き物なのではないかと、今は思えます。 おっしゃるとおり、自分に余裕がなければ、自分以外のことなど気にかける余裕はなかなか生まれず、私もその一人ですので、まずは自己充足と精神的成熟を目指したいと思います。 私の母は、自己充足している人というようには、私の目には映っていません。 しかしいつも、自分のことより誰かのために生きている人で、思いやりのある人だと言えると思います。 私はまさに、他人への思いやりもなく、自分のためにしか生きてこなかった人間でした。 母のような、誰かのために生きられる人間になれるように努力したいと思います。 このたびはつまらない質問にお時間を割いてくださりありがとうございました。 私には大変勉強になりました。 心よりお礼申し上げます。