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癌細胞増殖研究の第一人者、吉田富三がわかりません。
福島県に旅行した時、偶然吉田富三記念館に入りました。吉田富三なる人物の存在すら知らなかったので、癌細胞の増殖実験というのも目を疑う内容だったし、鼠の解剖写真が気持ち悪いし、戦後の医療保険制度を確立した、福島県の神様的存在だとわかりました。存在自体、ショッキングで、おまけに小学生の詩のコンクールに吉田富三賞が与えられ、それが地域住民に公表されるとのこと、小学生が吉田富三の研究内容を理解していると思えず、その地域の住民が吉田富三をどう思っているのか、全くわかりませんでした。医大生のファンが多いそうですが、自分には悪魔としか思えませんでした。実際のところ、吉田富三はどう思われているのでしょうか。もしも、自分に間違った見解があれば、そのこともご指摘ください。よろしくお願いします。
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- jing0708
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若干質問の意図が分かりませんが、一応いくつか間違いがありますので説明します。 まず、吉田富三博士は腫瘍学の権威であり、特に肝臓がんモデルラットを作り上げた人物として医学会では著名です。また、抗がん剤研究を行うために必須であったがん細胞の初代培養系(吉田肉腫)を発見した医学者として世界中の博士学位を持つ腫瘍科の人間は知っているでしょう。 吉田博士がこの肉腫を発見し、培養を行うまでは抗がん剤というものが効き目があるのかを確かめる方法が存在しませんでした(がん細胞を取り出すことができなかった。取り出しても増殖させることができなかったため)。しかし、その初代培養系を確立させたことで抗がん剤開発は飛躍的に進歩し、代謝拮抗薬である 5-FU などの医薬品開発に多大な貢献をしたことなどその功績は枚挙に暇がありません。 そもそもがん細胞の増殖実験が目を疑うというのが、あまり理解できませんが、現在の細胞生物学的な実験で行われる多くが不死化した細胞やがん細胞を用いた実験系です。例えば私は消化器専門ですので消化器の話をすると、お薬が消化器をどのように投下するのかはヒト結腸がん由来細胞である caco-2 細胞で行われることが多く、タンパクの強制発現などを行う Hek293 細胞はヒト胎児腎由来の不死化細胞です。 ねずみの解剖が気持ち悪いとおっしゃいますが、はっきり言って人間切り開いたほうがよっぽど気持ちわるいし匂いも酷いですよ。でも、それを乗り越えるために医療従事者になるべき学生は解剖実習などで動物の尊い命を犠牲にし学ぶのです。 基礎実験でも、人間を実験動物にするわけにはいきませんから、動物たちに身代わりになって貰っているに過ぎません。説教くさいですが、医療の恩恵を受ける人間は実験動物に対して畏敬の念を持ちこそすれ、気持ち悪いと思うのは道徳的に反すると思います。 確かに福島県では厚く遇されているようですが、それは死後の話で吉田博士の活動拠点は長崎⇒東北⇒東京と転々としています。いずれでも教授を歴任されたのが理由で、最終的には国際癌学会会長にまで上り詰めておいでです。 彼の功績があるからこそ、現在多くのがんで延命あるいは限りなく根治に近い状態を作り出すことに成功したというのは決して言い過ぎではありません。iPS細胞の山中教授、IL-6の発見者であり阪大免疫学中興の祖でもある岸本名誉教授、イベルメクチンの開発で世界中の感染者を救い世界で最も人を救った人物として有名な大村特別名誉教授と並びコベルト・コッホ賞も受賞しています。当時日本はノーベル医学生理学賞の受賞者として認められず(白人至上主義だったため)受賞していませんが、それに匹敵する研究者であったことは確実です。 これらの功績がどのように遇されるべきかを考えれば特に疑問は生じないかと思います
お礼
悪魔学の権威なのかと思っただけです。悪魔マルバスとか、悪魔ブエルとか。 自分は研究者ではないし、京大に入る頭脳もありませんので、小保方さんがニュースになった時に山中教授の研究も一応読んだけど、どう役立つのかわかりませんでした。吉田富三の時代は、癌は不治の病と言われてましたし...。 一般観光客に野口英世が有名だけど、医学会では吉田富三の方がレベルが上で、一般人には存在も知られていないので、日本人の後ろの正面かなと思っただけです。 吉田富三記念館に近い原発被災地で甲状腺癌で苦しむ人も多いと聞きます。本当に有益な研究であったなら、吉田富三を神様として祀る地域の人達をまず救ってあげて欲しいです。 難しい単語を並べて一般人を煙に巻くだけだったら、小保方さんと変わらないんじゃないですか。自分が調べた結果では、iPs細胞も拒絶反応のせいで実用化が難しいような状況かと思っています。こちらとしましても、iPs細胞がよく分からないのに、知能指数の低い質問をしてしまって、申し訳ありませんでした。 ちなみに母が子宮がんの摘出手術をしました。手術の証拠として自分が出てきた子宮を見せられました。ただの肉の塊でした。