- 締切済み
どっちが問題ですか?
「格差の拡大」と「格差の固定化」は、どちらが問題ですか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
格差100倍までは「格差の固定化」が問題。 格差100倍以上では「格差の拡大」が問題。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
格差の拡大は、国民を分裂させ、社会を不安定にし、犯罪が増加し 国力を削ぎます。 極端に到ると革命が勃発したりします。 格差の固定は、国家の活力が無くなる反面、社会が 安定します。 しかし、不満が鬱積して、ある時突然、革命が、 という危険もあります。 江戸時代などは格差が固定化されていた時代でしょう。 封建時代は悪のように捉える人もおりますが、 近年の実証研究では、江戸時代の農民などは結構豊かな 生活を送っており、発言権も強かったことが 判ってきました。 米国が余計なことをしなければ、明治維新など起こらず 今でも平和な時代が続いていたかもしれません。 と、いうことで格差の拡大の方が問題だと 思います。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
学問のすすめってご存知ですか? そこで書かれているのは、人権の平等ではなく、機会の平等です。 それも、生まれもっての格差も、才能の差も、与えられる機会の差も、その結果生まれる社会階層の違いによる格差も、当たり前の前提として語られ、その差を挽回するためにある学問はみんなに平等に与えられる、としました。 そのころの世界は、国そのものが差別され、搾取する側と、される側に分かれていましたが、開国したあとの日本は、搾取される側に陥らないように、学問、要は技術や産業を発展させることに専念したわけです。 格差がある、有利な人たちがより有利になっていくのはあまり前のことですし、人がみな同じ努力しかいない社会なら格差が固定されるのも当たり前です。 それでも機会が、手段が存在する、という一点だけが重要で、それ以上は不自然な何かが存在しない限り実現できないことです。
- mineshi
- ベストアンサー率41% (55/134)
格差の固定の方が問題じゃないでしょうか。 本来なら、 「格差の拡大」に対するのは「格差の縮小」、 「格差の固定化」に対しては「格差の流動化」 ですよね。 まず後者の話からいけば、 「格差の固定化」は私は今の社会と合ってないと思います。 なぜなら、人々の生活が多様化する中で独身でも良し、とする人もいれば、 結婚する人もいます。 しかし格差を固定化する社会は、同じ営みを強制する社会になりますから、 こうした生活やライフスタイルに対する思想、考え方も統制することになります。 そして前者の話からいけば、 「格差の拡大」と「格差の縮小」は、実際には 実態経済の規模そのものが、その差として反映されるので、 景気が良くなれば格差は広がるし、景気が悪くなれば格差は小さくなります。 もちろん、非常にずるい方法として、 格差の上位にいる人から、下位にいる人に再配分する、といった国家運営も 世の中には存在していますが、結果的には旧ソ連、キューバ、をはじめとした 再配分をよしとする国家は、長い時間をかけてジリ貧になっていく、 (ある意味、長い時間をかけてゆっくりと貧乏になっていく) ので、老人にとっては、そのライフスタイル(徐々に質素な好みになる)と 合っていますから、若い世代と年寄り世代の対立になります。 やはり、質問にある2つを並べると、 格差の固定化は、ゆっくりと時間をかけて 世代間の思想を分断するだけで、よくないことだと思います。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9142)
貢献度と収入の関係があいまいなことが問題なので、どちらでも同じなのでは。いくら自社の自動車が売れても億単位の年収を受け取る資格などだれにもないはずです。一方、ねじ一つ粗末にしないで。故障しない車を作ることに大きな貢献をしているはずの優秀な下請け企業の従業員はかつかつの収入しかない。おかしなことに現在は学歴社会になってきています。なぜでしょうか。貢献度を測る尺度がすべて名目となり、金融が主導権を握っているからでしょう。