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「解る人にだけ解ればいい」という考え方は何故ダメ?
例えば、ミュージシャン、アーティスト(芸術家)、料理人などで、 「解る人にだけ解ればいい」というような事を言う(または心境になる)時ありますが、 それに対して、そういった考えではダメだと言う人もいます。 それは何故でしょうか? その人が産みだすものがそこそこ人気があって、それなりに支持されているとします。 「解る人にだけ解ればいい」と言った場合、何が良くないのでしょうか? 好まない人のことを考えることは、ある意味、自分を曲げ、媚びることかもしれませんが、 その中にまだ気付かぬ価値のあるものがあるからという意味でしょうか?
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提供する人の「こだわり」でしょうか。貴殿が書かれている「気付かない(気付かれない)価値」は、無意味のようでもあり、嗜好が変わるとわかるモノ(年齢を重ねるとか、経験を積むとか)のように思います。 例として、強(し)いてあげれば、マクドナルドとモスバーガーでしょうか。万人受けを狙って新商品やチラシのクーポンを乱発するマックと、吟味を重ねた新商品かつクーポン無しのモスバーガー。後者はまさに「解る人にだけ解ればいい」というスタンスです。ただ、マックのスタンスが「自分を曲げて媚びている」かというと、ちょっと違う気もします。それは、企業努力とか工夫とか模索みたいな、自分には「頑張っている感」や「試行錯誤感」があって、キライでは無いです。 「解る人にだけ解ればいい」という言葉は、なんだか「上から目線」ですよね。「オレの境地まで来られるヤツだけ可愛がってやる」みたいな。でも所詮、人間なんて、死ぬまで「自分探しの旅」をしているようなものですから、生涯「解る人にしか解らない自分だけのモノ」を探しながら、一方で、同意してくれる同胞を求める「弱さや寂しさ」からゆえの言葉なのかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 安売りは企業努力なのか新しい疑問が生じました。 所詮人間は皆自分探し、、のくだりは、私の嫌いな 「人それぞれでしょう」→「まとめ上げ」回答に似てる気がしましたが。 悩み、疑問、それを全て優しく包み込み、澄み切った大空へ開放する。 羽ばたいて行った悩み、疑問を爽やかな笑顔で見送る。 そういうの、どうすればいいのか解りません。
補足
「解る人にだけ解ればいい」という考えがダメだとしたら、それはどうしてなのか知りたく質問しました。 「解る人にだけ解ればいい」という考えもアリだとしたら、なんとなく想像できます。 人の顔色窺ったり、媚びたりすれば、自分のスタイルが築けないからです。 一貫した、芯のある、良質なものありきだと思いますし。