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オバマ大統領の広島演説とは?
- アメリカのオバマ大統領が広島を訪れ、平和公園で演説を行いました。
- オバマ大統領は広島市民の苦しみを表現し、科学の発達とモラルの必要性を訴えました。
- 同時に、学歴や知識だけではなく、モラルの問題を重視することの重要性も強調しました。
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オバマ大統領の立場で、あの演説は流石です( v^-゜)決して謝ることなく悲惨さを切々と訴えるすごくギリギリのところで考えられた演説だと思います。 安倍総理に爪のアカ飲ませたいくらいです。彼の演説は聞いてるこっちがハラハラします。そして一番言ったらマズイことをシレッと言いますから(怒) 戦争にモラルは期待できないと思います。人を殺すってモラルとしては最悪だけど、戦争は敵を殺して様々なものを破壊するのが正義です。イヤな話だけど、ね(^-^; 戦争は負の遺産しか残しません。だからこそ絶対に繰り返してはダメだと思います。科学や技術にモラルが伴わなかったり、大きすぎる力は不幸をもたらすこともあると思います。
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- HAL2(@HALTWO)
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>「後悔はないが、辛い」という言葉 これに全てが込められていると思いますよ。 因みに >人生に禍根を残してしまった『罪の意識』 ではないと思います。 「禍根」は「辛い」という言葉に表れていますが、「後悔はない」と言うように、これは「罪」を意識したものではありません。 彼等にとっては「愛する者達」即ち「家族や親族、隣人から知人、更には全ての自国民」を戦争の惨禍に遭わせないためにも「敵国兵を殲滅し、雨後の竹の子の如く敵国兵を生み出す『老若男女国民皆兵』状態にある敵国民を殲滅する」兵器を開発することが急務でしたでしょうし、当時は「敵国の一般市民を巻き添えにする無差別攻撃」を「罪」とする法はありませんでしたので……。 「人道的に……」などという考え方は戦後に生まれた考え方であり、戦前、戦時中にそのような考え方ができなかったことに対して「罪」を問えるものではありません。 しかし「人道的に……」という観点から忌避できなかった自身に対して「罪」を意識すべきではないと判っていても「そのような社会に身を置いていた」ことを思い出すのが「辛い」のは当然でしょう。 「罪」は「宗教的、或いは道義的観念」を含む『法』で規定されるものですが、「法は遡及して良いもの」ではありませんので (法の不遡及原則) 「悔恨 (後で悔んで辛く思う)」はあっても「罰」や「謝罪」に連なる「罪」を意識するのは誤りです。 http://www.sankei.com/politics/news/160528/plt1605280015-n1.html を読みましたが、 >科学の発達はモラルの発達も同時に行わなくてはならない。 科学とも Moral とも言っていませんが、 Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. の部分ですね。 初めの方で Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind. と言っているように「技術革新がもたらした『道具』やそれらをもたらした科学技術者が諸悪の根源」のように言っているのではなく、要は日本語で「気狂いに刃物」という言葉があるように「But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines:でも、それらと同様の発明がより効率的な殺人機械にもたらされてしまう」という事実を導く「気狂い」にならないことが「肝要」なのでしょう。 その姿勢を「Moral」という言葉で言い換えることを間違いとは思いませんが、人殺しを行うのは「殺人犯」本人 (または開戦に導く政治家) であり、殺人機械に転用可能な技術を発明した科学者ではないと思いますし、殺人機械を開発製造した技術者でもないと思います。 銃や罠、弓矢は人を襲う害獣を駆除するのに有効なものですし、狩猟従事者が扱う器具を発明開発製造する者に罪などないのと同様に原爆を発明開発製造した者に罪はありません。……罪があるのは人殺しのためにそれを使用するような社会状況に導いた者達であり、最終決定者は Quebec Agreement に調印した Franklin D Roosevelt 米大統領と Winston L S Churchill 英首相であるとは言え、彼等に調印を決断させた全ての人々も「そのような状況に導いた者達」という烙印を押されるものであって、更に考察を広げれば世界大戦への突入を是とした人々全てに罪が帰されるべきものでしょう。 民主主義社会に於いては国家の責任を負うのは有権者全てであって、特定の個人や組織ではありませんので、全ての大人達が「人殺しの狂気」に陥らないよう理性 (Moral) を育むべきなのでしょうね。 The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell. これって「八紘一宇」だなって思いました(^_^)。 自分以外の者に罪を着せて謝罪や賠償を求めるのは「恨」の文化を持つ国の人々やそうした国々の政治思想文化に染まった人特有の考え方と思うのですが、歴史は今現在も絶えることなく紡がれているのであり、将来に禍根を残さぬようにするためにも先ず自分自身に第 1 の責任があるとすべきなのが民主主義の基本ですので、「全ての人々、1 人 1 人が狂気への一歩を踏み出さないための『道標』としての広島に訪問した意義を汲み取って欲しい」というのが彼の演説の本心なのではないでしょうか……まぁ「政治的思惑」は別として(^_^;)。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、兵器そのものではなくそれを使用する兵士や軍、そして 戦争当事国の為政者にある。ということですね。 しかし、それでは理解不能になってしまいます。 兵器を作る者もその国の国民だ。ということです。なにも隔絶され ているわけでもなく、れっきとした戦争当事者なのです。 ここで軍と軍需産業との関わり合いを申しますと、軍は企業に航空 機や新型の爆弾、機関銃の発注をします。そしてその希望通りの 物を生産できるように図面から技術的な要素を取り入れた最新鋭の 武器を作るのです。そして性能通りなら軍はその武器を買い入れる わけです。性能通りにならないなら撤回させて作り直しを命じるの です。 アメリカのマンハッタン計画は純粋ウランの原子爆弾とプルトニウム の原子爆弾をアメリカ陸軍から発注された企業の計画書通りに設計 し、軍需産業企業がその図面を買い取り組み立てました。 つまり、マンハッタン計画に携わった者たち全員が何を設計したか を承知したうえで図面を引いたことになります。 それをどうお考えなのでしょうか。
- gib45
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>敗戦間近の広島は原爆の研究をしていました。それをアメリカが 察知して、いち早く完成した原爆を落としたのです。 ウランを日本は準備できなかったし絶望的でした。 日本の原爆開発が頓挫してたのは米国も知ってましたよ。 もし「NZ計画」のことを言ってるなら米軍機密文書にてGHQは 「ジェットエンジンの試験」であったと報告してるので否定してます。 早めたのは「ソ連の参戦を察したので早めた」が正解でしょう。 まら日本が降伏の準備を始めてたのもあるでしょうけど。 さて、質問への回答ですが原爆投下前に爆弾だと米国は避難勧告をしましたね。 投下後も被験者として献体扱いしました。 新型の爆弾という認識でなければ投下後にすぐに被爆者は疎開、爆心地からの避難を 行えたでしょうね。 そう考えると今回の演説は貴重な一歩だと思いますが素直に受け入れられません。 米国が嫌いとかはありませんよ。復讐したいなどの感情もありません。 許すのと納得するのは別ですからね。どうしてもしこりが残ります。 今回の演説はモラル(価値観)の共有は難しいと思い知らされるだけでしたね。 海外では疑問視した記事が多いようです。 核兵器所有国ではあからさまに認めることは難しいのは理解できますが。 また、海外の掲示板などでも賛否両論ですね。 北朝鮮が積極的に開発を進めて中国は増産を推し進めてる。 急に核廃絶を訴えるなどは現実味がないですね。 今後の開発、増産を止めることから徐々に廃絶へ向かうというのが 現実的だと思います。そういう部分に踏み込んで欲しかったですね。 今後、多くの人が核兵器廃絶という共通認識(モラル)を所持することを 願います。
- SPROCKETER
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どうでしょうかね。 米国は言葉の使い分けが多い国ですから、一方で核の無い平和を唱えながら、もう一方では精密誘導兵器で核技術を捨てた国を空爆して来たわけで、発言を鵜呑みにしてはいけないように思いますね。 日本で反核アピールをしたのは、核兵器開発に余念が無い国々への政治的牽制に過ぎないでしょうし、米国自身が核兵器を捨てるのかと言えば、それは別問題という立場でしょうし、理想を唱えても鵜呑みにしてはいけないと思います。 米国が日本で謝らなければならない事件が数多くあるのですが、今も隠蔽したまま謝罪も無いありさまです。沖縄だけではなく、日本全土で似たような事件が起こっていてもです。 原爆投下に関しては、事前に政府やマスコミが知っていて、情報操作で揉み消しに死に物狂いだった事実に関しては何も報道されませんが、米国が原爆開発に成功していた事実を当時の大本営が認めていれば、原爆投下前に休戦協定を結ぶことも出来たはずですが、全てを隠して徹底抗戦を叫び続けて原爆投下に繋がっている事実に関して、マスコミが一言も触れないのは批判されるべきだと思いますね。
お礼
回答ありがとうございます。 核技術を捨てた国とは具体的にどの国でしょうか? また核廃絶を訴えたのは四年前のプラハです。そしてノーベル 平和賞を受賞しました。 広島に来たのはその終着点であり出発点だと思います。 何もしない人間にはできません。核を落とした国の大統領が 落とされた日本国の広島に来るなど正直ありえません。しかし、 オバマ大統領は来ました。 そして沖縄の事件の捜査は日本の警察に委ねられました。 もうアメリカが関与することはありません。謝罪と賠償の責任 は生じるでしょう。 敗戦間近の広島は原爆の研究をしていました。それをアメリカが 察知して、いち早く完成した原爆を落としたのです。
- mrst48
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まず、質問のタイトルと内容が?で、 何を聞きたいのかが、いまいち・・・、 で、 >どう思いますか。人間としてのご意見をお願いします。 サミットがあるから「ついでに広島」と感じた方々もいるとか。 個人が感じた、感じることって、人それぞれであり 談話内容を素直に受け止めるかや、何を言ってんだと、感じる方もいるでしょう。 それは、当たり前であり、正解のないモノ。 戦争時の事について、その正当性は誰が判断するかで その結果は、違うモノに。 歴史が判断するって言ても、それも同じ事。 当時はそれが正しいと考え、信じるしかない状況であれば その正当性は、決められるモノかどうか? しかし、それを振り返り反省することはできる。 反省をいかにその後に後悔をしないようにすることもできる。 結局、それの判断は、誰もできないでしょうね。 人それぞれの考えがあるから。
- IDii24
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どう思いますか?と言われても。 一番の罪は戦争を起こした人間にあるわけですから。原爆を落とさずに日本は降伏したでしょうか。広島、長崎どころか西日本は全滅。東京まで半分以上が戦地化したと思います。そうなったら死者は原爆に比ではありません。 それでも原爆よりはマシなのか?要するにプロパガンダ化して国民を焚き付けた日本軍が最大の犯罪人だということになるので、原爆云々はまた別の話。 原爆はアメリカが作らなくてもどこかの国が作ったでしょう。それが、中東の国だったり北朝鮮だったりすればもっと悲惨な事でしょうね。原爆はアメリカ、ロシアの真似をして作ったのではなく、案外簡単に作れる代物なんで。 つまりいずれはどこかで広島の代わりに使われていたということ、たまたま広島だったっていうだけ。大量殺人兵器を作るか作らないかの判断についてはよくわかりません。すべての科学は反対に人間を殺す事も可能なものなので。どっちに向けるかは「怒り」の感情を殺す事が出来なければ無理で、戦争をしない生物は居ないのを考えれば地球上の生物である限り無理。 モラルってのはいわば勝手な考えの代表なので、モラルを持ち出すのは根本的に間違ってますね。モラルと思っているけど我儘だったりしますので。モラルとモラルが対峙すればそれも戦争なので。 オバマさんの演説はさすがにすごい。決して悪かったと謝らずに悲惨さを訴えた。それについては感心します。安倍に爪の赤でも飲ませたい。年上なのにね。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり、下の回答者さんの意見は科学者を擁護するばかりで、その 科学がどれほど人類を苦しめたかを表してはいません。 ノーベル賞の創始者のノーベル博士は、自身が発明したダイナマイト が殺戮に使われることを嘆いて人類の発展のためノーベル賞を設立 しました。その理念はノーベル平和賞に現れています。 果たして人類はどんな選択をするのでしょうか。