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★浄土真宗の本山について

浄土真宗の本山はなぜ、東本願寺と西本願寺が2つあるのですか?・・・ 本物はどっちですか?・・・ 偽物はどっちですか?・・・・・・・・・・・・・・・・

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  • hue2011
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回答No.2

そもそも浄土真宗というのは仏教でいう「プロテスタント」です。 キリスト教の場合は、カトリックに対してプロテスタントでした。 マリア像だとか偶像崇拝をやめて本来の自分の心の中を製錬するのが本当ではないか、というのがルターの主張したことです。 浄土真宗は親鸞と言う人が、それまでの仏教が、仏像や真筆なんかを拝み倒すだけのものであるのを憂慮し、坊主丸儲けになることを懸念したのです。 で、信仰が薄いものほど救われるべきであるという「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と宣言し、すべてを救済するのは教えであるとしたのです。 これが本来の本願寺派と呼ばれるものです。 聖職者が剃髪をしないでよいというのもプロテスタントと同じです。 この思想の延長線に一向宗というものがあり、これは必ずしも坊さんでなくても仏の教えを広め祈ることを許し、布教を奨励したのです。 これは、悪くいえば徒党を組みやすい宗教であって、時の政権と対立しかねないことが発生しました。 上杉、朝倉、島津、徳川、織田、などと対立してしばしば一揆をおこしました。 そこで織田信長はあの性格なのでつぶしにかかったのですけど、直接ぶつかると自軍の旗色が悪い。 なにしろ本願寺を敵に回すとなると、侍たちも刀の切れ味を悪くします。 そこで切り崩しにかかりました。虐殺にかかったのです。 宗教側としては、自分の信者が次々に殺されることをよしとはできないので、和平に動こうとする力が働きます。 ところが和平は認められない徹底抗戦だという神経のメンバーも大量にいるわけです。 ここで、大谷派というものができることになります。和平派です。 これが西本願寺です。 徹底抗戦を主張したほうは、東本願寺になります。こちらは本願寺派ということになります。 どちらが正しいということはありません。またこの2派がいま対立したりしていることもありません。織田の時代から相当時間もたっています。 別々に育った兄弟が隣り合って生活しているようなものです。 ホンモノだとかニセモノだということもありません。 浄土真宗に特徴的なことは、葬儀のときに「引導」がないことです。 他の仏教系は読経の最中に鋭い叫び声を上げます。これが引導です。それまでに故人が犯した罪をここでたち切り、釈迦の弟子として送り込むためです。 しかし浄土真宗はそれがありません。生きているときにしたことは罪でもなければけがれでもないという思想からです。 葬儀に参加された人は記憶があると思いますが、「お清め塩」を浄土真宗では無用のものと考えます。 理由は、葬儀自体をけがれたこととみなさないからです。 こういうリベラルな考え方で宗教活動をしている仏教徒です。

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  • mpascal
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回答No.1