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畑違いの多方面で才能を発揮された方
- 中曽根康弘さんは総理在任中に存在感を示した政治家でありながら、若い頃から何かと良からぬ噂が絶えなかった人物です。
- 伊藤忠商事元会長の故瀬島龍三氏は元々帝国陸軍のエリート官僚であり、敗戦後に商社で頭角を現し、政財界で重きを成しました。
- 畑違いの職種や部署で自身の能力を発揮することはできるが、能力よりも環境や総合力が重要であると考えています。
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こんにちはisoken さん 朝からの雨で退屈しておりましたがまことに好都合な質問 仰る瀬島龍三、 言われる途方もなくスケールの大きい人物であった その通りで私もごうも異論はありませんし Isoken さんが言われる事に付け加える事もない それ以上と言うことになれば山崎豊子さんの「不毛地帯」、 少し長いのですがこれを読むのが早いのでしょう 山崎さん主人公の壱岐正に特定のモデルはいないと言われたが 瀬島さんでしょうし疑いようもない 小説が面倒と言う方は仲代達矢で映画化されておりますし こちらでも十分でしょう 佐々敦之さんのスリーパー云々の証言は私は知りませんでしたが 佐々さんの事については最後に少しお話してみたいと思います 中曽根さんに瀬島さんと言う事でしたら 私は吉田茂に白洲次郎が直ぐ浮かぶのです 日本国憲法の現場に立ち会い常に世界と言うものに視点を置いた 天衣無縫、我が道をいくその気概、一人の人間としてまことに見事です 昭和史を駆け抜けた男 白洲次郎こそが私はふさわしいと思っております 次郎さんと正子さんには随分と面白い話しもありますが それはまた機会でもありましたら 最後に佐々敦之さんの事を少し 仰るように警察官僚を退官されて初代内閣安全保障室長の職に就かれた 出来る人は舞台を選ばない❗ 実にごもっともです 同じ事は後藤田正晴さんにも言えるのでしょう この二人の事は佐々さんの「我が上司後藤田正晴」に詳しいので もし未読でしたらisoken さんには面白い読み物でしょう
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isokenさん、お帰りなさい。 カラ出張、不正経理をきっかけに当時の生え抜き総裁を更迭して 石川島播磨重工業の社長だった真藤さんが電電公社の新総裁に就任 したのは1981年のこと。もちろんその後1985年の民営化を睨んだ 布石であるのは言うまでもありません。 真藤恒という人、当時電電公社にいた私の友人からよく話を聞かされて いましたが、役人体質の電電公社と全く水と油のように合わない人でした。 経営の合理化に心血注いだ経営者と、組織の慣性力にのっかって立ち回る のが得意な公社の職員ではまともな会話すらなりたたず、真藤総裁は、 まったくの異文化の地に降り立って苛立ちと焦燥でストレスの貯まる 日々だったことは想像にかたくありません。 製造業とサービス業ありがちのステージシフトと思いきや、当時の 電電公社はまだ民業にすらなっていないのです。「電話は、申し込んだら つけてやる。」時代でその積滞甲斐性が1977年にやっと終わったばかり。 真藤恒はそこで、まず足元を固めることにしました。石川島から連れてきた 腹心の秘書のほかに、総裁秘書のなかで心を許せる部下を探しました。 それが、後のドコモの副社長になる田島でした。また、官僚体質とは異なる 人材を好んで登用し民営化の推進役に抜擢しました。それがのちのリクルート 事件で名前の出る取締役たちでした。 真藤恒はNTTの民営化という大きな意識改革をなしとげ、造船屋での ドクター合理化という称号から民営化の宣教師にかえて30万人社員の 意識改革を成し遂げました。その功績も真藤恒の薫陶をうけた若者も 少なからずいるなかで、事件の後真藤恒はあまり世の中に顔をださず 2003年、1月92歳で亡くなります。 NTTの友人から話を聞くたびに、真藤さんは不本意な結末ながら、時代の 大きな舵を切る役割を担った偉大な人だと思います。 ステージがかわって、再び三度「主役」を演じられる人ばかりではありません。 いつでもそれぞれ「時分の花」ということがあります。世阿弥のいう時分とは 若い頃でしょうが、ビジネスマンの「時分花」とは風姿花伝の「まことの花」 なのでしょうが。 私は、ステージを変えて活躍している人、例えば先日書いた「星のや」の 星野佳路さんとか、漫画家の弘兼憲史さんとかが思い浮かびますが いずれも早い時期にステージを移っていますね。 金融機関というのはある意味恵まれていて、公務員も大企業も大なり 小なりそうなんですが、役職定年のあと次の人生が残されています。 以前紹介したメガバンクの支店長だったA氏。退職して乗り物すべて あつかう重工業の子会社の社長になり、その後も仕事で縁があって 一緒におつきあいさせていただきました。 もう、本当にのびのび仕事をされていて、その人のがいかに人生を 謳歌してきているかわかりました。 魅力があったのは、エゴイズムや出世や業績の脂ぎった雰囲気が ないところで、品がよかった。 あと一人。私の大学の同期。セメント会社に勤務して関西の製造会社 の社長になったけど、これが関西でも札付きの柄の悪い工場。 さぞかし苦労しているだろうと思ったら先日その友人からメール がきました。聴けば悪性リンパ腫の手術をしてよくなったから 慰労会をしてやろうという話でした。 いや、まったく人生いたるところに青山あり。油断禁物。 命あっての物種です。
お礼
ex さん、こんばんは、お久し振りです。 暇なはずが何故か忙しくしておりました、そこに人生最大級の花粉症と e - tax 確定申告に於けるマイ・ナンバー・カード制導入の弊害が重なりまして、もう身動き取れず仮死状態にありました。 そもそもかの制度は税の徴収が一義的であるはずなのに、現状では運用が穴だらけ・・、説明を求めた税務職員もその全てを把握しておらず、呆れ果て怒る気も失せましたが・・。 >カラ出張、不正経理をきっかけに当時の生え抜き総裁を更迭して 石川島播磨重工業の社長だった真藤さんが電電公社の新総裁に就任 したのは1981年のこと。もちろんその後1985年の民営化を睨んだ 布石であるのは言うまでもありません。 NTTに東京電力そしてJFEスチール,何故か内幸町には重厚長大型大企業の本社・本店が集いますが、それにしても真藤恒さん、懐かしいお名前です。 旧帝大出の昭和の経営者には骨太な人が少なくなかった、勿論 ex さんほど詳しくは知りませんが、まあ土光さんに次いで中曽根行財政改革の中核を担ったお方でしょうねぇ。 こう言っちゃ何ですが、2流3流であったIHIを受注高トップの造船会社へと押し上げた手腕は見事でした、・・と同時に引き際を誤り老害呼ばわりされる 「 自称中興の祖 」 ( 名前は伏せますが、2~3の都市銀行トップそして創業家でもないどこぞのガス屋さんの一族支配なんてそりゃもう酷かった ) が引きも切らぬ中、出処進退にも見るべきものがあった、リクルート未公開株で味噌を付けた晩年が返す返すも残念でなりません。 さていつの世も株式市場の活性化には大型株の牽引が絶対的な条件ですが、あの時はNTT株が主導的な役割を担い、史上空前の好況へと導きました。 >金融機関というのはある意味恵まれていて、公務員も大企業も大なり >小なりそうなんですが、役職定年のあと次の人生が残されています。 ところで公務員に対する妬みやっかみ・・、あれはどうにかならないものでしょうか。 昨今の日本人の心の貧しさを表しているようで、どうにもやり切れない、その種の怒りの矛先は、高い歳費を取りろくに仕事をしない無能な議員連中にこそ向けられるべきです。 それと同時に所謂高級官僚の天下りですが、個人的には或る程度容認すべきだと考えます、さもなければ天下り分を織り込んだ生涯賃金の額に相当する、年収の大幅アップを担保すべきでしょう。 或る種の暴論である事は百も承知ではありますが・・、つまり目を瞑っていろという事です。 公務員の平均給与が民間のそれを越えて久しいのは事実ですが、言葉は悪いが味噌も糞も一緒にした平均値でありますから、キャリアを目指す優秀な若者を誘引する魅力に欠けますからねぇ。 勿論天下り先の赤字塗れの会社から、何億もの退職金を毟り取る恥知らずは論外ですが・・。 その一方で正直申し上げて、バンカーにとっては銀行だけが我が天地でありますが、その実情と言えば幹に栄養が行き渡るように枝葉は早目に刈り取られてしまう、ありていに言えば卒業が早い業界ですね。 しかもごく稀な例外を除きほぼ片道切符、 「 絶対に帰すから・・ 」 という出向時の口約束が履行されたケースを私は知りません。 つまりメガバンクから出された半沢直樹が、出向先の証券会社から復帰するストーリーはまず有り得ない、依って銀行出身の池井戸潤氏がその辺りの整合性に拘るとするならば、半沢直樹の続編は無いという事になります。 まあ私個人としては、関連企業で役員の肩書でももらってのんびりやるのが一番だと思います、長くない人生を精々楽しまなくっちゃですね。 いつもながらの興味深い御回答、ありがとうございました。
元声優の難波克弘さん 元々は劇団の子役で、高校生の頃に『銀河漂流バイファム』の ロディ役で声優デビューし、その後色々な作品にも出演されていたのですが 幼少の頃からのパソコン好きが幸いして、大学卒業後に 日本マイクロソフトに入社し、その後アメリカに渡り MSワード6.0の開発に携わっています (WORDのMr.罫線とはこの人の事です)
お礼
0ihsot さん、おはようございます。 >元声優の難波克弘さん 不勉強で存じませんでしたので早速ググりましたら、かなりラフな経歴しか記されておりませんね。 何せ才人は時に思いも寄らぬ転身をする事がある、この人も恐らくそうなんでしょう。 回答ありがとうございました。
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お礼
kamejrou さん、おはようございます。 >山崎さん主人公の壱岐正に特定のモデルはいないと言われたが 瀬島さんでしょうし疑いようもない 全く仰る通りであの小説を読む限り、瀬島さんの生涯がストーリーの骨子になっているのは恐らく間違いのないところ、依って質問文に余計な注釈は入れませんでした。 まあ渾身の大作です、読み切るのに少々骨が折れますが、後にダグラス・グラマン事件の主役となる旧日商岩井の海部八郎氏のモデルも登場させておりまして、読み応え十分ですね。 伊藤忠を始めとする大手商社もかつてはあんな細かい商売をしていた・・、戦後日本が辿る復興への軌跡を知る為に、若い方にも是非読んで頂きたい本の一つ。 ・・と同時に、深田祐介氏著 「 神鷲( ガルーダ )商人 」 もお勧めしたい一冊、かつてインドネシア駐在員のバイブルと呼ばれた当著は、生贄と称された根本七保子さん・現デヴィ夫人の前半生を軸に、戦時倍賞・・所謂紐付き円借款の利権を巡って蠢く、政治家・商社・右翼の在り様が克明に記されております。 当時インドネシアを巡る利権争いは 木下産商 ( 後に三井物産に吸収される ) VS 東日貿易・伊藤忠商事 JV という構図でありましたが、JV のバックには大野伴睦・河野一郎そしてフィクサー児玉誉志夫という名だたる大物が控えておりました。 興味深いのは、当時まだオランダ領であった西イリアンへの侵攻作戦を意図していたスカルノ大統領が、その立案を伊藤忠商事嘱託にして元帝国陸軍参謀の瀬島氏に委ねたい意図があったという伝聞でありまして、河野一郎と児玉誉志夫を介してその後の中曽根康弘と瀬島龍三がここで結び付く・・、つまり点と点とが繋がる訳です。 >中曽根さんに瀬島さんと言う事でしたら >私は吉田茂に白洲次郎が直ぐ浮かぶのです 国破れて山河あり・・、全てに自信を喪失していた敗戦直後の日本に於いて、背筋を伸ばし決して卑屈にならずに GHQ と渡り合った数少ないお人との印象があります、有能且つ男のダンディズムを貫き通したスーパーマンですね、昭和中期以降の一時期忘れ去られた感があるのが不思議なくらいです。 >同じ事は後藤田正晴さんにも言えるのでしょう >この二人の事は佐々さんの「我が上司後藤田正晴」に詳しいので >もし未読でしたらisoken さんには面白い読み物でしょう 不世出の官房長官といえば、後藤田正晴さんを置いて他にはおられないでしょう。 何せ中曽根内閣の鼎の軽重でした、旧内務省出身で警察庁のトップ・・言うなれば官僚機構のドンと言って差し支えなかったろうと思います。 故にあらゆる情報が彼に集まる事となる・・、恐らく彼の存在がなければ中曽根さんが長期政権を担う事もなかったろうと・・。 さて佐々淳行氏・・、このおじさんのコメントは恐ろしく歯切れがいい、個人的には好きな人物の一人です。 そんな佐々氏がかつてこんな事を申しておりました、 「 田中角栄さんですか・・、あの方ほど警察官に評判がいい政治家は他におりませんでした 」 ・・と。 「 どうだ、飯は食ったのか?」・・と、目白御殿で立哨の任に当たっていた警察官に、角さん自ら一々声を掛けていたらしいですね、何せ雲の上の人ですからねぇ、仮に私だって感激してファンになっちゃいます、さすがは今太閤にして稀代の人たらし、苦労人の角さんらしい逸話でしょう。 これは余談なのですが、もう8~9年前になりますかねぇ、私が千代田区の一番町だか二番町を歩いておりましたら、とあるマンションの前に佇んでいる立哨の警官を見掛けたんです。 要人の私邸前で警備に当たる光景はたまに目にしますが、マンションは珍しい・・という事で、興味を持った私が問いかけましたら、そのお巡りさんも暇だったんでしょう、小声で教えてくれました 「 元総理大臣 ! 」 ・・と。 なるほど、小泉さんはこんなところに住んでいるのかと・・。 最期になりますが、佐々氏の著書に於いて瀬島氏の一件を言及していないとすれば、草稿或いは編集の段階で削除したのだろうと思います。 ソ連関係の好ましからぬ人物と瀬島氏が接触している確証を掴んでいた佐々さんは、その社会的抹殺を後藤田氏に何度も進言したらしいですよ、反響を恐れた後藤田氏が一存で握り潰したんじゃないでしょうか。 回答ありがとうございました。