- ベストアンサー
満州国は結果的に中国の領土を守ったのでは?
満州国は間違った考えだったと私は思います。すべきではありませんでした。 しかしながら、もし日本が満州国を作っていなければソ連は満州全土を手に入れ、とりわけ旅順港は絶対に手放さずシベリア鉄道の東端になっていただろうと私は思います。 どうして中国の人々は日本を恨むばかりで日本の暴挙こそが自国の領土をソ連から守ることになったと考えないのでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
「もし日本が満州国を作っていなければソ連は満州全土を手に入れ、とりわけ旅順港は絶対に手放さずシベリア鉄道の東端になっていただろうと私は思います。」 思われるのもなにも、このことをそのものが満州建国の理由ではありませんか? このようにお考えになられていながら 「満州国は間違った考えだったと私は思います。すべきではありませんでした。」 と言われるのは矛盾していませんか。 「間違った考えだった」とお考えになられるのは、満州国は日本の領土的野心で勝手に作っただけだという自虐史観による思い込みではありませんでしょうか。 当時は植民地主義に基づく帝国主義の時代でした。 簡単に言えば、欧米各国による中国大陸の支配地の分捕り合戦が繰り広げられていた時代です。 これを阻止できない清王朝を打倒しようとする勢力や自分の支配地を拡大しようという中国人自らの集団が加わり三つ巴四つ巴の抗争が繰り広げていた時代です。 日本はこの闘争に遅れて参加した形になっていました。 日本が参加する結果となったのは、帝政ロシアや後のソ連の南下政策の阻止が最大の目的です。 これに先立つ日清戦争も日露戦争もロシアの南下政策の阻止が根本的な理由です。 帝政ロシアは冬に凍結しない不凍港を求めて東アジアのみならずヨーロッパでも盛んに南下政策を取り続けていました。 ロシア革命後に生まれたソ連は世界中の社会主義化を最大の目的としていました。 当時の日本は欧米諸国の政治制度を導入した自由主義国でしたので、この社会主義の浸透を極度に警戒していました。 つまり、この南下政策や社会主義政策の浸透阻止の一つの手段として中国東北部に緩衝地帯を設けることが得策と考えました。 当時は帝国主義の時代ですので、この緩衝地帯も直接統治できる方法を採用しました。 この方法を進めた結果中国東北部に傀儡政権を樹立する結果となりました。 これが満州国です。 これが結果的に日本の経済権益に利することになったのは事実です。 とは言え、経済権益だけを目的としていたのでは無いことを御理解ください。 自虐史観の人達はこの目的と手段結果を全て混同していますので御注意願います。 これに成功したことに対して自国の権益の確保拡大を目論んでいた欧米諸国の反発を受けました。 平たく言えば、後進国の日本ごときが欧米とおなじことをやるのは生意気で僭越だということです。 巡り巡って第二次世界大戦となり、日本は全面降伏しました。 参考 日中戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日中戦争 門戸開放政策 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/門戸開放政策 当時は極めて複雑な時代だったことを御理解ください。 現在のシリアを中心とする中東の混迷よりも遥かに複雑な時代で、日本もその当事者だったことを御理解願います。 >どうして中国の人々は日本を恨むばかりで日本の暴挙こそが自国の領土をソ連から守ることになったと考えないのでしょうか? 守る? なにか勘違いをされておられませんでしょうか。 ソ連も中国共産党も同じ思想に基づいて作られたものです。 同盟国です。 現在の中国共産党を立ち上げた毛沢東は、ソ連が設立したコミンテルン(第三インターナショナル)の指導に基づいて中華ソビエト共和国臨時中央政府を樹立しました。(ソビエトという言葉が入っていることに御注意下さい) 現在の中国共産党の母体となった組織です。 現在のアメリカと日本よりも深い関係を持った国どうしでした。 ソビエト連邦政府にすれば何もわざわざロシア人が中国大陸を統治する必要はありません。 注:ソビエトというのはロシア革命で生まれた労働者、農民、兵士による組織名です。 現在のロシアはこのソビエトを解体した後に生まれた国家組織です。 現在のロシアが共産党政府が統治する中国と一定の距離を置いているのはこのためです。 現在の中国の人達が日本に反発するのは中国共産党による教育もありますが、基本的にはかつて中国を分割した欧米と同じ国だという事です。 満州国の皇帝は毛沢東が潰した清王朝の後裔である愛新覚羅です。 清王朝というのは北方民族です。 現在の中国共産党は漢民族による組織です。 日本は、漢民族を長いこと支配していた北方民族を擁護して漢民族である毛沢東に対峙した国ということになります。 台湾は同じ漢民族である孫文が樹立した中国国民党を母体とする政府が統治する国です。 孫文を政治家として育て上げて擁護していたのは日本です 孫文は長い間日本に留学していて明治維新を研究していました。 このようなことも台湾が親日的であることに影響しています。 国民どうしの反発というものは、このように過去の経緯に対する目に見えない感情が蓄積して生じていくものです。 目に見える事象だけを取り上げて理屈づけしても意味がありません、と言いますか相互誤解の溝を深めるだけです。
その他の回答 (4)
こういった事を質問する人が多いが・・・・ 過去の歴史を変える事が出来ないのなら 歴史は未来への教訓なのです・・ 今 するべき事は 過去の歴史を どうこう言う事では無い・・と 思うが?・・ もっと言えば 現在の平成時代を 未来の子孫達が 「こうすれば良い時代になってたのに・・」と 言ってる様なもの・・ だったら そう言われない時代に 現在を変えれば良いだけ・・
お礼
>今 するべき事は 過去の歴史を どうこう言う事では無い・・と 思うが?・・ 歴史を振り返って「こういう見方もある」とこれまでとは別な見方をするのは意義があると思います。中国は一方的に日本を歴史問題でこきおろしていますが、実は日本軍が暴れたおかげで結果的に中国の領土が守られたではないかと私は主張しています。 ご回答ありがとうございました
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
1. 中華人民共和国にとって日本は「敵国」であり、戦争した相手であります。故に、日本が降伏文書にサインして正式に敗戦が決まった日の翌日である9月3日は「抗日戦争記念日」として祝日になっているのです。 2. 中華人民共和国は社会主義国であり、その国父たる毛沢東は「中華ソビエト共和国臨時中央政府」の樹立を宣言してその主席になったこともあります。 その後路線対立によって中ソ戦争になったこともありましたが、元はといえば「同志」なんだから、その同志を批判して戦争相手だった敵国を感謝するなんて話の辻褄が合わないじゃないですか。 だから私が中華人民共和国の関係者だったらこう答えるでしょうね。「もしソビエトコミンテルンがシベリア鉄道と旅順の権益を所有していたなら、それらは平和裏に中華人民共和国に返還されたことだっただろう。実際にソ連軍が満州を占領した後は中華人民共和国に返還されたのだから」
お礼
>戦争相手だった敵国を感謝するなんて話の辻褄が合わないじゃないですか。 感謝せよとは言っておりません。「そのようにも考えられる」と言っています。 毛沢東さんは「日本軍が国民党を痛めつけてくれたので我々は国民党に勝てた」こういう言い方でいいんです。日本こそが結果的に中国の領土を守ったじゃないか、と。 >もしソビエトコミンテルンがシベリア鉄道と旅順の権益を所有していたなら、それらは平和裏に中華人民共和国に返還されたことだっただろう。 そんなことは決してありません。ソ連はがめつい。めちゃくちゃがめつい。がめついソ連が占領した満州を中国に返したのは次の理由によります。 1.中国はともに日本と戦った同志である。 2.自発的に共産国になろうとしている思想上の同志である。 3.満州は日露戦争に負けて放棄した地域である。日本には絶対に返さないが、中国はもともとの主だし、同志だから返すのも止むを得ない。ソ連は思想上、国際的に孤立しているが、中国を味方につけるのは大きい。 もし日露戦争にロシアが勝利していたら当然満州は分捕っていました。満州でさえ分捕っていたのですからすでに自分のものとなっていた遼東半島は絶対に手放しません。 ご回答ありがとうございました
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
そりゃ 元々中国の土地だったところに日本が勝手に満州なんて国を作ったんだから中国人は感謝なんかしないでしょう 確かに満州は中ソの間に打たれたくさびで有った事は事実です だからこそアメリカは全力でつぶしに掛かったわけだし(日本が万一ソ連とでも組んだら困るからね) 中国人に感謝なんて感情はそもそもあるの?
お礼
>中国人は感謝なんかしないでしょう もちろんしません。猛烈に非難しています。しかし毛沢東さんは「日本が国民党をやっつけてくれたから我々は勝てた」と言ってくれました。「結果的に日本がソ連を撃退して、満州国を作ったから満州は中国に返ってきた」と言ってほしかったです。 ご回答ありがとうございました
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
その「中国の人々」って、誰? もし、今の中共の人たちのことを言っているなら、彼らは中国の侵略者であって、満州国を引き継いだ中国の人びとではないといえます。 当時の中国の人々は、ある意味、日本との戦いに疲弊したせいで、中国本土すら追われてしまっています。 あと、満州国を主に支配していたのは中国の支配階層だった満州族で、日本と主に戦った漢族ではないので、満州を自国ととらえていなかったかも。 拡大政策後の中共はともかく、漢族が満州族での地を求めるというのは、かつて日本に支配された朝鮮人が日本の地を求めるのと同じなので、ひょっとしたら、満州を当時の中国が支配していたら、平気でソ連に割譲していたかも。
お礼
おお、ポテトさん、私の質問にお付き合いくださいましてありがとうございます。 >その「中国の人々」って、誰? もし、今の中共の人たちのことを言っているなら、彼らは中国の侵略者であって、満州国を引き継いだ中国の人びとではないといえます。 当時の中国の人々は、ある意味、日本との戦いに疲弊したせいで、中国本土すら追われてしまっています。 広い意味の中国人です。現に共産党はほとんど日本と戦わなかったのに戦ったことにしています。 >ひょっとしたら、満州を当時の中国が支配していたら、平気でソ連に割譲していたかも。 そんなことはありません。中国はがめつい。南沙諸島を見ても明白です。ソ連とは国境の島を巡って小競り合いが起きました。
お礼
>このようにお考えになられていながら「満州国は間違った考えだったと私は思います。すべきではありませんでした。」と言われるのは矛盾していませんか。 ロシアは間違っていました。日本も間違っていました。日本は狭い国土ながらも1990年にはたいへんな国力を持つに至りました。つまり領土拡張を夢見ることなく経済力をつける道を選ぶべきでした。 >守る? なにか勘違いをされておられませんでしょうか。 守るというのは何も日本が意図して守ったということではありません。結果的に中国の領土をソ連から守ったことになったと私は言っています。 日本という国がなければ満州はソ連のものになっていました。現実に遼東半島はすでにロシアのものでありました。 ご回答ありがとうございました