※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:親の最後の時の選び取り)
親の最後の時の選び取り
このQ&Aのポイント
94歳の父の最後の時について悩んでいます。認知症が進行しており、入院したことも多くなっています。
父のADLの低下が著しく、発語も立てない状態です。延命措置についての話もありますが、どこまでが延命で、どれが父の希望に沿っているのかわかりません。
入院する場合の褥瘡や拘縮による苦痛が心配です。在宅で看取ることも考えましたが、容態が安定しないため難しいと言われました。アドバイスをお願いします。
私の父は94歳、間もなく95歳です。長生きしてくれました。
認知症でサ高住(施設)で8年間お世話になっていましたが、この2年コロナで面会ができなかったことや、脳の萎縮もあって認知症が光の速度で進んでしまい、尿意、食への想い、その他生理現象においても、また感情面でも無反応で、トイレは施設職員さんが時間ごとにお連れ下さり、便座に座るとしている、と言う状態、食事(刻み食とトロミの液体)も口元に持って行くと食べる、という状態でした。
そして10日程前に(その2日前にコロナワクチン接種3回目をしました)39度の発熱で、施設併設の療養型病院に入院しました。
高熱だったこと、連れて行った時、呼びかけに一切答えられず、意識レベルも低下していて、やっと吹き返したら、嘔吐を繰り返し、落ち着いた後CT検査と血液検査でも肺炎症状が見られたために入院となりました。ワクチン接種の影響もあると言われました。
その後点滴(高栄養ではない水分点滴)や抗生剤を投与していただき、数日後に熱が下がり、昨日から点滴を止めトロミ液体を経口摂取し嚥下障害がないので、今日からゼリーなどの食事を始めます。
今回の入院はこの2年間の間に、4度目で、一回目は尿路感染症、2度目は誤嚥性肺炎、3度目は尿路感染症、そして今回は肺炎症状と尿も汚れているということで、過去3回は最短で4日~1ヶ月の入院後、施設に戻ることができました。
でも今回は父の認知症も含めたADLの低下が著しく、発語がない(2年半前から)立てない、尿意がないだけではなくオムツが汚れても無反応、食事も欲しがらず、コミュニケーションんも不可、ただ点滴を抜いてしまうなどの拒否もなく、ジッとしているそうです。
何しろ一切面会ができないので、言われたことを信じるしかなく、この先どうしてあげたらもの言えぬ父の為に良いのかがわからず苦慮しています。
父と話すことができた2年半前には、こうした事態になった時の話もよくしました。延命措置(胃ろう鼻からチューブ)をしない、痛み苦しみだけ取ってあげて静かに逝かせてほしいという希望も聞いていました。ところがいざとなった時、どこまでが延命なのか否かがわからなくなってしまったのと、それらを一切しないことで父が痛み苦しむという現実に直面しています。例えば、施設では立てない父をトイレにお連れ下さっていたので、褥瘡や拘縮がありませんでした。
でも病院ではトイレ介助はしないということで、褥瘡や拘縮があっという間にでき、痛み苦しむということをお聞きしました。
そして水分点滴さえしないという選択肢もあるのですが、それをするとまだ息をして今生きている父から生きる為に必要な物をいきなり奪うこととなり、唇や下の渇き、痰が溜まり、苦しい吸い取りも必要になり・・・とても残酷な死を迎えるとお聞きしました。
点滴も2種あり、この水分点滴は血管への抜き射しが頻繁で痛い想いを何回もさせること、また、血管がボロボロになってしまう。
もう1つの1日カステラ一個分と言われている中心静脈点滴だと、その痛みは少ないと言われました。
実は6年前に同じ病院で亡くなった母はこの中心静脈点滴でした。
父は今生きていて幸せなのか、わからないのですが、自分の親とはいえ人の命、その命をどのようにしてあげることが父にとっての最善なのかわからないのです。
延命と一言で言っても、続命の要素もあり、線引きが難しいのです。
延命、続命、断命、この3つの狭間に置かれてしまい、そのどれが「父との約束=痛み苦しみを取る」であるのかわからないのです。
母は同じ病院に入院し、11ヶ月間中心静脈点滴で生きて、最後は感染症で亡くなりましたが、コロナ禍ではなかったので毎日のように会うことができ、お別れをすることができました。
でも父とは会うこともできず、入院したら病院に託し、お任せすることになります。
母にとても良くして下さった病院で、トイレ介助は点滴していてあぶないからできない代わりにと1日に一回車いすに移して下さり、ナースステーション前に二時間程置いて下さっていました。
うつ病になって口から物を食べなくなっての入院でしたが、感染症になるまでは、プリンやヨーグルトを少しだけど食べさせて下さいました。外出も車いすごと介護タクシーで月2回程させて下さいました。
褥瘡のこともできていたのか知識がなくわかりませんでしたが、母は痛がっていませんでした。認知症は少しありましたが、しっかりしていました。熱が出るまではリハビリをして下さったので拘縮もあまりなかったのです。おむつ替えを痛がりませんでした。
父がいた施設はサ高住なので、看取りをしません。なので、何かあれば今いる施設隣りの病院に入院となります。
施設職員さん達は、食事さえ摂れるのであれば、精いっぱいお世話します、施設にいれば、褥瘡もあまりできないと思いますが、入院したらあっという間にできてしまいます、とおっしゃいます。
でも誤嚥性肺炎のリスクが上がっている今、施設に戻ることは難しいようにも感じています。父は立つこともできないので。
お風呂もトイレ介助も職員さん二人がかりでして下さっていました。
要介護5の全介助です。
おそらく戻してあげてもまた誤嚥して病院に戻されてしまいます。
実は在宅での看取りも考えたのですが、父はアルツハイマー型認知症で、多発性脳梗塞もあり、高血圧でもあって、家で看てあげられるのは私一人で、包括で相談したのですが、気持ちだけでは介護はできません、あなたに何かあったらお父様は居場所がなくなってしまいます。と言われてしまいました。
このコロナ禍で、受け入れ先がなくなってしまっている高齢者がたくさんいることもお聞きしました。
最後まで看て下さる手厚い病院があるということがどれ程感謝なことなのか痛感しました。
友人は同じような状況でお父様をお家に引き取った10日後に痰がのど喉に詰まり窒息死してしまったのです。
私が心配していることは、父のQOLであり入院した場合の褥瘡と拘縮などによる苦痛なのです。
感情面では父はもうわからなくなっている可能性が高いので、痛み苦しみだけは取ってあげたいのですが、それは不可能なことなのでしょうか?
アドバイスよろしくお願いいたします。
お礼
やはり施設でもなく自宅でもなく、「病院で」ということなのですね。病院にしても施設にしても一長一短で、ましてや在宅で、となるとこのコロナ禍で父にとっての良い介護は望めませんよね。 そして自宅では父が急変した時に処置ができず結局病院に、施設にしても然りですから。お答えをありがとうございました。
補足
認知症でコミュニケーションがほぼできない父のADLは本当に落ち切っていて、なので施設に戻してあげることで父が喜ぶことはないので(病院よりは良いかもしれませんが)病院での最後を選ぶ気持ちになりました。ただ、願わくば、「痛み苦しみなく」をしてあげたいので、今その方法を模索しております。末期がんになった父方の叔父はいかなる延命措置もしないと明言しておりましたので、お水のみの点滴で最後は血管がボロボロになりそれもできなくなり亡くなりました。叔父を看取った叔母も、そのように名言しており、中心静脈点滴さえ拒否しています。そして父にもそうした点滴をせず、叔父のようにお水点滴をできるところまでしてあげて、逝かせてあげたらと言われました。日本人のほとんどが自分が執行ボタンを押したようで後々鬱になる人も多く、それで中心静脈点滴を選ぶ方が圧倒的なのだそうです。父は・・・「一切の延命措置をしないで痛み苦しみだけできるだけ取ってほしい」そう言っていましたのでお水の点滴、と思うのですが、針を毎日のように射すことになり、可哀想ですよ、と主治医に言われ揺れています。どんなにしてあげても、中心静脈にしてもそうでなくても、最後は痰を取ってあげたり、拘縮のある足を動かしてのオムツ交換など、痛みを通るものなのでしょうか・・・。叔母は、最後はしょうがない、自分も覚悟している。お父様もきっとそうだと思う、と言ってくれました。親とはいえ人の命・・・本当に悩みます。