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階級社会および経済倫理学に関する疑問
世の中に存在している富と人はともに有限ですから、以下の式により 1人あたりの富(つまり平均)が数学的に(客観的に)定まります。 平均=合計÷人数 このとき、平均以上の富を享受している人は、 平均以下の人から偏差の分だけ奪っていることになりませんか? (それは、「よいこと」なのでしょうか?)
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質問者が選んだベストアンサー
奪っているわけではないこととそうであることがあるかと思います。 まず、才能や運、ほかの回答者さんのとおり努力があるでしょう。 頑張った分の分配の差は資本主義であるわけです。 全員が同じ所得だと、余裕をもって社会のことを守ろうとか考える人もいなくなり、おそらく全員がサバイバルになって自分のことしか考えません。 しかし、不運、計測の仕方が正しいかなどあり、社会保障など助けやセフティーネットがないのもおかしくなります。 ですので、両方組み合わせているのが、現代社会になります。
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- hekiyu
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例えば、都心の1等地の不動産を相続した土地所有者は、 貸し出すだけで寝てても毎月莫大な賃料が入ってきます。 他方、ワーキングプアなど加重労働でも低賃金の人もいます。 ↑ 奪う、というのは人の持っている財やサービスを 我が物にすることです。 相続は、頑張った人の財を引き継ぐだけだから 貧困層から奪ったことにはなりません。 クルーグマンも次のようなことを言っています。 「搾取というが、そもそも米国の貧困層 は、働いたことも無いのが多いんだが。 働かない者から搾取しようがないだろう」 質問者さんのおっしゃる意味はわかります。 不公平だ、ということです。 それはその通りですが、奪う、というのとは 違うと思います。 不公平だから、何か手を打て、てことでしょう。 ピケテイ氏のいうように、世界的な資産課税を 検討すべきかもしれません。
お礼
相続税を100%にすべきことは言うまでもありませんが、累進資産課税も必要でしょうね。 「働かない者から搾取しようがない」とのことですが、 仮に働かなくても「家賃」は発生しませんか? 「地主階級」は、失業者でさえ「搾取可能」なのですよ。 回答ありがとうございます。
補足
「頑張らなくても富を手にすることが出来る ということになったら誰も頑張らなくなります」 ということと、 「相続は、頑張った人の財を引き継ぐだけだから 貧困層から奪ったことにはなりません。」 ということの「整合性」はどう取ればよいのでしょうか? (例えば、都心の1等地の不動産を相続できない人は、 頑張らなくてもよい、ということですか?) なお、 平均以上の正の偏差は、平均以下の負の偏差からしか持ってくることができません。 この客観的な事実は、グラフに「平均の線」を1本引いてみれば、一目瞭然です。 また、富の差の根拠として、別の回答者の方がおっしゃっている「作業をして何かを与えた」基準を採択する場合、ワーキングプアなどの貧困層は、1等地の不動産を相続して寝ている人よりも「作業をして何かを与えた」ことにはならない、となりますが、これは少々無理があるように思われます。
- ques9900
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>このとき、平均以上の富を享受している人は、 >平均以下の人から偏差の分だけ奪っていることになりませんか? 作業をして何かを与えたものと、与えられたものとで富に差が出るのは 自然です。 与えられたのに富が一緒という事が奪うという行為です。 推測ですが、あなたの疑問は、同一価値労働同一賃金で解消される気がします。 そして同一価値労働を評価する仕組みがないのが現状です。 これは個人的な蛇足ですが、 ロイヤリティや金利、可処分所得の不平等な分配や相続などが 富の適切な分配を歪めているかもしれないと思っています。
お礼
「相続」と「階級社会」というのは、密接な関係にありそうですね。 回答ありがとうございます。
- human21
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奪っている事にはならないと思います。 人間の能力には違いがあり、その違いによって収入に差があるのは 自然ではないでしょうか。 能力の差を無視して同じ富を与えるのは不自然で不公平です。 それでは世の中から競争が無くなり、進歩も無くなります。 ただ、アメリカのように格差が広がり過ぎるのは大きな問題です。 質問者さんが言われるように富は有限なので、富裕層が多く搾取すると 他の多くの国民が貧困にあえぐようになってしまいます。 共産主義のソ連は崩壊しましたが、格差が大きすぎるアメリカにも いずれ大きな変化があると予想しています。 富の再分配がアメリカには必要であり、日本にも必要な気がします。 何事も行き過ぎるのは良くないと思います。
お礼
> 富の再分配がアメリカには必要であり、日本にも必要な気がします。 その通り。富裕層から貧困層への富の再分配は絶対に必要でしょう。 日本って不思議ですよね、資産も持っていない貧しい若者から何かと口実をつけ搾取して何千万円もの預貯金を持つ富裕層へ「逆再分配」したり、第二次世界大戦の時だって客観的に見ても絶対に勝てないのに「一億総玉砕」させたり、いったい”権力側”はもう少し「合理的に考える」ということができないのでしょうかねぇ? 貧困層から富裕層への「逆再分配」は、”権力側”が弱者を押さえつけることは、いとも簡単だからきっと平気でやっちゃうんでしょうね、癖になって。 回答誠にありがとうございました。
- hekiyu
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このとき、平均以上の富を享受している人は、 平均以下の人から偏差の分だけ奪っていることになりませんか? ↑ なりません。 全員が同じ平均値ということであれば、頑張った人も 怠けた人も同じ富を得られる、ということに なりますが、それは不公平です。 頑張った人にはそれに応じた富が分配されるべきです。 それこそ努力が報われる社会、ということです。 頑張らなくても富を手にすることが出来る ということになったら誰も頑張らなくなります。 (それは、「よいこと」なのでしょうか?) ↑ 頑張りの応じた富の分配は良いことです。 努力が報われる社会には格差という問題が あります。 それを是正しようとして、悪平等にした 社会主義はあの有様です。 社会主義が産みだしたのは、貧困と独裁と 自国民の大量虐殺でした。 格差社会の方がはるかによいことです。
お礼
私には「格差社会」が「よい」とは思えません。 回答ありがとうございました。
補足
「頑張り」や「努力」を「客観的に」定めることはできるのでしょうか? 例えば、都心の1等地の不動産を相続した土地所有者は、 貸し出すだけで寝てても毎月莫大な賃料が入ってきます。 他方、ワーキングプアなど加重労働でも低賃金の人もいます。
お礼
「頑張った分の分配の差は資本主義であるわけです。」とのことですが、 そもそも「頑張った」はどのように「客観的」に計量するのでしょうか・・・評価が「主観的」であるならば、「頑張ったフリ」が横行しませんか・・・ また、「頑張った分の分配の差」という考え方は、「資本主義」というよりも「統制経済」に近い感じがします。「資本主義」って、資本が資本を生む(G―W―G')ことを肯定する経済体制だから、不労所得(労働によらない所得やキャピタルゲイン等)を認めているのでは? 回答ありがとうございます。勉強になりました。