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働く目的。
ディベートをするのに、結構資料がなくて困っています。 回答お願いします。 私は、「働く目的は、経済的豊かな生活を送るためである」という題でのディベートの肯定派です。 賛否両論、どちらの意見でも良いのでよろしくおねがいします。
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否定派 労働そのものが喜びである場合もあり、私生活を犠牲にして労働に勤しむ人がいるのも事実。経済的に十分豊かであっても仕事をやめない事があるのは目的が別にある為である。 仕事が面白い、仕事を通じて社会に関わる事に充実感を覚える、など、労働そのものが生き甲斐である場合もある。私生活を楽しまず、仕事に熱中するという人物像は容易に想像できる。金銭目的でないボランティア活動も労働の一種であり、賃金労働にもボランティア精神が全く無縁とは言えないので命題は間違っていある。経済的充足よりも精神的な充足を求めての労働があるといえる。社会的地位、名誉など、労働の目的は金銭獲得に限らない。 精神的な幸福は金銭で買えるものではない。 ・・とくると思います。 肯定派としては、 現代社会は人命さえ金銭に換算する経済社会である。経済力を得れば、望む事が実現できる。望む事はより多く叶えられたほうが幸福であるから、経済力は高い方が幸せである。人は誰も幸福である事を望むから、経済的に豊かである事を望む。金銭を獲得して経済力を高める為には代価として労働力を提供しなければならない。従って労働は金銭を獲得する手段であるといえる。より多くの欲求を満たす為、働いて経済的に豊かになろうとするのである。働く事自体が好き、賃金はおまけみたいなもの、仕事で社会に貢献する事が目的、などというのは言葉の言い換えであって、このような場合は「働く」といわず「奉仕する」と言ったほうが適切である。 このような、強制、制裁、奉仕などの「言い換え」を排除すれば 働く事は交換価値として金銭を得る事が目的と言い切れるのであり、より多くの欲望を満たすべく経済的に豊かな生活を目指しての事であると言える。 といった感じでどうでしょうか。ひとりディベートで、肯定の勝ち!ということで。
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- microvoltage
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マズローの人間の欲求五段階説で下位から 「生理的欲求」「安全の欲求」「愛と所属の欲求」「自尊心の欲求」「自己実現の欲求」がありますよね。 「働く目的は、経済的豊かな生活を送るためである」というのはたかだか『生理的欲求』『安全の欲求』を満たす程度だと思います。 芸術家のみならず「所属の欲求」「自尊心の欲求」「自己実現の欲求」のために仕事をする人はスポーツ界、政界、起業家、科学者、教師、棋士様々です。 小室哲也がお金のためにこれ以上仕事する必要があるでしょうか? 長島は引退したら食っていけないのでしょうか? というのはどうでしょう。
- shibako74
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これは良い、悪い、の観点からみてのディベートでしょうか? 実際の生活を見ると、双方の観点それぞれで仕事をしている人がいますよね。公務員とかで「仕事につまるつまらんとか考えたことない、生きるためだから」という人もいれば「好きな仕事しかしない」人もいるし… でも否定派の個人的意見として… 経済的豊かな生活を送るために働く、とありますが、豊かな生活のために人生の3分の1を仕事に費やす、ということですよね。人それぞれの価値観でそれは長くもあり短くも感じる…私はその8時間が長く感じる人間です。絶対的に好きな仕事をやっているというわけではありませんが、苦痛を伴う仕事でしか経済的に豊かになれない、となったら苦痛を伴わない薄給の仕事を選ぶと思います。また、仕事が好き、または仕事に充実感や情熱を持たない人間が職につき、金のためだけに仕事をしていても、その企業は発展しないと思います(仕事の品質をよりよくしようと思わないから) あとこの「働く目的は、経済的豊かな生活を送るためである」という主張の矛盾点について、この主張は例えば売れない芸術家には当てはまりませんが、芸術家の活動は労働に定義されないのでしょうか?下記の人の主婦の家事労働は、経済的豊か、というよりは快適な家庭環境のための労働だと思います。その点でも「働く目的は、経済的豊かな生活を送るためである」 に限定されてしまうと例外がいっぱい見受けられます。 結論は「働く目的は個人個人の義務感もしくは願望達成のためのものである」とした方が例外が見つかりにくい=否定派にディベートで負かされにくいのでは?
- pana-shop
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「働く目的は、経済的豊かな生活を送るためである」 を肯定すると言うことは、主婦の家事労働はどうなるのでしょうか? そもそも労働とはどこまでのことを労働と定義するのでしょうか? それによっては、労働しない人間などありえないのでは?
- osafune
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regulus_99さん、こんにちは。 「働く」=「勤労」は、目的以前に憲法により国民の「義務」とされています。したがって、国民は義務で働いているのであって、豊かな生活をおくるためでは無いとも言えます。 日本国憲法 第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 また、国民には「幸福を追求する権利」があります。したがって、豊かな生活をおくる事は当然であるとも言えます。 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする と、いうことで憲法は、否定肯定どちらにも利用できます。 おもしろいなぁ。頑張って下さいね。
お礼
今回は、回答を有難うございます。 憲法を調べるという手もあったんですね。 この憲法を、より肯定派に傾けるための資料にさせていただきます。 有難うございました。
- sokura
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ディベートが活発になるよう、次のような疑問を提出します。 経済的に豊かになれば、働かないですむものか。経済的に豊かなものが、それでは、なお一層働こうとするのは何のためか。 趣味と働くことはどのように違うのか。 働くことは、誰に求められているのか。 社会的な要請として、今も勤勉な人々が求められているが、勤勉とどん欲はどのように違うのか。 働くことは営利の追求、資本主義の保守、修繕のために必要だが、今後の社会で それらは満たされるのだろうか? 働くことの質の変換を求められている、とは、営利主義に行き詰まった企業の経営者がよく言う言葉だが、それでは、文化的なことに血道をあげる企業が生き残っていくことなど可能なのだろうか。 経済的に豊かな生活を実現することは、すでに達成された、と捉えて、逆の発想から質問をするものは出てこないだろうか。 フリーターはテキトーに食えて、テキトーに勉めて、趣味を充実させたい、と考えている。むしろ、働くことに、目的を見つけない方向の働き方を提示している。 これは、新しい労働形態の提示であるとすれば、企業はどのように、これを利用すべきか。 以上のような視点ではどうでしょうか。
お礼
回答有難うございます。 たくさんの疑問を、これから仲間内で話し合い、ディベートで活発に、そしてより優位な発言が出来るように濃いものにしていこうとおもいます。 新たな視点、ということも必要なんだと思いました。
お礼
回答有難うございます。 否定・肯定の両意見、とてもためになりました。 これから、肯定は意見をより膨らませ、肯定派が勝てるようにしていきたいとおもいます。 明確で分かりやすかったです。 有難うございました。