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自分の認めていた自分らしさが異常だと否定された時
長い間抱えている精神病が治るのか不安です。 それだけではなく、今まで性格的な問題なんだろうってそこも自分なんだと肯定して認めていたのに、自分のアイデンティティの根幹部分が異常だと言われたら 、病的なものが取り除かれた自分が全く想像出来なくて不安です。 治療を開始してから一年くらい立ちました。人から明るくなったねとか、変わったねとか言われます。 でもこれは投薬治療の結果、緊張とか被害妄想とか恐怖が薄れただけな気がします。薬に影響されているから、本当の自分がこんな性格だったかと懐疑的になっています。 今、大学生です。 中学校の時あたり、いじめやら虐待やらのエピソードがあってから、今までのような病的な性格なのです(´•ω•`) おかしいけど、それが自分なんだって認めて引きこもりがちに生きていたのですが、それが病で異常で、改めないといけないのだと言われた時、どう改めたらいいのだろうと、自分はどんな人になりたいのだろうとか、中高生が悩むようなアイデンティティのような事を悩んでいる自分が馬鹿らしいです。 精神病て一気に治るのではなく、寛解と増悪を繰り返しながらいい方向に治していくというものならば、障害が取り除かれた自分がどうなりたいのかみたいなことを考えています。 アドバイスお願いします。
専門家の回答 ( 1 )
- 専門家吉田 修(@osamucom0409) 産業カウンセラー
こんにちは。 読ませていただきました。 勇気が出ないんですね。 勇気とは「恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり」(プラトン)です。 うつの治療を始めて改善しつつあるとき、こういう寛解後の自分と今までの自分のギャップに戸惑う時期というのは必ずあって、この時に、周囲からどういうサポートを受けるかで増悪の落ち込みを少なくし、寛解への道を加速することができます。 悪い方向はもちろん、よい方向であるにせよ、変化するということに対して、人は憶病になるものです。 これを恒常性といいます。 一定でありたいと思う気持ちなんですね。 現在通院している病院で、お医者様に相談したり、カウンセラーにカウンセリングしてもららぅというのは近道ですね。 こういうご自身の考えていることをしっかり訴え、話すことはとても大切なことです。 こういうことは勇気がいるんですね。 それと、こういうところにあなたはちゃんと自分の言葉で相談できている。 まず、この勇気はとても素晴らしいことです。 思うのですが、 >緊張とか被害妄想とか恐怖 これは病的なものではありません。 たまたま生活を送るにあたって強く出てきているので不便を感じるから、抑えていたということが本当だと思います。 いじめられたり、虐待されれば、誰だって「緊張とか被害妄想とか恐怖」という感情を抱きます。 当たり前です。 あなたはたまたま病院で薬を使ってこの感情を自分でコントロールできる範囲に抑えていただけではないでしょうか。 それがひと段落付きそうだということだけではないでしょうか。 勇気とは、問題の所在を見極め、できることとできないこと、やりたいこととやれないことを明らかにする冷静な心の働きです。 その考えがまとまらないから勇気が出ずに不安なんですね。 時間はたっぷりあります。 焦らなくてもいいですし、あなたは付き合いたい人と付き合えばいいですし、嫌なことはやらなくてもいい。 できることをとにかくやってみて、できないことを知る。 よかったことはどんどんやってみて、よくなかったことはやめる。 特に不都合がなければ、妙にいじらないということがコツです。 これはソリューションフォーカスというセラピーのエッセンスです。 人生をいじくりまわさないことです。 変化を前にして落ち着くことも勇気です。 これからぼちぼちと始めてみますか! 応援してます。
吉田 修(@osamucom0409) プロフィール
産業カウンセラー(日本産業カウンセラー協会) 吉田修(株式会社Dream・Giver) ■ご質問者・みなさまへ■ コーチング最新メソッドを使い、自分でできる、気持ちの切り替え方法をご提案しま...
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