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高齢者と自動車問題についての疑問
- 自動車中心の国策が現在の問題の原因となっているのか
- 高齢者の免許返納は根本的な解決策ではないのか
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>諸悪の根源は国にあると考えているのですが如何でしょうか。 根源は国ではなく、選挙民である国民です。 現状はご指摘の通りですが、このような状態に至ったことに関しては若干誤解があるものと思います。 昭和の高度成長時代というのは、車すなわち自家用車を持つということがステイタスでした。 車の大きさも所得水準を表すステイタスでした。 「モータリーゼーション」とか「車社会」という言葉をお聞きになられたことはありませんでしょうか。 平たく言いますと車優先の社会を如何に早く作り上げるかということが追いつき追い越せの象徴でした。 噂に聞くアメリカのように誰もが車を持っている社会というのが理想であり憧れでした。 車で移動し易い都市を如何につくるか、ということが求められた時代です。 道路という道路が次々と舗装されて行きました、必要であるか否かなど二の次でした。 現在の歩道が無い道路はその時代の名残りです。 東京でも路面電車が縦横に走っていましたが、車の走行に邪魔だ、という理由だけで全面撤去されてしまいました。 現在1路線だけがかろうじて残っているだけです。 このようなことを積極的に行う政治家が選ばれました。 都内の路面電車を廃止したのも革新系と呼ばれる都知事の時代です。 東京や大阪は上空からみるとドーム状に排ガスによるスモッグが覆っていました。 タイヤがすり減った分だけ川へ流れ込み、都市の川という川は墨を流したように真っ黒でした。 車公害などと言われるようになったのは、工場が引き起こす公害が片づけられた後のことです。 スーパーマーケットが勃興し普及したのも同じ時期です。 従来からあった都市中心部の商店街を保護する目的の大店法(大規模小売店舗立地法)という法律のが施行されて、スーパーなどの大型店舗は都市の郊外に立地させらました。 全国の小売店からの激しい突き上げで作られた法律です。 WTOに提訴されて2006年に廃止されました。 現在は全く別な目的の法律が施行されています。 近年都市の中心部の商店街がシャッター通りとなり、結果としてご指摘のドーナツ化現象が起きました。 つまりご指摘の現象は国の責任でも国策でもなく、全て選挙民である国民の要望に応じた結果です。 このようなことを押し進めた連中がご指摘の事故を多発させている高齢者です。 買い物難民になるのも、自損事故も言うなれば自業自得です。 とは言え若い被害者にとっては大迷惑な話ではあります。 >高齢者の免許返納は根本的な対策となり得ず、根本的な対策はあるのでしょうか。 警察も何とかやってはいるようです。 ただ警察とは言え、公務員ですから現行法の範囲内という制約があります。 参考 第3節 超高齢化社会への対応 - 警察庁 www.npa.go.jp/hakusyo/h17/hakusho/h17/html/G1030000.html 根本的には、新しい法律が必要でしょう。 老化というのは成長とは違い極めて個人差が大きい現象です。 何歳になったらどうの、では所詮無理でしょう。 高齢者の事故は、反射神経の老化(遅速化)と、現状を把握する能力の低下が原因です。 自分が置かれたその場その時の状況を的確に把握できないのが認知症です。 老化による呆けは現状は理解しています。 あとは身体的な老化で的確な対応がとれないだけです。 この辺を免許の更新時に判定する試験なり専門医の診断なりを義務付けるような法を立法することでしょう。 後は高度成長期に廃止された公共交通を復活させることですかね~。 一部のコンビニやスーパーでやり始めている御用聞き方式の普及と、移動販売の充実ですかね~ これは高度成長期前まではごく普通の取引形態でした。 米、味噌、醤油、酒、燃料などは御用聞きが聞いて歩いて配達していました。 惣菜は、品物ごとに売り歩いていました。 魚もリアカーに積んできて、その場でさばいていました。 野菜も季節ごとに担いできて得意先を廻っていました。 医者も看護師を連れて往診していました。 経済効率がどうのうこうのでスパーマーケット方式になっただけです。 ネットと言いますか情報技術と宅配便との組み合わせで何か上手い方法はありませんかね~ 要は、手足のおぼつかない年寄りが一人で出歩かなくても済む社会作りでしょう。 蛇足 都合の悪いことは全て国のせいにするのは、裏を返せば何でもお上頼りということになります。 国境を越えたSNS時代には全く通用しないでしょう。
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- mimazoku_2
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A1 国に責任はありません。 A2 問題の本質は別に存在し、あくまでコテ先の措置として免許返納があるだけです。 (現有システムを活用して出来る範囲に限定されている。)
お礼
国の責任ではないこと、免許返納が小手先の措置なのですね。 ご回答ありがとうございました。
- tenten15
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車問題と年金問題←の意識のすり替え。 -- 現在の老人達が、我々(若いもん)の将来の年金を食いつぶす。 老人は、死んで下さい国の為 ↑ 若者達が"やんやの拍手大喝采" 政治家達が"ニンマリ" ←政府に向けられる不満鬱積が、老人攻撃で薄らぐ。 ------ 交通問題は、自動車等に限った問題ではありません。 歩道が、申しわけ程度のもので現実にはそぐわない。←解消するには莫大な費用が掛かる←成らば、不満の目を別の視点に向ければ一挙解決で、目出度しめでたし。←此の国の国民はお目出度い奴らばかりで政治家はおお助かりだ!! 「国や政治が手を付けなければ成らない問題は山積してます」 が…、若者の目を高齢者の運転事故へ目を向けさせれば←少なくとも政治に対する不満が減る。 若者は、純粋だから若者の目を誑かすなど政治家に取っては朝飯前だ!! ----- 所で、老人とか、歳よりとかで、若者達は一括りにしたがりますが、3本足(歳を取ると杖が3本目の足)のお年寄りと、ダッシュで駈け出せる老人では天と地程の差があれますが、概して、歳を取れば何処かしら体力の衰えは否めません。 車の運転では、コンマ何ん秒かの遅れが(ブレーキ制動)には大問題を引き起こします。 40Km=1秒で11.1m走る。 若者との差、0.2秒有ると障害物を通過して仕舞う。 視力=動体視力は、老人は確実に劣ります。 視野も、年齢と共に狭窄が始まり(視界が狭まった事を老人は認識できない) -- 免許不適合の老人には、電動の車椅子に乗り替えてもらう。
お礼
若者の意識のすり替え操作ですね。政治家の得意とする分野なのでしょう。 ご回答ありがとうございました。
- eroero4649
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「高齢者による事故増加は、本当に悪いことなのか?」という乱暴な視点から考えてみたいと思います。質問者さんが指摘するように、高齢者による自動車事故は増えているのは間違いありません。その一方で、他の回答者さんが指摘するように死亡事故はひたすらに右肩下がりです。これは何を意味するのか。つまり、高齢者は重大事故は起こさないということですね。アクセルとブレーキを踏み間違えてコンビニをぶっ壊すみたいな事故が多いわけです。 こういう事故は物損です。破損されたお店が修理するときに、施工会社は利益を得ることができます。大きな仕事ではありませんが、最近のそういう会社は人材不足で大きな仕事がなかなか受注できないそうで、職人さんが数人でできるお店や壁の修理は中小の施工会社にとってはいい小遣い稼ぎでしょう。また車が壊れれば修理工場に仕事が来ますし、廃車となれば中古にせよ新車にせよ新しい車が一台売れます。 最近は事故車は海外に輸出されることが多いそうです。壊れたままで現地に運び、現地で修理をすれば日本より安上がり。思わず笑ったのが、その車を売るときは「この車は日本で事故に遭ったが見てみろ。直したらどこもおかしいところはないだろう?つまりこの車が頑丈であることは証明されているんだ」というと喜んで買っていく人がいるそうです。国が変われば人も変わるんですね。これはリサイクルという点と内需拡大という点でまさにWin-Winです。 もし高齢者による事故が減れば、修理の仕事が減り、車の売上が落ちるかもしれません。 なお、高齢者の免許返納を推進させるのは簡単です。自動車保険に入るとき、若者は事故のリスクが高いので26歳以下か21歳以下のドライバーがいるときは保険料が割増しになります。それと同じように「75歳以上担保」とか「80歳以上担保」という「高齢者割増制度」を作ればいいのです。「車に乗り続けるためには相応に高い保険料を負担しなければならない」となれば、車を手放す人が増えるでしょう。車を手放して生活ができないとなれば、生活できるところに移り住む人も出てくるでしょうし、そういう老人が多く住む地域があれば移動販売車を送る会社も出てくるでしょう。 私はずっとこの「高齢者割増制度」を提唱しているのですが、なぜだか誰も賛同してくれないのです。「事故が怖いから車の運転をやめてくれ」といわれれば「ワシャ事故は起こさん」と返ってくるでしょうが、「保険料が払えないから車の運転をやめてくれ」となったら仕方がないとなるでしょうし、「こんなに高い保険料を取られるなら車を維持するのが割に合わない」ということにもなるでしょう。高齢契約者が減れば保険会社の負担も減る。いったい誰が損をするのか。
お礼
事故の功罪的な面、保険料負担の面などからも考えられるのですね。 ご回答ありがとうございました。
- kohichiro
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車社会は世の趨勢で 高齢者の実数が増えているのでその関連の事故が増えるのも世の趨勢ですね。 こればかりはあべさんを責めるわけには逝かないと思います。 高齢になるほど車のありがたみが増えるのです。 逆走が不可能にするシステムを完備させ、 ロボット自動車(自動走行)が実現するまでは、 厳しくボケ老人から免許を取り上げねばなりません。 ローカルの交通機関を充実させる、ボランテアで車を走らせる、地域でこういった取り組みをしているものです。
お礼
No.3の補足にも書きましたが、高齢者事故の増加は深刻なようですね。 しかも、高齢者程車のありがたみが増えるのも事実でしょう。 ご回答ありがとうございました。
- hekiyu
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1.このような「自動車依存型」の国策の結果が、今日の諸問題に結びついており、 諸悪の根源は国にあると考えているのですが如何でしょうか。 ↑ 御指摘の通り、原因は、自動車依存型を押し進めた 国策にあると思います。 しかし、諸悪といいますが、途上国であった日本は、供給側、つまり 自動車中心にせざるを得なかったのだ、と思います。 この供給側に立った政策は、自動車だけではありません。 総ての産業が、消費者ではなく、供給側に向いていました。 それが今日の豊かな日本を築いたわけです。 2.高齢者の免許返納は根本的な対策となり得ず、 根本的な対策はあるのでしょうか。 ↑ 高齢者が安心して利用できる公共的な乗り物の 整備が根本的な対策だと思われますが、 実現は難しいですね。
お礼
自動車中心にせざるを得なかった事情もあったと思います。 また、高齢者が安心して利用できる交通手段の確保も難しそうです。 ご回答ありがとうございました。
- dragon-man
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高齢者のことばかり言われますが、絶対数では若者、壮年の事故の方がはるかに多いのですよ。そのことを踏まえた上で、 質問1)車社会は国民が望んだものです。これは日本に限ったことではありません。世界中がそうです。国(政治)はその後追いをしているだけです。車社会はデメリットよりメリットの方がはるかに多いです。もう車なしではすべてのことが成り立ちません。それは諸国民が願ったことで、国の(政治の)せいではありません。 質問2)交通事故による死者数は年々減ってきています。30年前の3分の1です。いろいろな対策の総合的結果です。高齢者事故もそれに含まれます。高齢者事故だけを減らすことはできませんし、意味がありません。
お礼
高齢者による事故のニュースが際だって多く報道されており、てっきり増加と理解していましたが・・情報操作なのでしょうかね。 ご回答ありがとうございました。
補足
反論ではありませんが、以下の記事を見つけました。 やはり、「高齢者事故は増加」のようです。 >今、高齢ドライバーの交通事故が急増しています。 5分に1度、年間10万件以上。 交通事故全体が減る中で、唯一、増加している高齢ドライバーの事故。 なぜ増えているのか。 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3527_all.html
高齢者の自動車問題が何を示しているのか判りませんが アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故の事を挙げているのであれば アレはAT車が普及し過ぎた事が最大の要因です MT車ならあんな事故は、ほぼ起こり得ません ヨーロッパじゃMT車が主流なのに 何故に、アメリカと日本に限ってはAT車が幅を利かせているのでしょうか… それはさて置き、とりあえず自動車中心の国策と仰いますが 交通網が発達している都会なら兎も角、地方では車は必需品です 車が無ければ、働きに出るどころか、日用品の買い出しにも行けません (余談ですが、私の自宅から3km圏内にコンビニは有りません)) その為、高齢者の方であっても生活の為には車を手放す事が出来ず 貴方の仰る所の、高齢者による車の事故が起きてしまうと言う訳です これを防ぐ手立てとしては、公共の交通網の発達と言った所ですが ハッキリ言って、地方の田舎じゃ無理ですね 町内のバスなんて、1日4~5本来れば良い所かな? 皆が車を持っている為(此方では一家に1台じゃなくて一人一台です) 利用者が、ごく限られた人ともなれば、採算が合わないんで 本数を減らさざるを得ないと言った所でしょうか 何にせよ、高齢者による車の事故を防ぐのであれば 車が必要じゃない社会体制が必要不可欠でしょうね (徒歩圏内にスーパーが有るとか、移動販売車が来るとか…)
お礼
まず、質問の意味はご推察のとおりです。(舌足らず失礼しました。) >車が必要じゃない社会体制が必要不可欠でしょうね これまで、国も車中心社会の推進を行ってきましたし、AT車も推進してきました。 ところが、最近は「高齢者の免許剥奪」の強硬論まで囁かれ、国の方針が「猫の目」状態。 ご回答ありがとうございました。
- tzd78886
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自動車が無かったころにはどういう生活をしていたか考えてみましょう。 自治体(市町村)の広さは今とは考えられないほど狭く、概ね固まって住むのが普通でした。昔は自動車はおろか自転車すら持つ人はほとんどいませんでしたから、徒歩圏内に役所や商店が無いと生活が成り立たなかったからです。本数が少なくても鉄道やバスがあるところは使わざるを得ず、利用者は十分いて経営が成り立ちました。 その代り最低限必要なもの以外は買うことすら一苦労で、値段も高く、貧しい生活を強いられる人は少なくありませんでした。病気やけがをすれば命を落とすことが珍しくありませんでした。 自動車が普及して自由に行き来できるようになると小さな自治体はまとめた方が都合がよく、徒歩圏内でなくても届け出などが容易になりました。その代り僻地の商店や公共交通機関などは経営が成り立たなくなってほとんど消滅しました。 自動車が運転できなくなった老人の生活や通院のために交通機関を自治体が運営するのは現実的ではありません。むしろ、市街地に近いところにまとまって住んでもらう方が経費としては安くつきます。とは言っても老人に新しい場所での暮らしを要求するのは難しいかもしれません。つまりそういう人は自分でそういう生活を選択したと見做して覚悟をしてもらう必要があるでしょう。今後利用者が極端に少ない地域は交通機関はおろか道路を維持する費用すら捻出することすら困難になることは明らかで、無駄のない税収の使い方を冷静に考えていく必要があるのは確かです。
お礼
自動車の普及により、僻地の商業施設や交通機関が消滅したのはイタイですね。 現実は、僻地にシルバー集落があり、市街地に若い世代が住んでいる、という逆転状態もあるようなので難しいですね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
過去のの「高度成長時代」からの状況や、選挙民である国民の要望が有ったのですね。 ご回答ありがとうございました。