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美しい生き方

今日はこのサイトを見ていると「よく知りもしない事を軽率に裁いている人」をよく見かけました。 そんな発言を見ていると、「恐怖心」「不安」こういった感情が背後に見え隠れする気がしたのです。 夕方に散歩している時も、「格差社会」の要因はなにかなどと軽く考えていたのもあり、今日はそんな日なのかもしれません。 良く知りもしない事を軽率に裁く事も、格差社会の中で収入や職業などの差別をする事も、様々なしがらみから解放されてフリーな気持ちで見てみると意味が分かりません。 結局は自分が人よりも落ちると思えてしまう境遇に恐怖したり不安になったりして、他人を傷つけたり、貶めたりしているだけのように見えます。 人は基本的には他人に無関心なので、ひまわりの様に光源の方だけを見ているような人よりも劣ればいとも簡単に無視(意図せずとも)され、孤独感などに苛まれるのかもしれません。 でも、それに恐怖したり不安になったりして差別意識を持ったり、良く知りもしない事を軽率に裁いたりというのはどうも美しくない。 品のない人生は恥ずかしい。 とざっくり他者を裁く前に自分の感想を述べてみました。 どうでしょうか。 落ちたときの境遇を思えば恐怖や不安に煽られる事はあろうかと思います。 でも、やっぱり恥ずかしい生き方だけはできない。する訳にもいかないし、感情的に恥ずかしくてできない。 私の見立ては合っているでしょうか? 合っているなら、恥ずかしい生き方をしないように反面教師としてありがたく拝見させていただくことになります。 間違っていたら、どのように間違っているのか説明付きで回答を頂けると幸いです。

みんなの回答

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9142)
回答No.1

私なりに考えていることを書いて見ます。美しいい生き方というのは丁寧な生き方ではないかと思っています。できることを丁寧にやっていく。できないことをやろうとあせらない。これは身の丈で生きるという表現と同じかもしれません。

urbanite
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 その通りだと思います。 丁寧に生きるなら、良く知りもしない事を軽率に裁いたり、意味の不明瞭な差別意識を持ったりなどはしないで済みます。 私はこう思っていますが、回答者さまも同じお考えという事で宜しいでしょうか? >出来ない事をやろうと焦らない どの程度のお話しをなさっているのかは分かりませんが、出来ないと思ってもやってみなければ分からないチャレンジ精神の否定という意味ではないということで良いでしょうか。 「美しい生き方」 と題して1番目に「丁寧」という言葉が出て来たのは嬉しかったです。 ありがとうございます。

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