悪事のみならず、良いことも悪いことも含めてその人の人格を形成する一部分ですので、判断の要素にはなり得ると思います。
ただし、これは場合によっては判断を誤らせる結果となりえますので、よくよく考えたほうがよいかと思います。
例えば自分が陪審員になったとして。。。
小さな万引きをした犯人が、開き直って偉そうにふんぞり返っている
大金を盗んだ犯人が、親の手術費用の工面だった、もう二度としないと、被害者にお詫びの手紙を毎日書いて、玄関先で雨の日も正座して謝罪している
重罪を課すべきなのは後者ですよね。映画を見ていると陪審員裁判で「被告が今何をしているか」ではなく、「被告が過去何をしたか」を見てください、などと言われています。
また、その悪事とやらが、本当に悪事なのか、何かの法律に触れたのか、自分の考えと異なる意見を表明しただけなのか、ということも重要です。
結局は、質問者様が悪事と考えるところのその人物の意見と、自分が支持したいと考えているところのその人物の意見に、どのような関係があるのか、ということを見極めることが大事なのではないでしょうか。