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速読術、最高~・・・

●よく速読を使って、本を読んでいる人は、本を速く読めば読むほど読解力が落ちる気がするのですが、速読で読んでいる人は一般の人よりも読解力が高く、だから速読で読んでも大丈夫、内容は理解できる、という人も多いのでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • hekiyu
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回答No.1

正式に速読を学んだ訳ではありませんが、いわば独学の 速読ですが、やっています。 ”本を速く読めば読むほど読解力が落ちる気がするのですが”      ↑ その通りです。だから読む本の種類によって 使い分けるわけです。 専門書は、それこそ一字一句まで徹底的に読み込み ます。 何度も何度も読み返します。 読み返す都度、新しい発見があります。 それに対して、新書版の本などは速読です。 一冊15分ぐらい掛かりますので、本格的な速読 とは言えませんが、ポイントは押さえているつもりです。 ”速読で読んでいる人は一般の人よりも読解力が高く、 だから速読で読んでも大丈夫、内容は理解できる、 という人も多いのでしょうか? ”     ↑ だと思います。 歳を食って、記憶力は衰えていますが、理解力は 若い頃よりも上がっている、という実感があります。 ただ、速読にも弊害があります。 じっくり楽しみたい小説なども、いつの間にやら 速読的に読むようになり、その意味で味気なさが 広がるように感じました。 もったい無い・・・。

HAKAIJU
質問者

お礼

なるほど、速読も役に立つのですね、そんな事より、ヘキユさんがどんな専門書を読んでいるかのほうが気になりますが、ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (1)

回答No.2

>本を速く読めば読むほど読解力が落ちる気がするのですが、 読解速度限界以上の速度で眼を通せば当然の事ながら「読んでいない」部分が多くなり、理解度が下がります。 (1) 製品 Manual がそうですね……必要な章しか読みませんので、取り扱い注意事項の章とか、複雑過ぎて普段は使わない機能だとか、製品保証の項なんて必要になるまで読みませんもの(^_^;)。 >速読で読んでいる人は一般の人よりも読解力が高く、だから速読で読んでも大丈夫、内容は理解できる、という人も多いのでしょうか? 読解速度限界以内の速度で眼を通している限りは全員がそうだと思います。 読解速度限界とは例えば (1) の文章の場合、文章全体を眺め、「A:製品 Manual」「B:必要」「C:取り扱い」「D:複雑……機能」「E:製品保証」「読みません」の文字が眼に映った時点で、もう詳細に読み込む必要がなくなります。 A~E の言葉さえ瞬時記憶脳野に貯えられれば脳は「α:ああ、製品 Manual なんて必要な部分だけ読めば済むものね。」と自分の経験と照らし合わせて理解してしまいますので、もはや A~E の言葉すらも記憶から消去して一向に問題なく、思い出す時も「理解した情報」である α さえ思い出せれば充分です。 暗記しなければならない言葉が多い試験勉強では A~E に相当する語句の殆どを試験当日まで記憶した上で α の理解を行い、試験の際には α から A~E を呼び起こさなければならないのですが、大抵の本は α さえ記憶していれば理解したことになりますので、忘れてしまった A~E の一部を別の言葉に置き換えても問題ありません。 (1) の文章は 70~80 字ほどですが、速読馴れしている人ならば眼の焦点が数十字分の範囲に合っていて、その広い範囲を上下に (または左右へ) 移動させていくことにより、毎秒数百字の速度で必要な文字 (上述の A~E) を瞬間記憶脳野に貯めて行き、同時に読解処理脳野が A~E の情報を α に作り変えて、数時間から数日間の情報保持を行う中期記憶脳野に貯めて行きます。 その後、中期記憶脳野から α を反芻して A~E を呼び起こし、α をより深い理解 (より広い実体験や想像と結び付ける) となる β に転化して行くのですが、この時に A~E を呼び起こせなかったり、β に作り換える上で α の理解に疑問を生じたりすると再び本を読み返すわけですね。 (1) の文章を一言一句まで眼に焼き付けるような読み方をすると αβ はおろか A~E でさえも記憶野に保持できなくなりますので、逆に「読解力」は大幅に低下します。……100 字以内程度の短い文章ならば丸暗記できるかも知れませんが、数万字が当たり前の本では無理ですものね。 また A~E を一時的に記憶野に貯め込む際に αβ とは全く異なる、文章の内容とはかけ離れた世界に心を飛ばしてしまい、αβ とは関連性のない Δ や Σ といった夢想にいきなり浸ってしまうような読み方をすると、もはや「読解力=0」になってしまいます(^_^;)。 毎日新聞を読んでいるようなので、文章を読む速度に問題はなさそうなのに読解力や理解力、情報の応用判断力が著しく乏しいように見える人の多くは A~E の一時的な記憶保持と α への変換及び α の記憶保持を同時に行えないか、いきなり Σ 級にまでブッ飛んだ解釈……と言うか、宗教的にまで己が信念に支配されていて、異なる方向からの理解を生理的に拒絶する性癖に陥っているように見受けられます。 後者は病的な症例ですので医者ではない私にはどう対処すれば良いのかさっぱり判りませんが、前者は「数行を同時に眼に入れて読んでごらん」と促すとたちまち理解度 (読解力) が本人も驚くほど改善されたことが幾度かあるので、今まで反復速読の経験が殆どなかっただけのことであろうと思います。……訓練によって何処まで上達するかは人に依るでしょうけれど。 反復速読によって αβ の理解が済んでいれば Δ や Σ の夢想世界に遊ぶのも再た楽しいものでして、自分がその著者や主人公になった時に、どのように物語を展開して行くかを考え直すのも物語を読む愉しさの一つですよね。 自分だけの新しい物語を編纂し直す……その際に元の本での主要な登場人物や Episode をいちいち元の本を調べることなく頭の中だけで再利用できるようになれば、もはや元の本を読み返す必要がなくなるのですから、読解 (理解) における一つの到達点に達したと言えるでしょう。 文章を何度も何度も反芻するようにゆっくりと読んで行く手法よりも、上記の (1) から A~E を取り出して αβ を創り出す手法の方が遙かに短時間で「頭の中だけで αβ から呼び起こした A~E を再利用して ΔΣ を創造する」理解度にまで達しますので、速読を行える人は誰でも初めは速読でざっと眼を通し、内容に応じて再度読み直す「本読 (本気で読む?)」の速度を調整するものです。 そして、更に本の内容に応じて αβ を γ まで進めて理解度を深めないと Δ を創れないかどうかを判断、もっともっと理解して別冊 (?) の Σ を創造して愉しもうとするか否かの判断で、何度も何度も読み返す愛蔵本にするか否かを決めるわけですね。 まぁ私の場合は殆どの本が数度の反復速読による αβ ぐらいまでの理解で Book Off に払い下げられてしまい、1 割ほどが後に Book Off から買い戻されて Δ 以降の理解度まで読み込まれて珈琲染みを付けられた(笑) 挙句に Recycle 塵に出されることから、愛蔵本は数えるほどしかなく、愛読本の大半は Book Off を書庫代わりにしていたりするのですが(爆)。 素敵な読書 Life を(^_^)/

HAKAIJU
質問者

お礼

長文ありがとうございます、速読ができるようになったら、《孫子の兵法》などの戦術書も短期間で理解できるかもしれません、ご回答ありがとうございます。

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