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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:最近の漫画はキャラのバストアップばかりなのは何故?)

最近の漫画はなぜキャラのバストアップばかり?

このQ&Aのポイント
  • 最近の漫画ではコマ間の余白が小さく、コマ内のキャラが大きく描かれ、バストアップや顔だけのコマが多い傾向があります。
  • 一方、昔の漫画ではコマ内のキャラは小さく、コマ割りも単純で余白が多く、背景や全体の動作も描かれることが多かったです。
  • この変化は若者がマンガに求めるものの変化や、デジタル漫画ソフトの発展による漫画制作の変化が影響している可能性があります。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

女子高生って漫画知ってます? 大島永遠さんが書いたのですが、彼女のお父さんは構図の天才と呼ばれてました。 転換点はここあたりだと思います。女子高生の構図と、バツアンドテリーあたりの構図と比較するも面白いかと。 うる星やつらまでは、1ページにいくつのギャグを詰め込むかを編集者が問っていました。なので、大ごまを使うのは限られていました。 漫画を誌面に詰め込むのは、戦中、戦後の紙不足、本の高価さの名残りです。また、安くて薄くて丈夫な紙が作れず、雑誌のページ数に限りがあったことも原因かと。 ラノベの誌面の白さを見てもこの辺の事情は分かります。 文庫本、単行本も、バブル期が終わる頃に、各社の誌面改定が進んで、文字がおおきくなり、1ページの文字数が減りました。それまでは少しでも詰め込まないと売れないと出版社は信じていたんです。新聞もその頃に似たような改定がされています。これ、教科書もです。 漫画家の表現の進化と出版社の商売の都合の両方かと。背景には、読者がお得感より読見やすさを重視した、言い換えると、部数が増えるに連れて、熱心に読む層から読みにくいと離れていく層に対象を広げてきたということかと。

mangafan2020
質問者

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ベストアンサーありがとうございます。 他の方もためになるご回答とご教授を頂きましてありがとうございました。

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その他の回答 (1)

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

>>それに伴い背景や、全体の動作が描かれることが少なくなったと感じます。 質問者さんが想像されるように、コマ内のキャラを小さくして、背景をきっちりと書き込めば、書き込むほど、1コマ仕上げる手間と時間がかかります。 そして、「うる星やつら」もそうですし、新谷かおる氏の「ファントム無頼」とか、、大和和紀さんの「あさきゆめみし」、手塚治虫氏の「W3(ワンダースリー)」、もっと古い作品では、1956年の「少女クラブ」で連載された水野英子さんの「銀の花びら」なども、しっかりと背景や無生物などが書き込まれていますね。 >>こうした変化は、どういう理由で起きているのでしょうか? 漫画家さんが、自分の作品をどういう位置づけとして作っているか?読者が何を求めているか?という動機の違いが大きいのではないでしょうか? マンガではなく、文書を書く場合でも、「自分のブログにアップする文章を書く」というのと「有名雑誌から依頼された1ページを埋めるために文章を書く」、あるいは、「長年の自分の知識・経験を元に小説を書く」という場合では、意気込みとか、事前調査、かける時間などが変りますよね? 自分のブログなら、たいした調査もしないで、気楽に数時間程度で書き上げるでしょうけど、雑誌の連載文章とか、小説となれば、しっかりした調査をして間違いがないか調べ、数週間から数ヶ月、小説なら数年くらいの期間を想定して書くでしょう。 たとえば、歴史ものが多い、大和和紀さんであれば、仕事場は多数の文献などの資料が山のようにあるでしょうが、質問者さんが例にあげた「温泉街のメデューサ」を描いている著者は、そんな膨大な資料を用意するなんて考えてないでしょうし、当然、マンガの調査・資料にかかるお金も時間も、あまり大きなものとは考えてないでしょうね。 「公衆便所の壁に書く落書き」程度と思ってマンガを描くのか、後世にまで読み継がれる芸術作品と思ってマンガを描くのか、その意気込みの差ではないかと思います。 同時に、読者としても、マンガを読むのに、「単なる時間潰し作品」なのか「すばらしい芸術作品」と思うかによる差もあるでしょう。 柴田昌弘氏は、「この作品の続編を求める声も多いけど、緻密な帆船が描けるアシさんがもういないから、続編は描けない」なんてことを文庫版のあとがきに書かれていました。 でも、背景を気にしない作家さんであれば、問題なく続編が描けるでしょうね・・・。 >>漫画だけがそうした流れに逆光し、キャラの表情やキャラ同士の交流のみフォーカスされるようになったのでしょうか? 時代の流れでしょうか?たとえば、昔の、大田区産業会館とか晴海で開催されていたころのコミケであれば、「私の作品を見てください!」という雰囲気がサークルに溢れていたものです。 でも、現在のビッグサイトで開催されるようになったコミケでは、「グッズはどうですか!」っていう商業主義、効率主義、金儲け主義が強くなった気がして、足が遠のきました。(まあ、年齢とともに、コミケに行くパワーが無くなったともいえますが・・・) ちなみに、最近のアニメ作品は、本編はどうでもよくて、グッズとか、キャラで遊ぶネタになれば良いという考え方もあるそうですが、そうなれば、キャラの絵さえよければ、本編のストーリなんてどうでもいい話になりますからね。 作品の大きな方向性は雑誌の編集長や担当さんが決めるものだと思いますし、漫画家さんは、彼らの求めるような作品を描くしかないでしょう。 「背景が少ない白いコマ」といえば、紡木さんの「ホットロード」が思い浮かびますが、あの作品がヒットしたことで、担当さんが「あんな作画でもいい」って流れができてしまったのかな?なんて思えてきます。

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