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弱者の犠牲は社会の必須要素です?
どんなに綺麗事を並べても、弱者は所詮弱者です。ならば、小作人は小作人として、奴隷は奴隷として、貧乏人は、貧乏人として、社会秩序を乱さず、それぞれの持ち場を守って勤労に奉仕し、国税を納めよ?それとも一揆を起こして国家転覆を図る?
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そうですね。 格差を無くし、平等を理念とする社会主義国ですら 弱者は存在していました。 その意味で、弱者は必ず存在し、それを利用して 甘い汁を吸う人間の存在も必然です。 3K仕事は誰かがやらねばなりませんが、結局 弱者がやることになります。 米国などは戦争ばかりしていますが、米国には プアホワイト、黒人、不法移民などの弱者が いるので、戦争が出来る訳です。 ”小作人は小作人として、奴隷は奴隷として、貧乏人は、貧乏人として、 社会秩序を乱さず、それぞれの持ち場を守って勤労に奉仕し、 国税を納めよ?” ↑ ハイ、基本はそれで良いと思います。 ただ、奴隷でも頑張れば強者になれるような体制に しておくことが大切だと思います。 そうでないと、社会の活性が失われます。 ”それとも一揆を起こして国家転覆を図る? ” ↑ 国家を転覆させたって、また新たな弱者が発生 するだけで、同じ事の繰り返しです。 前より良くなる、なんて保障はどこにもありません。 事実、社会主義がそれをやって、以前より 悲惨な事態を招きました。
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- heyboy
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質問者の意図は理解出来ますが、 お金がある者を強者と呼び 少ない者を弱者と呼ぶのはどうかなと。 それに弱者は世の中でズーッと黙っていろ! って事ですかいね。 苦労されてこる方々で 世のり立っていますし 弱者だって言う時があっても 良いと思いますよ。 ただまあ、個人的には 弱者よりも話しの通じない阿保は 嫌いですけどね。
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ご回答ありがとうございます。
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