- 締切済み
鬱で休職中です。母親とうまくいきません。
休職して一年になる社会人です。 母親は子供のころから過干渉で父親は無関心、夫婦仲は悪くお互いの悪口の捌け口にされて育ちました。殴りあいの喧嘩も鮮明に覚えています。 そんな実家に嫌気がさして就職を機に一人暮らしを始めましたが、しばらくして体調を崩し今に至ります。 体調を崩した当初は母親が連絡もせずにアパートに乗り込んできて説教をされたことがありました。 最近は「お前が働いていないせいで、同年代の友達と子供の話ができない」と夜に電話でネチネチと言われます。早く働きたいと主治医には伝えてありますが復職の許可はないためまだ職場には戻れません。 以前は親に反抗することに罪悪感が強くあり何もいえず我慢していましたが、最近は我慢できなくなり、怒りが上回るようになりました。先日、いつものように母親から責められる電話の後怒りがわいてきて、それが抑えきれず、これまで感じていた不満や恨みの一部をメールで送ってから、一方的に着信にも出ないようにしています。 私のしたことは幼稚だと思いますが、それでも我慢できませんでした。 体調がよくならず長引いているのも、家族が少なからず関わっているような気がします。 同じような環境で過ごされていた方はどのように親について対処されましたか? 親には感謝すべきだという回答は不要ですので、ご遠慮願います。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
お母さまは、もしかして、 Victim of Circumstances であったのかも しれませんので、先ずは、 (お母さまのご両親である)お爺ちゃまお婆ちゃま、 お母さまの兄弟姉妹に、お母さまの生育史を詳しく 訊いてみませんか。 それと、お母さまとお父さまとの関係性が 宜しくないということで、お母さまは 性的欲求不満を抱えているかもしれないといった ことも含めて、フルフィルメントできていないことが 考えられますので、それとなしに、トータルで 環境を整えてあげることで、状況が 変わってくるかもしれませんよ。 (たとえば、お母さまが創作料理の達人ならば 世界に向けて、創作料理の本を出版できるように 整えてあげあり、結婚後好きな絵画を描くのを窮して いるとしたら画材をプレゼントしてみる等々。 お父さまのフルフィルメントも考えてあげましょう) 「うつ病」には 不即不離、即かず離れずの距離感がベストの 局面がありますので、質問者さまが メールの着信を遮断したのは、幼稚な行為ではなく、 自己防衛の理に適っている生活の知恵でしょうな。 病気で閉ざされてしまった扉を再び開けようとせずに、 病気で開かれた新しい扉の向こう側に開かれている 新世界で活躍することも考慮してみませんか。 河合隼雄さんの『こころの処方箋』等を 図書館で読んでみることをおススメ致します。 【人は、不幸な出来事によって不幸になるのではない。 そのことを不幸だと思うから不幸になる。 Viktor・E・Frankl】 なにはともあれ、 急がず、慌てず、焦らず、侮らず、諦めずに ご養生をおつづけください。 宮本輝さんの『田園発 港行き自転車』 北村 森さんの『途中下車』 も、おススメです。 希望を見つけてください。 新世界でのご活躍を祈っています。 祈ることしかできないのが残念です。 All the Best.
母親が原因ではありますせんが、心療内科に通院して抗うつ薬を飲んでいたことがあります。 わたしの母親も過干渉なところがありましたら、お気持ちお察しします。 ひとり暮らしをされてお母様と距離を置かれたのは適切だったと思います。 >体調を崩した当初は母親が連絡もせずにアパートに乗り込んできて説教をされたことがありました。 >最近は「お前が働いていないせいで、同年代の友達と子供の話ができない」と夜に電話でネチネチと言われます。 親子といえども別々に暮らしている以上、守らなければいけないルールがあるはずです。 それから、うちの息子も休職していた時期がありますが、なぜ同年代の友達と子どもの話ができないのか、わかりません。 お母様は心の病に関して偏見があるのではないでしょうか。 もしかしたら、完璧主義で何もかも自分の理想通りにしたいのかもしれませんね。 だから、質問者さまが働いていないことを「病気だから仕方がない」と思えず、一々干渉して説教しなくてはいられないのでしょう。 >体調がよくならず長引いているのも、家族が少なからず関わっているような気がします。 ご質問を拝読して、わたしもそう思いました。 こうなったら仕方がありません。 親だからといって遠慮せず、電話やメールも放置して、アパートも鍵をかけて居留守を使った方がよいと思います。 ご自身の健康、心の安定が第一です。 お母様の言動がストレスになって、ますます健康を損ねてしまってはいけません。 今、お母様と上手くいかなくても、今後お互いに歩み寄れる日が来るはずです。 わたしも若い頃は母親のことがあまり好きではありませんでしたが、結婚して中年になってから、お互いに分かり合えるようになりました。 質問者さまはまだお若いのですから、親御さんに気兼ねなく、ご自身の静養を第一にされてください。
お礼
過干渉についての理解があり、また子供もいらっしゃるかたの回答ありがとうございます。大変参考になります。 親だからといって、着信や訪問に全て応じる必要はないのですね。 それだけでも少しほっとしました。
- tpg0
- ベストアンサー率31% (3785/11963)
こんにちは。 私の母親も過干渉で、私が中学時代の思春期に机の引き出しを開けて持ち物検査のような陰湿なことをしたり、学校や友達の様子を細かく聞きたがるので鬱陶しくて反抗的になりました。 また、父親は長男の私に過大な期待を掛けてたことで期待に応えられないと父親にも反抗的でした。 このような、反抗心から非行に走り親を困らせた時期もありますが、親に反抗的だったせいか自立心が芽生えて、父親の反対を押し切って工業高校に進学すると直ぐに新聞配達のバイトを始めて親からは小遣いは貰わずに、母親から弁当を作って貰うことなく新聞配達の稼ぎで毎日の弁当は殆んどパンと牛乳を買って済ませてました。 工業高校からの大学進学は中学時代から諦めてましたので、卒業後は電子専門学校に進学することになりましたが、とにかく家を出て親から自立したかったので専門学校の学生寮に入りました。 しかし、学生寮の門限を破るなど問題行動を起こしてしまい学生寮を出ることになり、都内で世帯を構えてた姉宅に暫く居候してましたが、居候の身は肩身が狭くて姉宅も飛び出して専門学校近くの喫茶店で働く年上女性と恋仲になってたことで学生の身ながら同棲を始めました。 アパートの家賃は私がバイトで稼ぐという条件の同棲でしたから、バイト先で嫌なことがあっても我慢して必死で堪えました。 そして、専門学校卒業間近の頃に父親が持病を悪化させて急死してしまったことで、内定を頂いてた音響メーカーの内定を辞退して卒業後は親元に帰ることになり同棲も解消しました。 地元のゲーム機製造メーカーに就職して社会人になってからは、未亡人となった母親を扶養するという長男としての義務を感じながら必死で働きましたので、辛いことがあっても堪えるしかない状況ですから鬱になる余裕すらなかったです。 ですから、鬱になる余裕がある質問者様は恵まれた家庭環境だと羨ましく思います。 なお、私の父親も終戦の年に東京大空襲で一夜にして両親を亡くし、新居も家財道具も全て焼けてしまい父親自身も大火傷を負いながら空襲で亡くなった両親を弔い、実家に避難してた母親と会った時は落ち込んで放心状態だったそうですが、鬱になる余裕すらなかったようで火傷の傷が癒えたら必死になって働いたそうです。
お礼
必死で働いてこられたのですね。 ですが、 鬱になる余裕すらなかった、という部分は正直私も同じです。 人の環境を恵まれているいないと勝手に決めつけられるのは不愉快です。 好きで休みに至ったわけではありません。 回答ありがとうございました。
お礼
色々な方法を教えて下さりありがとうございます。 母親の環境を整えるほど出来た人間ではなく、そんなことができる余裕はありませんが、書籍の紹介が嬉しかったです。図書館で探してみます。