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人を信じる癖?信じたい癖?

物凄く性根が汚ない人達が存在しているのは承知してますが、汚すぎる人に出会ってしまいました。 その人に私が一度助けられたこともあり信じてしまいました。 その人はモラハラ人間でした。 変わりようが凄くて、 うわ~こんな人だったんだな~と思いつつ、無難に接しようと心がけましたが、その人からの攻撃はおさまりませんでした。 正直な気持ち、信頼しきっていただけに残念でなりません。 そういうモラハラの傾向がチラチラ見えていたのに自分は大丈夫だと、相手はそんなに悪い人ではないと思ってしまった自分が未熟だったと反省しています。 いつかは信頼できる人に出会えるはずだと希望を持っていたいのですが、こんな希望はもたないほうがよいのでしょうか。 信じる→裏切られる→信じる・・の繰り返しなのでしょうか。 おじさんおばさんで、人を恐れるように人間不信になっているかたを見ますが、そうなるしかないのでしょうか?? もしくは、おかしな傾向があったら微塵も信用しないと決めてしまうとか? 信用できる、できないに関して、どう心がけているのがベストなのでしょうか?

みんなの回答

  • marissa-r
  • ベストアンサー率21% (634/3008)
回答No.5

“癖”ではなく“性分”でしょう 親そうやって育てかれたのか 今までの人生経験でそうなったのか…は断定できかねますが “人を信じる”も“人を疑う”も結果論では 裏切られても(騙されても)信じようとする人も居れば、なかなか信じようとしない人も居ますよね 正解、不正解はありません 『生まれながらの悪人は居ない』て思う私もまた人を信じようとする側なのでしょうが…でも、そう思いません? 出会う人、全てに猜疑心を持って接しては自身が悲しくなりますし、つまらないと思う 人生は一度だもん 『こういうヤツも居るんだな』と良い勉強をしたと前向きに考えて生きた方が人生、楽しいと思うよo(^o^)o 色々な人が居るからね、こんな事くらいで、めげない様にしよう! もっとキツイ人生を送っている人は世界中に沢山、居るのだから

noname#210578
質問者

お礼

よく考えてみると、信用できない人、されない人を私が警戒しているのは、足を引っ張ってくる人、攻撃してくる人を見抜きたいと思っていることに気がつきました。 信じる信じないは、普段の人柄と言動などで判断していけばよいのかもしれません。 誰しもを疑って接するのは、やはり、おっしゃる通り、つまらないと自分でも思います。 前向きに、少しでも楽しく過ごせるように心がけていこうと思います。

  • JSJC
  • ベストアンサー率4% (2/42)
回答No.4

信頼される人間になる事が重要であって、その過程で信頼、または信用する基準は自ずと身につく。 質問文を読んで思ったのは、質問者の言う信じるが依存のように思える。子育てだって裏切られることなんか度々あるでしょう。 また、信頼と信用の違いも考えてみましょう。 質問者の言う信じる段階になってから、相手をちゃんと見なくなったのでしょう。団塊世代がテレビ番組を好み、盲信している状態と似ていますよ。

noname#210578
質問者

お礼

本当に困っている時に、相談に乗ってくれたり助けてくれたので信じて頼りました。 「信頼できるいい人」という盲信だったと思います。依存的にもなったと思います。 そして、モラハラする人間からは、いいターゲットだったと思います。 私の依存的な姿勢、考えに隙があったのも確かなので、よく自分を見つめ直そうと思います。

  • mindy73
  • ベストアンサー率10% (209/1970)
回答No.3

私は誰も信用しません。信用できるのは自分のみ。それと両親と子供だけですね。 あとはみんな信用してません。仲の良い親友ですら100%信用しません。

noname#210578
質問者

お礼

信用できるのは自分のみ・・全てが自己責任というわけですね。たくましいです。 ありがとうございました。

noname#210555
noname#210555
回答No.2

私は多分、親以外はどんな人間も信じてるし どんな人間も信じてないです。 「信用できる部分」と「信用できない部分」があって当然だと思います。 時間にきっちりしている子だけど、掃除ができないとか。 お金にきっちりしてるくせに、なにかのグッズだけはお金を惜しまないとか。 二面性というか、多様性があるのがにんげんだもの。 殺人鬼だけど約束は守れるとか(例え)。そういうもんでしょう。 「人」単位で信用してるのは 裏切られても痛い目を見ない程度の間柄の人か、 裏切られてもいいと思うほど恩を感じてる人だけ…だと思います。 今自己分析した結果だけども。 人を信用しすぎて期待高めすぎて、 実際それほどでもなかったとき、勝手に信用した私が悪いのは確定なのに なぜか裏切られた気持ちになってしまって、 それはなんだか卑怯かなという気持ちが生まれる出来事もありましたしね。 人の信用できる面と信用できない面を見ていけばいいと思いますよ。 仕事はできる、付き合いもいい、金祓いもいい、 でも家に帰ればモラハラ夫…みたいなね。(モラハラする人は外面良男なことも多い) その人の「家族」でなければ信用できる、 でも家族になったら信用できない。 こういうのも多いでしょう?

noname#210578
質問者

お礼

ありがとうございます。 部分的に相手を見るということですね。 信用の度合いで、相手との距離感や話の内容が変わってくるのが難しい。 人間の多面性って、複雑ですね。

  • k205t
  • ベストアンサー率13% (345/2543)
回答No.1

まだ中学生とか高校生なのでしょうか。 確かに人は、あまり信じてはいけません。でもある程度は信じないといけないと思います。 おそらくあなたの周りには、そんな良い人達が少ないのでしょう。 なんかおかしいなと自分で思ったら、これ以上は信用してはいけません。 それに最初からあまり信じないことです。半々でいいのでは。 そして大人の世界になると、もう全て信じてはいけません。話を半分くらいで聞いていましょう。さもないと自分が不幸になります。 私は東京から近場の田舎に引っ越しをしました。今住んでいる地域(〇〇〇市)は、市全体が信用出来ません。地元民がダメな地域でした! ある程度信用していましたが、相手側が何も出来ないと自分で思ったら、相手を裏切ります。なのでもう信用していません。 何を言おうが信用していません。日本には、そんな地域があります。 なにしろ人の話とかやる事は、半々に聞いていれば良いと思います。

noname#210578
質問者

お礼

話半分・・心にとめておこうと思います。ありがとうございます。

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