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いつか必ず死ぬという事実に対して思うこと
どういう気持ちですか? どんなに稼ごうが愛されようが最後は死んでしまう 怖くもあり、毎晩眠りにつくのと同じような感覚かも知れないと思う 死に対してどう向き合ってますか? 真剣に考えたことのない人の回答はいりません
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いま生きていることとおなじ、それが死だとおもいます。 「一秒先はわからない」ってことですね。 選択肢というか、目の前の未来の岐路の一つが死です。
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- kurukuru-maru
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若い頃(小学校高学年くらいから高校生くらい、主に10代のころ)には死とは? 死んだらどうなるのだろう、無になるのだろうか?とか夜寝る時に布団に入るとずっとグルグルと考えたものです。 確かに怖い、苦しいのかな、とか。 なのにどうして生まれて意識があるのか、なぜ自分という人間だったのか、、。 答えも出ないことを考えていました。 眠ったまま意識がなくなりそのまま、そう同じようなことを思いすごく怖くなったりもしましたね。 そのうちに知らないうちに死ぬのは嫌だな、自分はもう死ぬんだとわかって死にたいと思うようになりました。 そして今は年齢も随分重ねて40代後半なので10代のころのような怖さはありません。 不思議なもので寿命による死は年齢と共に受け入れることができるようになるのかもしれません。 多分老人になったら死ぬことは怖くはなくなるんだと思います。 自分は今は怖いからというよりもまだやることが残っているので死ねないと思います。 面倒を見なければいけない人や事柄がたくさん残っているので死にたくない、そういう気持ちです。 ただいつか死ぬときは身辺整理をして残ったものに面倒を残さないようにきれいに死にたいという気持ちになりました。 自分は死んでも命は繋がっていくということがすごいことなのかもしれない、と思えるようになりました。 無理に向きあわなくてもそれが自然な寿命ならおのずと向きあえていくのだと最近は感じます。 死んでもその一生で愛したり愛されたりしたことや様々なことは無くなりはしないと思う。 まだ、ちょっとうまく言えないけれどそんな気がします。
- E-1077
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私は近親者・親を含めてですが年齢の割には沢山の方を見送ってきています 自分も馬鹿なことをしたので何度か病院に行く経験がありますので・・・。 いつでも「死」というものから離れることは出来ないと感じています 東日本大震災も経験していますし、被災者ですから。 死に対してどう向き合っているのか @抗うことをせずその時を粛々と迎え受け入れられるように心がけている という回答をしたいです 死ぬこと、この世から去ること、もしくは現世を離れて行くことは、ある意味平等であり、不意打ちをくらうことはあっても、必ず訪れるものなので、心待ちにしなくても良いものだと思っています つまり、生と死はそれで一つの事象だと思うのです 夜と昼があるように 男と女がいるように 太陽と月があるように 山と海があるように 寄せて返す波のように 喜びと悲しみ(死を悲しいものだとするならば) 私は死はある意味本質的に「権利」だとも思っています 生きたなら死ぬ。これはもっと言えば義務だともいえるかもしれない 死ぬことは恐い(怖い)ことなのかな 果たしてそれが正解かな いや、正しくなくても良いと思うけれど いずれ訪れることについて何かを考えても無駄とまではいかなくても、意味がないと思っているのです。 歳をとるのは素敵なことです 死んでいくのは自然死ならなおのこと良いと思います 私だって殺人事件には巻き込まれたくないし、大量殺戮にはあいたくないし、出来れば老衰で、いわゆる畳の上で死ぬという状況が良いなと思います 誰にも迷惑かけずに眠ったままいつの間にか死んでいるような死に方をしたいなと思います。 そうじゃなくても、今日の今、この時を精一杯生きて行くことが、いずれ来る自分の終わりについて誠実になれる根拠であると思っています 壱〇九歳のピアニストの番組を見てから、いかに自分が幸せに生きて死ぬのかはすべて自分の心次第なのだと気づきました。 アウシュビッツを生き延び、六四歳の息子を亡くした時でさえ「私は神に感謝している、息子は老いを知らずに死ねたのよ、素晴らしいことだわ」と言えるだけの心がある。私には音楽があるからそれだけでいいの。と、今でも毎日ピアノを弾く。おしゃべりする。お茶を飲み、少しのケーキを食べる。ささやかな幸せと目の前にある死を悠然と受け入れる彼女に感銘しました。 私の母も壮絶な最後でしたが、欲を言ったらきりがない、悔いがないと言えば嘘になるけれどそれも過ぎた欲望に過ぎない。人生の引き際を知ることができたのは幸せだと言えると・・・。そういって死んでいきました。 いつの日にか、訪れる「恐怖」ならば相当いやでしょうけれど いままでこのことについて避けられたという事例はないのですから。 薬に頼って、毎日を恐る恐る生きている自分としては、生きている今を大切にしたいとだけ思っています。 そうすれば、いずれくる「死」に対しても真っ向からきちんと向かい合えるのかと、思っています。 延命措置を拒否し、臓器提供に同意し、残せることは残し、忘れてほしいことも指示して。。。。。。 毎日は考えません。 死は呼吸をすることと同じくらい自然なことだもの 生と死のどちらも選ぶことができないという真実に気が付くべきです。
真剣に考えると 向き合う必要は 無くなるのですよ・・ 死は 肉体という有限な衣を脱ぎ 無限の世界に行くだけの事だから・・
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