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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:浮世の義理に関して)

浮世の義理について

このQ&Aのポイント
  • 浮世の義理について考えてみましょう。義理を背負い一生を終えることは日本人にとって当然のことですが、その内容やニュアンスは人情の義理とは異なるかもしれません。
  • 日本語の難しさも関係しているかもしれません。義理人情の義理と浮世の義理は使われる場面も異なります。義理であることには変わりがなく、匿名のサイトでもお互いに助け合えることはありがたいことです。
  • 一方、面識がなくても助け合いたいと思う気持ちもあります。義理は日本の家族的道徳や私情に関連する一方、西洋の義務は理的な倫理や公的なものです。どちらが正しいかは人によるでしょうが、私は個人的には義理を重視します。

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回答No.5

isoken先生、こんばんは♪ >互いに素性が分からないこういった匿名のサイトに於いてもそう、つまらない質問に御回答を頂けるのもそ >の幾分かは浮世の義理ではないかと感じるところ 全く同感です! 私なんか、ここのサイトでクソみたいな質問しかした事ありませんが、 ありがたい事に毎回回答頂けるんですよね~(笑) こっちのアホな質問に被せてアホな回答を頂けちゃったりすると、 浮世の義理を感じずにはいられません(笑) で、そんな方がアホな質問してると私もアホな回答を。真面目な質問には真面目な回答を。 質問見かけると回答したくなっちゃいます。 でもそれは義理云々じゃなく、単に「この人と喋りてぇ」って気持ちですが(笑) (まぁ、難しい質問はスルーさせて貰ってますがw) なんていうか・・・ 義理にも、受動的な義理と能動的な義理ってありませんか? 個人的には、する場合は能動的義理を返せる人間でありたいなぁ・・・ て、何言ってんだろ?俺。(笑) 後、関係ないけど・・・ 「華がある人」米内光政を書こうと思ったけど、対比する方が思い浮かびませんでした^^;

isoken
質問者

お礼

chacha 師匠、こんばんは。 >私なんか、ここのサイトでクソみたいな質問しかした事ありませんが、 ありがたい事に毎回回答頂けるんですよね~(笑) >こっちのアホな質問に被せてアホな回答を頂けちゃったりすると、 浮世の義理を感じずにはいられません(笑) 私も時折そのクソの芳香に集う銀蝿の一人ですが、いつも師匠と mikasa さんの掛け合いには感心しちゃうんです。 私も加わりたいけど、笑いのセンスが無いから気の利いたフレーズが浮かばない、あんまり滑っちゃうと惨めですからねぇ、大抵傍観者を余儀なくされております、カッコいいなあと・・。 >で、そんな方がアホな質問してると私もアホな回答を。真面目な質問には真面目な回答を。 >質問見かけると回答したくなっちゃいます。 エロ一辺倒かと思えばそうでもないんだな、この chacha さんてお人は・・。 しかも事の本質を突く鋭いお答え、余りの意外さに 「 ええ~~~!! 」 ・・と、のけ反った事もありました。 >義理にも、受動的な義理と能動的な義理ってありませんか? >個人的には、する場合は能動的義理を返せる人間でありたいなぁ・・・ >て、何言ってんだろ?俺。(笑) そうそう、それなんです、私が言いたかった事の一つは・・。 義理にも種類がある、受けっちゃったからしょうがないとは考えたくないですね、飽く迄も能動的な意思で受けた恩を返したいと・・、そうありたいものです。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (14)

noname#224992
noname#224992
回答No.15

こんにちは、自称才人ですw 北島三郎の『薩摩の女』の冒頭の歌詞は 義理ある人に背を向けて 別れてきたと君は泣く とあります。 この「義理」は決して義理チョコなどで使う「義理」と同じレベルの 義理ではないと思います。 そもそも、「義理」という言葉、もう国語の教科書には出てきていない のではないでしょうか。 今の中高生に「義理」という言葉を使って短文を作りなさいという 問題を出すと、90%は「ネガティブな意味での義理」つまり、本心でない 真心ではないという意味の「義理」の用法を書くのではないでしょうか。 文1 昨日、僕はA君に、野球に誘われた。でも僕はC子ちゃんの家で買ったばかりの シルバニアファミリーの家をみせてもらうつもりだったが義理堅い僕は野球に つきあった。 文2 義理とは形式的なものであり、ややもすると本質からはずれがちなもので あると私は思う。 義理とは「かくあるべし」という理想です。義理ほど品格のある言葉は ないのに、義理が恰好だけの渡世術に貶められてしまったのは悲しいですね。 虚礼廃止という言葉が会社でも言われて久しいです。要は社内で中身のない お歳暮・お中元はやめろということですが、私は大反対。 そんなことは会社に口だしされる問題じゃないと思って、世話になった上司 にはちゃんと中元お歳暮は欠かしていません。上司も毎回達筆の筆文字で 礼状を送ってきます。それもありきたりの文面でなく送った内容にあわせて その都度ウィットにとんだ文言を返してくれます。 さすが、社長にまで上り詰めたひとだけのことはあります。 お中元・お歳暮は義理でも気持ちをこめた義理。縁あって一緒に仕事をさせて いただいた。お世話になった感謝の気持ちを1万円ばかりの贈答品にこめる。 私はこういう習慣は家庭環境、育ちの問題だと思います。 親が、義理というものの本質を美しいものとして教えないと、なかなか残らない。 「義理を欠く」という言葉の意味も次第に世の中で通じなくなっていくのかも しれません。 松岡正剛は、義理と人情とは、「日本人にひそむ矛盾」のことなのだ。しかもそれは「肯定したい矛盾」なのである。 と書いています。http://1000ya.isis.ne.jp/0233.html さらに、義理を理解するには「任侠映画、ことに高倉健ははずせない」と 言い切っていますね。面白いです。 さしずめ、サラリーマン社会もヤクザ社会とよく似ていて仁義をきらないと 話が通らなかったり、親分子分の派閥が顔をきかせる世界だったりします。 だからこそ人間味があって面白いし、そこを肯定したほうが楽しく生きられる。 私はそう思います。

isoken
質問者

お礼

自称才人さん、おはようございます。 >北島三郎の『薩摩の女』の冒頭の歌詞は 義理ある人に背を向けて 別れてきたと君は泣く とあります。 メロディが思い出せなかった為、 you tube で聞いてしまいました。 やっぱりサブちゃんはいいですねぇ、 特に星野哲郎の世界は堪りません、これは年齢が行かなきゃ分からないでしょうが、演歌は日本の心です。 「 後は追うなと言いながら 後ろ姿で泣いてた君を 思い出すたび逢いたくて とても我慢が出来なかったよ 」 すみません、つい本論を外れて『 函館の人 』 の一節を掲載してしまいました。 >この「義理」は決して義理チョコなどで使う「義理」と同じレベルの 義理ではないと思います。 私の世代以前の義理って、少なくとも頭で考える事じゃないですよね、当たり前のように身体が反応しちゃう事象に属すると思います。 >義理とは「かくあるべし」という理想です。義理ほど品格のある言葉は ないのに、義理が恰好だけの渡世術に貶められてしまったのは悲しいですね。 そう言われると、昨今は義理という言葉が何となく蔑ろにされている気がしないでもない、どうしてこうなったんでしょう・・と考える私は古いんですかね。 演歌が日本の心であるのと同様、義理人情も日本人がかくあるべきという基本線だと思うのですが・・。 >虚礼廃止という言葉が会社でも言われて久しいです。要は社内で中身のないお歳暮・お中元はやめろということですが、私は大反対。 私が社会に出た当時、既に虚礼廃止が叫ばれておりました。 他人を疑う事を知らない純な美青年であった私 ( ⇐ 大嘘です ) は、安心してその点を怠りましたが、入行後最初のお正月、こちらが出してもいないのに大部長から年賀状を頂きました、口すら聞いてもらった事が無い雲の上の人です、恐らく私の顔と名前が一致していなかったとも思います。 種を明かせば、若手から年賀状が来る事を見越して、先に出しておいたという事らしいのですが・・。 加えてその何年後かに同期の殆ど全てが、上司への付け届けを欠かしていなかった事を知りました。 なるほど・・と、虚礼廃止を叫ぶ事こそが最大の虚礼であった訳です。 ・・とすれば好きにさせればいい、その種の付け届けが縦型社会の潤滑油の役目を果たすのであれば、何等問題ではないでしょう。 そもそも ex さんは既に飽食の時代の御入社、上司も中元・歳暮そのものを喜ぶのではなく、その感謝の心を押し頂いていたのでしょうから。 例えば吉良上野介というおっちゃんがおりました、基本的には優しく親切な上司、ところが浅野内匠頭という儀礼・人間関係の機微に若干欠ける部下に逆恨みされその遺臣に殺された挙句、我が国を代表する悪人の一人に祭り上げられてしまいましたとさ・・。 さて古来より綿々と続く日本型情緒社会の歴史を無視して、世の森羅万象を西欧風合理主義で語ろうとする人がおります、かつて新興宗教の御題目の様に叫ばれた 「 何が何でもグローバル・スタンダード 」 なんて特にそう、馬鹿じゃないかと・・。 我が国には我が国の良さがある、先人達が築き上げた人としての道を軽視してはお終いこの世は闇です。 >さしずめ、サラリーマン社会もヤクザ社会とよく似ていて仁義をきらないと話が通らなかったり、親分子分の派閥が顔をきかせる世界だったりします。 >だからこそ人間味があって面白いし、そこを肯定したほうが楽しく生きられる。 仁義は不可欠ですね、今でもそういう言い方をします 「 あそこに仁義は通したか? 」 ・・と。 かつて自民党の派閥は叩きに叩かれました、今では政策の連合体といった以外の意味で機能していないでしょう、小選挙区になった為派閥そのものの存在意義が薄れた事、加えて金は配れない・ポストの推薦権は無い、かつてのダイナミズムとの比較に於いて、何の面白味もないようです。 果てして親分子分・派閥の世界がそんなに悪いものなのか、私はそうは思わない、先ずは意見の四分五裂を避け小異を捨てて大同に付くメリットがあります、加えて弱者が世に出る方法論でもある、世の中には一匹狼で通せる出来物ばかりではありませんから・・。 さて余談、今朝のサンデーモーニングに、ex さんのお好きな大崎麻子さんが出ておられました。 相変わらず派手なお顔立ちにして知性溢れる美人ですが、今日は御髪がちょっとばかり寂しく感じました、レディス・アートネイチャーをお使いになれば、もっと美しさが増すのに・・と感じた私です。 回答ありがとうございました。

回答No.14

御礼ありがとう御座います。どうぞ御暇な時に。 余計な事まで私し書き殴ってますが、お話に異論は御座いません、 明治維新も必然であり、否定すべき事では無いと心得てます。 只その後の軍閥主導の戦争観に間違い有ったかと、長州閥のあの方、此れには軍内部でも闘争が有ったのでしょう。個人的にはウチは徳川家臣、どうしても会津懲罰には反感持ってしまうのです。大恩有り、其れこそ義理が在る、。 ~25年程前に漸く民主化した韓国知識人が相互交流で、日本の思想のレベルの高さに驚嘆してた。如何に輸入物とは言え、明治以降の日本が一番鍛え上げて来た。彼らもそれ位は解った、曲がりなりにも開放され、英志に燃えて…。今はどうなったんだか⁈ ~公の義務などの前に、庶民の知恵・心意気を、と言うのは、其れが戦前は軍人にも合ったからです、夫々違いは有っても。 ~高校と大学の恩師が、潜水艦乗りで其の話が面白かった。 俺達は逃げ回ってたよ、と楽しそうに話す。無論,帝国海軍、命令には従い戦闘もしますが、戦時と云っても闘ばかりではない。 潜水艦は見えない?ので独自に裁量が有ったのですね、だから機雷の恐怖から逃れる事が優先される時もあった。~敵前逃亡でもない。~バロン吉本の「どん亀野郎」と云う劇画のママです。~愉しい戦争,愉快な戦争も有ったと、。上からの価値だけではなく、人情で決断すべき場面も。   反戦・是戦?いずれも戦争を悲劇化する風潮が大ですが、其れには反対したい。何しろ当事者が愉しそう。 勿論,想像絶する悲惨も有り。  我が叔父二名は飢え死にです、ニューギニアの死の行軍、戦死ですらない。人肉の話もありますね。 チャーチル曰く、戦争には魔術的美が有った(南ア戦争迄)。私後輩の仏文科が魔術を研究で、人肉も食ってみたと云う、怪我した際の自分の足のです(^^)。それ位しないとユーロ文化は解らないと云う。~それら含めて、戦争文化は公の資料ではなく、底辺レベルの本音を語らないと真実は見えて来ないのでしょう。~前回の私の大意は、 ●義理人情でも計り知れない,戦闘の動因と価値が有る。~加えて愉楽と美も。大きな声では言えません。至上の価値とも思いませんが。 〉小難しくなって〉そりゃお互い様ですよ(^^。内村鑑三でも充分難しい、三国志も直ぐ忘れちまう、未知の言葉も有る。私は欧州の思想を多少付け足すだけ、情報交換で良いのでは⁈ 浮世の義理からは離れますが、此方でしか理解されないので御容赦。御礼は簡単で結構です、以下雑談 ●ジョルジュ・デュメジル の有名な“三機能説” 有りますね、 司祭(主権)、戦士、生産者。~印欧語族の神々は其の三種に分類され、更に下位分割も可能だが、実際の人間も其の三種に分類され得ると云う。 http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1497292.html 夫々違う価値観で生きてる。~重要なのが 戦士で、国家に従属して給料を貰う 兵士ではないと云う事です。~ 実際の歴史上の軍人には司祭的な兵士も多く、逆に 戦士的な王=司祭も居る。 戦士は躊躇無く何の不満も言わずに闘う、しかし徒に好戦的でもない。家族が居ても気に留めない。~淋しがったりする自衛官は論外、PTSDになる米兵もダメ。戦士階級じゃないと無理なのでしょう人殺しは。 強い軍隊はそう編成すべきで、無論自衛隊の中にも居るでしょう。~しかし平和主義者の中にも居る。有名なのはサッカーの中田英寿、彼みたいなのをリクルートしたい。 長嶋茂雄も愉しみの戦士ですね、嬉々として暴れる。~戦好きではなく、逆に戦争の神に愛される人が居る、此れが強い! 王貞治は幾分 司祭的でしょう。小泉純一郎は? その戦士の典型が、高倉健だと想う。義理人情や上意の価値に縛られずに闘う。だから身体から闘気が!~監督の作為だったらしいですが。 鶴田さんが陰腹を、と記しましたのは、大西中将役の鬼気迫る演技を観ての事ですが、あの方は特攻に特別の思い入れが御ありでしょう。 その情緒豊かな分、少し祭司的とも思われるのです。 佐々氏も同じく情緒豊かな御方、武家の出の心情を良く口に為れる。朝生TV御出演で、お声と体を震わされた事があった。凄い迫力なのですが、戦士的とは思えなかった。~戦士は感情に動かされない方が良いから。 ~その点、敵方?の,野村秋介氏は穏やかで恐しかった。何か為さる雰囲気。思想家なので司祭的でもありましょうが。 佐々氏も良い勝負は為さるでしょう。でもあの方を以てしても 強い軍隊には為らないと思う、。もっと愉楽が、戦には必要では?~アフガンのムジャヒディンはそうしてたかな。   一般の価値とは懸け離れた処に 本来の闘いは在ると思うのです。 ~敬称略し、失礼致しました。

isoken
質問者

お礼

marc さん、再びの御登場ありがとうございます。 >只その後の軍閥主導の戦争観に間違い有ったかと、長州閥のあの方、此れには軍内部でも闘争が有ったのでしょう。個人的にはウチは徳川家臣、どうしても会津懲罰には反感持ってしまうのです。大恩有り、其れこそ義理が在る、。 違っておりましたらごめんなさいですが、ひょっとすると山縣有朋の事でしょうか? 後世の評価が散々なあのおじさんに関して言えば、帝国陸軍長州閥そして大久保利通亡き後の官僚機構の頂点に立ち、以降我が国の軍部・官僚機構の在り方に多大な影響を与え今に至ります。 前例主義・省益偏重他、無論悪い方に・・、ただ官僚組織・軍部ともに一般庶民に対する門戸は開きました、そこが唯一評価出来る点でしょうか。 ところで慶喜公が蟄居謹慎してしまわれた為、官軍殊に長州系の憎悪の殆ど全てを一身に受けた会津は本当に御気の毒でした、思いは私も同じです。 さて仰る通りですね、韓国の民主化は金泳三が大統領に就任して以降です、高々20年ちょっとに過ぎない。 ただ韓国人とて明治維新以降の我が国の歩みは充分に理解しております、ただそれを口に出して言えないところにあの国の複雑さがある、そういう事でしょう。 徹底した反日教育を施した李承晩以降、反日は大方の韓国人の皮膚の一部ですらある訳ですが、今でも圧倒的に韓国人の尊敬を勝ち得ているクネさんの御尊父朴正煕大統領は明確なダブル・スタンダード、つまり反日を標榜しつつも、日韓基本条約の締結で復興の資金を引き出す他、テーブルの下ではしっかりと手を握っておりました、幾つか太いパイプもあったところが、現在とは決定的に異なる点。 ところが盧武鉉という無能な大統領が、内政に行き詰まり苦し紛れに我が国をスケープ・ゴートにしたガス抜きという、一国の指導者としては絶対に避けねばならない手法に先鞭を付けた、以降日本バッシングは常態化して、歴代大統領の支持率回復に大いに気寄与して今に至ります。 それさえやってりゃ支持率が上昇したあの国はやはり民度が低いと言わざるを得ない、さすがに余りの無能さに最近ではクネさんのカンフル剤はもはや効かなくなったようですが・・。 >勿論,想像絶する悲惨も有り。 我が叔父二名は飢え死にです、ニューギニアの死の行軍、戦死ですらない。人肉の話もありますね。 ニューギニアは日米双方にとって重要な戦略拠点でした、故に終戦まで続いたあの悲惨な戦いがある。 それ以上に悲惨であったのがかの有名なインパール作戦、死者 ( その多くが餓死 ) ・負傷者併せて投入兵力の実に7割近い損害を被りました。 それにしても極限の環境下に於かれた特に南方戦線では、幾つか人肉云々の実話がある、私も本で読み愕然とした記憶があります。 >強い軍隊はそう編成すべきで、無論自衛隊の中にも居るでしょう。~しかし平和主義者の中にも居る。有名なのはサッカーの中田英寿、彼みたいなのをリクルートしたい。 >長嶋茂雄も愉しみの戦士ですね、嬉々として暴れる。~戦好きではなく、逆に戦争の神に愛される人が居る、此れが強い! >王貞治は幾分 司祭的でしょう。小泉純一郎は? >その戦士の典型が、高倉健だと想う。義理人情や上意の価値に縛られずに闘う。だから身体から闘気が!~監督の作為だったらしいですが。 >鶴田さんが陰腹を、と記しましたのは、大西中将役の鬼気迫る演技を観ての事ですが、あの方は特攻に特別の思い入れが御ありでしょう。 >その情緒豊かな分、少し祭司的とも思われるのです。 また難しい事を・・。 ばっさり切っちゃうと、陽と陰の違いという事でしょうか。 ON は明確にそうでしょう、自らを何の躊躇いも無くスーパー・スターと語るミスターに対し、野球道の求道者を思わせるワンちゃん、故に前者は大衆の圧倒的支持を、そして後者は似たテイストのイチローからの尊敬を勝ち得た。 その他にも触れたいのですが、ここいらで・・。 濃密で楽しいお話、ありがとうございました。

noname#216458
noname#216458
回答No.13

こんにちは。いつもお世話になります。 おじゃまします。lin(_ _)imo 「義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たいこの世の世界」 誰かの世話になった二人がいたとして、その世話になった人が亡くなったときに一人は涙を流して家で泣いた。涙を流すのが「人情」で、もう一人は、すぐに香典持って駆けつけた。これが「義理」。 家で泣いてる暇があったら葬式に行けっていうのが、世の中のしきたり、って言う有名なたとえ話ですが、さてさて... 私も50年以上、おかげさまで生きてこられました。 それなりに、いろいろお世話になったかたもいらっしゃいます。 とりあえず、よっぽど自身の仕事や、その他外せない用件と重なったこと以外には、幸いにも葬儀等には参列できていますし、初盆にも顔は出せています。 なんか、そうしないと、落ち着かないんですね。根が貧乏性っていいますか... 今年の初めにも或る葬儀に参列しましたが、それを知らせてくれる、かつての仲間がいることも、大変有り難いことだと想います。 それから、数はたいしたことありませんが、恩義を感じた相手には、たとえ低予算でも盆・暮れの付け届けは欠かしませんし、暑中見舞い、年賀状も忘れません。 お世話になったかたご本人がご逝去されたあとも、奥方宛に同じコトをしている場合もあります。 兄弟のなかでただ一人離れて暮らしている不肖の末っ子なので、もちろん母や兄達や従兄弟達にも同様のことは欠かしません。まぁ、“最低限の付き合い”、ってヤツですかね。(苦笑+汗;) ただ、姑息だと言われればそれまでですが、経済的に困窮した場合(バブル崩壊時やリーマンショック時)には、自身の近況を知らせたりもしました。 そうすると、有り難いもので、“寸志”をいただけたりして助かった憶えもあります。 プロフィールにも書いてありますが、「教えて!Goo」に別の名で初めて登録して今年で丸10年です。 それ以来ずっとですが、とにかく不器用なんで、とりあえず、お礼が書き終わらないと、次の作業(回答や新たな質問を立ち上げること)ができません。ただ、まぁ、これも、本人なりの“義理の果たしかた”だって言えば、聞こえはいぃんでしょうかね?(笑) まっとうな文章(お礼)が書けないもんだから、回答を下さった皆様には申し訳ないなぁ、と常々思うのみですが、改まりません。(苦笑+汗;) 「一行だけ、対象名だけ」ってご回答にも困ります。ホント、何書いていいのかわからないんで「有り難うございました」としか返せないんですよ。この辺が質問者様も含めて超人気会員様のようにはいかない... だから、オイラは嫌われる... ここは、たしかに顔の見えない、言葉だけの世界だけど、実社会とは違った信頼できる仲間がいる、と、想いながら接しています。あのかたは、復帰されたようですね。めでたし、めでたし...(笑) “特攻”のご質問へのご回答、いつもながら大変精緻なご解説とご意見、拝見しました。 ただ、以前“散り際”のご質問の際にも申しましが、「特攻」だけが華々しく扱われてはいけない、とも感じます。 泥にまみれて死んでいった多くの歩兵たちも含めて、皆、「祖国よ、永遠なれ!」と戦って散っていった、そのおかげで今日の繁栄があることを忘れてはならない、と常々想いながら日々生活するように心がけてはいます。 (先ほど後ろ半分には目をつむって「賛成票」に一票づつ投票しました。お気持ちはわかるが、あの場を使うことには疑問も感じます。よく削除されなかったなぁ~... それにしても、そこまで思いやっていただけるエックス氏は幸せです。笑) 人間関係は希薄でドライなほうがいいし、そうすれば、余計な荷物を背負う事も背負わされる事もない、とおっしゃってましたし、それはそれでわかりますが、まぁ、「持ちつ持たれつ」だと思うんですよ、実社会も、このようなサイトも... 素晴らしいご回答が続きましたので、もう、当方ごときが書き込みするまでも無いなぁ、とは想いましたし、なにやら先を急いでらっしゃるようにも見えたので、おじゃましないほうがよかったなぁ~、とは思いつつも、まぁ、“いつもの休日の宴”に向かうまえに、ちょいと“越後屋さん”へ顔出しさせていただきました。(笑) 御大将も、今回はパソコンの調子がよろしいようですね。(笑) さて、きょうは大安吉日だから“サマージャンボ宝くじ”を買いに行かなくっちゃ!(爆!) 相変わらずの無作法、どうかヒラにお許し願います。 おじゃましました。(笑)lin(_ _)imo

isoken
質問者

お礼

linimo さん、おはようございます。 >「義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たいこの世の世界」 「 幼馴染の観音様にゃ 俺の心はお見通し 背中で吠えてる唐獅子牡丹 」 すみません、つい続きを唄ってしまいました。 さて義理が先かそれとも人情が先か、時に相克するこの点は、我が日本民族永遠のテーマかも知れません。 >今年の初めにも或る葬儀に参列しましたが、それを知らせてくれる、かつての仲間がいることも、大変有り難いことだと想います。 消息が途絶えて早何十年、それでもいざの時には何処からともなく連絡が入り、 「 奴はあんなところにいたのか 」 ・・ と驚きつつ馳せ参じて、何とか義理を欠かさずにすむ、不思議ですねぇ。 >それから、数はたいしたことありませんが、恩義を感じた相手には、たとえ低予算でも盆・暮れの付け届けは欠かしませんし、暑中見舞い、年賀状も忘れません。 >お世話になったかたご本人がご逝去されたあとも、奥方宛に同じコトをしている場合もあります。 私如きが申し上げるのは僭越ですが、立派な姿勢でしょう、中々出来るこっちゃない、この点は義理だ何だと偉そうな事を言う私にも自信が有りません。 >ただ、姑息だと言われればそれまでですが、経済的に困窮した場合(バブル崩壊時やリーマンショック時)には、自身の近況を知らせたりもしました。 今でこそそうでもありませんが、その昔独身の頃は親の、そして結婚当初は嫁さんの脛を、盛大に齧らせてもらっていた金欠の時代が有りました。 近親者への義理は意外と忘れちゃうものでして、この点は心して掛からねば・・。 >「一行だけ、対象名だけ」ってご回答にも困ります。ホント、何書いていいのかわからないんで「有り難うございました」としか返せないんですよ。 私の質問が長くくどいのにも実は理由がありまして、仰る通りワン・センテンスの回答が困るからなんです。 内容なんて正直何でもいい、何せ当サイトを皆様と触れ合うコミュニケーション・ツールと捉えておりますから・・。 >ここは、たしかに顔の見えない、言葉だけの世界だけど、実社会とは違った信頼できる仲間がいる、と、想いながら接しています。あのかたは、復帰されたようですね。めでたし、めでたし...(笑) 我々の年代ともなりますと、面倒な事もあって浮世のふれあいが徐々に少なくなってくるようです。 下手すりゃ親しい友人とよりも、 linimo さんを始めとする当サイトに生息する方々とお話する機会の方が多いのかも知れません。 ただそこそこ長いお付き合いをしておりますと、当方の認識がその方の実像に近いづいて来る気がします、たかが文章ですがされどそこにはその方の精神が宿る・・、面と向かう以上に嘘が付けないと私は思っておりますから・・。 >お気持ちはわかるが、あの場を使うことには疑問も感じます。 その辺りは個人的に大きな反省材料、直言頂きありがとうございます。 >素晴らしいご回答が続きましたので、もう、当方ごときが書き込みするまでも無いなぁ、とは想いましたし、なにやら先を急いでらっしゃるようにも見えたので、おじゃましないほうがよかったなぁ~、とは思いつつも、まぁ、“いつもの休日の宴”に向かうまえに、ちょいと“越後屋さん”へ顔出しさせていただきました。(笑) いやいや、 linimo さんはいつも回答をお待ち申し上げている中のお一人、実情以上に盛っちゃう私とは異なり、御自身を飾らない点が非常に心地良い、恐らく貴方のファンはその点に共感しているのでは・・、今後もお見捨てなきよう御願いします。 回答ありがとうございました。

回答No.12

 あんさんには、何の恨みも御座んせんが、 渡世の義理にて、お命頂戴つかまつります。 ~と言いながら、鶴田浩二さんは、態と負ける事が多いのですね、言わば陰腹切って事に臨んでる、。人情の人と思われます。尤も初期はブロマイド売上No1,でアイドルだったそうですが、やはり戦前の情緒と思考を背負って居られたようです。義理を通せば人情は、。   一方、高倉健さんの花田秀次郎は、先づ義理,或いは若気で刃傷に及ぶ役柄だったと記憶してる。義理討ちが当たり前、鶴田さんとの決闘でも切った後で,其の真情に気付く設定だ。 ~其の差が興味深いです、アプレゲールと云う事か?  しかしながらラストは、義理でも人情でもねえ、言わば運命を背負い衝き動かされて、斬り込む。其処が新しかった気がします、其の運命とは、劇中の事だけでなく、戦後の日本の在り方を一身に纏った,象徴存在だったか…だから左右両翼からも絶大な支持、、古代からの益荒男振りの旧い記憶、。 健さんとゴジラの時代⁈、地震と火山の國。~良いか悪いか解りませんが、素戔嗚の力の暴発と涙、此の国の無意識の発現はだから懼れられるでしょう。~大陸の義侠とは違う形を摂るようです。 ●義理は、何かに所属関係ある人が感得すべき事でしょうか。 司馬遷の義侠でも既に団体員の心情として顕揚してるようですね ~そうでない場合でも、義憤,や正義感に駆られ,と言いますが、其の元には 人情が先んじてますでしょうか。 💐藤純子さんは勿論、義理人情心得た役柄ですが其れよりも 心意気!の人、と云う印象です。此れが私には一番好ましい。江戸っ子で其れが無い人間は鼻つまみ者だった。 此れが消えつつあるのが問題と想う、公けとか公共心の前に、人情とか心意気。~とは言え、若くても未だ持ってる人は居る。 見ず知らずを躊躇せず助ける青年は居る、何の義理も無いのに。私は仲裁する時も何方に義が有るか見極めようとしますので、彼らには感心します、大丈夫か⁈ とも思う。~東南アジアやアラブ、アフリカには未だ活きてるようですね。 ●荻生徂徠の先生の、伊藤仁斎 によると「仁義礼智」の四徳の筆頭の、仁 ,とは文字通り、見ず知らずの人,二人が立ち会う所: 往来の事だと云う、、其れが人の間の道の、根源だと。 義,とは道理に適う事だとすれば、其れに先んじて、人二人に生ずる人情のようなのが大事なのか。 ~此れは世界共通に存するのでしょう。マルクスだって大元は人情あっての社会正義、但し其れを理論化せねばならずに失敗したか⁈ 仰るように●義務,は社会との契約として理論化され得る、だからドライに運行でき、裁きも効率化するのでしょう。 ~この根底は、ユダヤ・基督教の、神との契約かな、~其れに拠って西欧が、社会契約の思想を鍛え上げてリードしたのは否定出来ない。 しかし其れを輸入するだけで良かったのか?脱亜入欧で。心は有るのか⁈、国家への義理?、忠誠の義務、そんなのは日ノ本ではない。 大御心にも適ってない。~今やその義務(と権利も) ばかりで、 巷の人情、庶民往来の歓談,歓待などの大らかさが消えつつありますね。他人は敵か⁈。~ある種団体が、堅気の衆を庇護する仁侠は、或る意味正しい在り方でした。 ~往来の子供から大人まで、其のなつこさに驚いたと云う、Lフロイスから幕末の来訪者達。皆が和やかな写真が残ってますね。~不詳,私の願いと所業は其れを取り戻す為です。   無論、義理も大事。少額ですが借金して返してない恩人の事は、常々念頭に浮かぶわい(^^),居所判らない。~せめて不義理の御詫びにと、本日他の方への回答で、義理を果たして来た処です(^^。長文御免⚡パっ⚡

isoken
質問者

お礼

marc さん、お久し振りです。 お礼が遅くなり、申し訳ありません。 >鶴田浩二さんは、態と負ける事が多いのですね、言わば陰腹切って事に臨んでる、。人情の人と思われます。尤も初期はブロマイド売上No1,でアイドルだったそうですが、やはり戦前の情緒と思考を背負って居られたようです。義理を通せば人情は、。 「 何から 何まで真っ暗闇よ 筋の通らぬ事ばかり 」 御存知 『 傷だらけの人生 』 の一節。 鶴田浩二に思いを馳せる時、彼が主役を張った映画よりも何よりも、私には先ずこの歌が思い出されてなりません。 この人ほど着流し姿が似合う俳優はそうはいない、まるで任侠映画の為に生まれて来たような御仁でしょう、その男っぷりには惚れ惚れします。 若き日の高倉健・月形龍之介そして佐久間良子と絡んだ 「 人生劇場 飛車角 」 他主役を張った時代も勿論良かったが、晩年脇に回り演じた 「 修羅の群れ 」 横山新次郎役、そして病魔に侵されながらの渾身の演技「 最後の博徒 」 菅谷政雄役、彼のような大物が脇に回ると本当に映画が引き締まる。 以下独断と偏見で申し上げれば、単純明快それこそ寸分の心の曇りもなく殴り込む高倉健に対し、複雑な思い諸々を込めドスを呑んで切り込む鶴田浩二、まあ私の単なるイメージなんですが・・。 >江戸っ子で其れが無い人間は鼻つまみ者だった。 >此れが消えつつあるのが問題と想う、公けとか公共心の前に、人情とか心意気。~とは言え、若くても未だ持ってる人は居る。 俗に3代続けば江戸っ子と申しますが、事はそう単純じゃない、それを言えば曽祖父の代まで日本橋に住んでた我が家はその3倍続いてます。 そもそも胸を張って江戸っ子と言える時代じゃなくなった、誰しも江戸っ子を名乗るのに遠慮があるんですね、何より今じゃそのエスプリが無いから・・、まあ 「 東京っ子 」 という事でしょう。 さて荻生徂徠にマルクスですか、 marc さんへのお礼で一番困るのは、徐々に話題がアカデミックになり、小難しくなって行くところです。 読んで理解してお礼を書くのに一苦労、ただ良い事を言っておられるのも事実だから余計始末が悪い。( ⇐ これ、褒めてるんです、念の為 ) >しかし其れを輸入するだけで良かったのか?脱亜入欧で。心は有るのか⁈、国家への義理?、忠誠の義務、そんなのは日ノ本ではない。 その点には若干の異論が有りまして、古来より我が日本列島の先人達が賢明であったのは、ハードは取り入れるがソフトつまり精神面にさほど重きを置かなかったところ、個人的にはそう考えます。 仏教然り儒教・キリスト教もまたそうでしょう、そこに伴う文物は盛大に受け入れましたが・・、だから中国そして朝鮮半島に巣食った所謂アジア的停滞とは無縁でいられたのではないでしょうか。 明治維新に於ける脱亜入欧だって、本質はそう変わっちゃおりません。 特に儒教なんてその弊害が甚だしい最たるものですよね、本家本元の中国以上に中国文明の優等生であった朝鮮は、技術・商売なんてのを殊の外卑しんだ故、あんな国になっちゃいました。 その後我が国が齎したアジア・モデルを盛大にパクり、仮に物質的に日本が視野に入ったとしても、国家の支柱たる精神面が伴わないからいまだ妬み・嫉みが凄い、個人的には現在眼前に展開する日韓問題の殆ど全てが、あちらさんの精神の貧しさに由来するものと考えております。 >巷の人情、庶民往来の歓談,歓待などの大らかさが消えつつありますね。他人は敵か⁈。~ある種団体が、堅気の衆を庇護する仁侠は、或る意味正しい在り方でした。 私が子供の頃は、やくざの子供とでも普通に付き合ってました、親が色眼鏡で見る事も少なかった、今の在り方とは明確に違います。 もっと遡れば、戦後の混迷期に三国人の跳梁跋扈に対し身体を張ったのは彼等でした、警察を救った事もあった、無論闇市他の利権争いが無かったとは言いません、ただその根っこには国を愛する精神があったと信じたい。 ところがそんな任侠団体が分を越え、且つ一般の目線から著しく乖離して、真の意味での暴力団となってしまった、故に現在は一般人との間に横たわる大きな溝がある、そう考えるところです。 さてここいらで・・、回答ありがとうございました。

回答No.11

こんばんは。よろしくお願いします。 不義理無法者で稚拙な私には自称才人の方々には到底及ばぬものですが・・・ 浮世の義理・・・実はあまり好きな言葉じゃないんですYね。 任侠映画の見過ぎかホントの意味勘違いしてない?浮世の花柳界や世俗と全く異なる世界・・・漫談・落語と歌舞伎の世界がイメージですね。 その前に”基本と正道”がどんな人たちも基本でしょうし、それでしか生きれない部分が多いですよネ! どんな”義理”や”人情”を言葉にもちだしても・・・。 いえ、isoken さんはそうしたタッチだけでない表現と主旨と思うのですが、実際色々拝見し傾向観察するとどこか?が灯り続けます。まあ、これは私の解釈の話しです。 社会的義理については、今まで世で言われる不義理を義理とする事態に直面せずよかったと思います。色々な人的策略や疑念を持ちつつ、時々騙されても、世間様への義理はいくばくでも果たしたのかな・・・(正確には±ゼロで平衡)。 でも、以前お礼文で頂きました”第4コーナーを抜け・・・”ここからラストの凌ぎ!・・・であるはずですが、生憎私は30代終わりのストレートから第4コーナー入口落馬、ボコボコに轢かれ、さしずめ今は競走馬から降りて種馬にもならず殺されず草を食ってる馬でしょう。私にとって”不義理”と申すなら、この時期でしょうか。 仕事を休職し、全ての権限も剥奪され、療養とはいえ本来の事が出来ない、あの時の事はすべて部下たちが顧客への義理を通してくれたんですね・・・。 当時、会社に義理立てなんて考えたことも無かった。今もで大いにそうです。義理は顧客のためでありエンドユーザーのため、会社への義理は、収支での結論としかならない事もあります。 私が最初受け持った仕事は、赤字予算、トントンにするのが目標でした。削れば顧客は困る、かといって大赤字のままでは会社の人間として成り立たない・・・会社への義理か、顧客への義理か・・・赤字で取る位ですから後々の足掛かりにもなってますけれど・・・。 あの時会社に不義理をした確信犯でしたが、結局顧客の義理(と言うよりご縁と社の先輩たちの努力と温情から恩義として)、結果数字だけは丸く収めてもらいました。 もう当時の先方の方々はとっくに本社役員から引退なさってます。彼らに何も恩返しが出来ない、不義理のまま次の案件は・・・そうして、14年過ぎて新たな仕事の時、一人、同世代の顧客担当課長と出会い名刺交換の際『○○さん、○○部門の・・・○○の担当ですよね』・・・相手の苗字は記憶に浮かんだが顔なんで見たことない・・・それが当時の役員のご子息でした。プレエンジニアリングもしてるので、社外でも対話する機会が結構あるのですが、私の存在は父上を介して既に知ってたそうです。確かにいつも決まった人や関連で・・・ちょっとは義理・(私的恩義)を果たせたかな?と思います(お互い関係ある事は非公表)。 でも、人事でどうしても・・・もありました。この不義理は、当時部門として困窮していたとはいえ、申し訳なかった。彼らにすれば、これまでの努力と道を変えさせた・・・彼らは離れ時を経ても(但し仕事としては繋がってる)、私が支社や当地へ行くと、時間を作り呑んで語る。義理堅いな・・・とその時だけはこぼしてしまいます。その後に、不甲斐ない上司だった、すまん・・・m(__)m 一番仲の良い部下からは”義理じゃないですよ、余所でもそれなりになれたし、良い時代へのちょっと恩返しですかね・・・”すまん・・・m(__)m 私的な事は、前段でもうだらけ過ぎた分なので辞めます。と言いますか、言えない事ばかり。ただ、両親は義理と言う言葉を一切使わなかったですね。私にもその言葉は意味を考えろと言われました。 関係ない問題を血縁や、縁故等で振り回された親達がいつも言うのは、”これもご縁”・・・。 そして、私も常に周囲に話すのが、 ”過去の自分や親、何らかの縁や恩義があったから今、少しだけでもお手伝いできる自分なのかもしれません、また、助けてもらった恩義も忘れません。義理何て血縁あろうとなかろうと言いません、これも何かの縁です。ただ、義理と私が心や口にした時は、別れの時かもしれません・・・・” 毎度乱文すみません。ただ最後に言いたいのは、”義理”なんてそうたやすく語れない、と言う事です。 失礼しました m(__)m

isoken
質問者

お礼

Marennes さん、こんにちは。 お礼が遅くなり、申し訳ありません。 >浮世の義理・・・実はあまり好きな言葉じゃないんですYね。 それで結構、人それぞれだと思いますから。 >任侠映画の見過ぎかホントの意味勘違いしてない?浮世の花柳界や世俗と全く異なる世界・・・漫談・落語と歌舞伎の世界がイメージですね。 私がまさにそれ、任侠映画を見過ぎた人間の成れの果てです。 ただどうだろう、Marennes さんは義理を難しく考え過ぎちゃおりませんか? そりゃ男として生まれて来た以上、時として生死を賭ける或いはそれに準じる覚悟を決めねばならない重い義理も確かにあるでしょう。 例えば大恩ある人の一大事に接し、ほっかむり出来る人間はそうはいないはず、金がある者は金を・知恵のある者は知恵を出すのが通例でしょうが、時にはたった一つの財産である命を差し出した例を私は幾つも知っております。 但し私が認識する浮世の義理とは、日に三度のおまんまを頂くのと同じ程度に当たり前の感覚でして、日本人であれば自然と湧いて出て来る感情の発露に他なりません。 つまり大袈裟なものでも高尚なものでもない、いみじくも貴方が例に出された落語の世界であれば、貧乏長屋の熊さん・八っつぁんが抱く厚情がそれだと思うのですが・・。 まあこの辺りは先にも述べた通り、人それぞれという事でしょうね。 >仕事を休職し、全ての権限も剥奪され、療養とはいえ本来の事が出来ない、あの時の事はすべて部下たちが顧客への義理を通してくれたんですね・・・。 中断部分で語られたその全てが、Marennes さんが余りお好きでないらしい、浮世の義理ではないでしょうか。 大変失礼だが、そういう境遇にあられた貴方に部下・後輩が尽くす何がしかは、損得では有り得ない状況でしょう、Marennes さんに世話になった或いはその他諸々の何かが有るのかも知れませんが、それこそ私が認識する義理の世界です。 >一番仲の良い部下からは”義理じゃないですよ、余所でもそれなりになれたし、良い時代へのちょっと恩返しですかね・・・”すまん・・・m(__)m 言葉の節々に貴方の存在が明確にカウントされております、つまり機械的且つ無感情にこなした仕事じゃない訳で、・・とすると義理でなければ情けという事になっちゃう、義理とも言えずましてや情けとも言えなかった彼が、瞬時に口にした或る種好意的なレトリックですね、良い部下に縁を持たれた事羨ましい限りです。 >そして、私も常に周囲に話すのが、 ”過去の自分や親、何らかの縁や恩義があったから今、少しだけでもお手伝いできる自分なのかもしれません、また、助けてもらった恩義も忘れません。義理何て血縁あろうとなかろうと言いません、これも何かの縁です。ただ、義理と私が心や口にした時は、別れの時かもしれません・・・・” 縁と義理との明確な相違が私には分からない、縁から導き出されるものが義理で、時に順序がその逆になる場合もある、私としてはそう認識しておりますが・・。 >毎度乱文すみません。ただ最後に言いたいのは、”義理”なんてそうたやすく語れない、と言う事です。 Marennes さんは、受けた何がしかに対する受動的な・・、言い換えれば不承不承の恩返しを義理と解釈しておられるのでしょうか? まあ、そういうお考えもあるのでしょう。 日本語とは難しいものです。 回答ありがとうございました。

  • sqqrcxvx
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回答No.10

isokenさんこんばんは。 >義理特に浮世の義理に関して、個人的な体験その他お考えがあればお伺いしたいと思います。 イチローのマリナーズ時代のことですが。試合前に彼がグラウンドに降りると若手選手たちが道を空けるようなところがありました。畏敬の念か、ちょっと近寄りがたい感情でしょうか?悪く言えばチーム内で少し浮いていた? あのメジャー2500本安打達成の瞬間も「喜んでいいんだね?」とチームメイトに遠慮するさまが伝わって来ました。しかしNYに移ってからは明るくなりましたね。周囲が同年代のおじさんばかりだからでしょうか。 「お互いをrespectする雰囲気がある」との彼の言葉は印象に残っています。NYは、かつての大スターと言いますか功成り名を遂げて今は落ち目の三度笠?といった人を獲得し2~3年づつ廻しています。 イチローも、そしてNYの後楽天に行ったジョーンズやユーキリスもそうですね。そしてベルトラン。10年前にはすごい打者でしたが、私も名前だけは知っていました。そういうチームなんですね、若手がちっとも育ってこない。今も中米系の活きの良いのはいますが中々レギュラーを獲れない。 中年イチローにとっては居心地の良い2年半でした、あくまで気持ちだけは。前置きが長くなり過ぎましたが、このrespect、日本の義理人情とは異なりますが中らずと雖も遠からず・・・互いの存在を認め合う、人間性を評価する、といった所かと思います。 NYのベンチ、あの顔ぶれ、人生の成功者がずらっと並び互いに互いをrespectしようという気風も自ずと芽生えるのでしょう。思い出すのは13~4年前、日米野球でボンズが来日した際の事でした。来日インタビューで彼の笑い方が真から愉快そうなんですね。あれが成功者の笑なんでしょうね。 11月の日米野球でしたからデイゲームが多かった。昼間日米野球でホームランを打ったボンズが夜は吉原でまたホームラン(笑)という報道。誰が連れて行くんでしょうね。むろん「関係者」でしょう、便利な名称ですね。 何の話か分からなくなってきました。 当方、ちっぽけな人生を歩んでいますとね、中々義理人情も味わう機会もなくここまで来てしまいました。これも人生の不運と言わざるを得ない。義理と人情にどっぷり浸かった世界、羨ましいですね。こういうシチュエーションをたっぷり味わえる人は恵まれています。 でも思うに小さな事なら・・ 先日休日に家内と地元中規模スーパーへ行った際、食品類をカートで車まで運び、カートを返そうと押していた時です。一人のおじさんが「返しておきましょうか」とそのカートに手をかけ押して行く。彼自身が使うのだろうな?と後ろ姿を見送っていると、その人はカートを所定の位置に戻し自分は籠だけ持って店内へ消えて行き。親切な人もあるものだと思うと同時にそういう事なら丁寧に固辞したのにと残念でした。 上記がsqの様な小人物が味わった義理人情で・・ 大人物はスケールの大きい事をしますね。 鄧小平が来日した際、ロッキード事件で刑事被告人の立場にある田中角栄を私邸に訪ねたことです。さすが「義」「理」という言葉の本家、その毅然とした態度に感動しました。日中共同声明を締結、両国国交正常化を実現させた田中を尊重している証左でしょう。 ところで 回答7番さんは、代理人と自称しておられますが あの例によっての名調子、語り口・・・・ 画像の動物も変化していますが どなたでしょうね(笑)

isoken
質問者

お礼

sq さん、おはようございます。 いまだ本調子じゃないものの、マー君勝ちましたね。 この白星が今後いい方向に導いてくれる事を望みます。 >イチローのマリナーズ時代のことですが。試合前に彼がグラウンドに降りると若手選手たちが道を空けるようなところがありました。畏敬の念か、ちょっと近寄りがたい感情でしょうか?悪く言えばチーム内で少し浮いていた? いつも思うのですが、 sq さんはスポーツに関する造詣が深いですねぇ、特にメジャーリーグに関して。 今の私はゴルフです、今日全米女子オープンが開幕しまして、我が日本勢は残念ながらという顔触れなんですが、何とか頑張って欲しいものです。 さてイチローですが、マリナーズのお山の大将といった環境は正直どうなんだろう・・、長い事私はそう感じておりました。 出番こそ減り扱いは確かに落ちましたが、今後の彼の長い人生を考えますと、却って良かったんじゃないかと考えるところです。 >「お互いをrespectする雰囲気がある」との彼の言葉は印象に残っています。NYは、かつての大スターと言いますか功成り名を遂げて今は落ち目の三度笠?といった人を獲得し2~3年づつ廻しています。 かつて川上哲治が率いた V9 時代のジャイアンツと似ております、不動の3・4番 ON の後を打たせる5番打者を各チームから引き抜きました。 >11月の日米野球でしたからデイゲームが多かった。昼間日米野球でホームランを打ったボンズが夜は吉原でまたホームラン(笑)という報道。誰が連れて行くんでしょうね。むろん「関係者」でしょう、便利な名称ですね。 また sq さんも、その手の裏話をよく御存知。 >当方、ちっぽけな人生を歩んでいますとね、中々義理人情も味わう機会もなくここまで来てしまいました。これも人生の不運と言わざるを得ない。義理と人情にどっぷり浸かった世界、羨ましいですね。こういうシチュエーションをたっぷり味わえる人は恵まれています。 いや~私の場合、そういう世界に恵まれなかった故の憧憬かも知れませんが・・。 >先日休日に家内と地元中規模スーパーへ行った際、食品類をカートで車まで運び、カートを返そうと押していた時です。一人のおじさんが「返しておきましょうか」とそのカートに手をかけ押して行く。彼自身が使うのだろうな?と後ろ姿を見送っていると、その人はカートを所定の位置に戻し自分は籠だけ持って店内へ消えて行き。親切な人もあるものだと思うと同時にそういう事なら丁寧に固辞したのにと残念でした。 単なる好意という事なんでしょうが、心の葛藤無しに中々そう出来るもんじゃないですね。 ただ私もスーパーで心掛けている事が1つだけ、それはレジに並んだ際の事、前後にいる御婦人がお一人の場合、必ずカゴを上げて差し上げるんです。 いきなりしかも無言でやるもんだから、中には慌てる人もおりましてねぇ、彼女達のリアクションが中々面白い。 >鄧小平が来日した際、ロッキード事件で刑事被告人の立場にある田中角栄を私邸に訪ねたことです。さすが「義」「理」という言葉の本家、その毅然とした態度に感動しました。日中共同声明を締結、両国国交正常化を実現させた田中を尊重している証左でしょう。 例の 「 井戸を掘った恩人 」 発言ですね、今を時めく鄧小平が・・という事で、当時不遇を囲っていた角さんに再びスポットライトが当たった瞬間でした。 それにしても角栄さんの中国人脈が小沢さんに引き継がれ、それを現在は二階さんが享受しているのかも知れません、これは全くの想像ですが・・。 ところで現在見られる微妙な日中関係の原因・・、その大半は中国側に帰するとは考えますが、個人的には日本側に責任なしとも実は思えないのです。 そりゃその後国家主席となる江沢民は、反日に至らざるを得ない個人的事情を確かに抱えておりましたが、それが今に至る両国不和の原因の全てとは思えません。 その取っ掛かりは例の天安門事件であったろうと・・、思想信条の自由及び人権侵害と欧米より轟々たる批判を浴びた中国共産党・中でも鄧小平は一時窮地に陥りました。 4000年に及ぶ悠久の歴史こそあったが、そもそも当時の中国には民主主義の素地の欠片も無かった、その状況は英国人ジャーナリストの夫の影響を受けたアウンサンスーチー女史が、さしたる対案を持たずにが西欧風民主主義を取り入れようとした当時の、デモクラシーのデの字もなかったミャンマーに酷似しております。 鄧小平は大久保利通に似た漸進的国権主義者であったろうと、今はまだ時期早尚との判断を下していたのでしょう。 何しろ欧米というのは、クジラやイルカ漁でも分かる通りほぼ自分達の価値観しか認めない唯我独尊の世界、仮にあの時日本が欧米諸国と共同歩調を取らず、人も資産も引き上げずにおれば、或いは今と違う状況であったかも知れない、つまりは外交センスの欠如。 さてウクライナ問題に絡んだ今の対ロ外交と酷似しておりますね、安倍さんはプーチンを取り込みたい、その方法論は恐らくプーチンも同じでしょう、言わば相思相愛のはずが欧米特にアメリカの反応が怖い、まあ上手くやって欲しいものです。 >回答7番さんは、代理人と自称しておられますが あの例によっての名調子、語り口・・・・ 画像の動物も変化していますが どなたでしょうね(笑) 一体どなたなんでしょうねえ、私にも7番さんの正体は分かりません。 回答ありがとうございます。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.9

今日朝忙しかったときに、道をたずねられ、遅刻しそう!とはおもいつつ教えました。 そしたらどうも背負っていたカバンのジッパーがあいていたらしく、しばらく歩いていたら別の歩行者の人に「あいてますよ」と教えてもらいました。 どちらもスルーしたって自分にはなんの利害もないことですが、やはり義理っていうのはまわりまわって自分にかえってくるのかなとおもったので、これからもできるかぎりは情深く生きたいですね。

isoken
質問者

お礼

manmanmann さん、こんばんは。 >今日朝忙しかったときに、道をたずねられ、遅刻しそう!とはおもいつつ教えました。 >そしたらどうも背負っていたカバンのジッパーがあいていたらしく、しばらく歩いていたら別の歩行者の人に「あいてますよ」と教えてもらいました。 それこそ相身互い・善意の連鎖でしょう。 偉そうな事を言うようですが、我々は一人では生きられない、そして生きるとは義理 ( 借りと置き換えてもいいのですが ) を作る事に他なりません。 その義理をどう返して行くか、それがまあ難しいのでしょうが・・。 回答ありがとうございます。

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.8

こんにちはisokenさん。 このような日に質問とは珍しいこと・・・ まあ聞きませんが、おそらくは訳でもあるのでしょうか? 詮索するつもりもありませんし一般論としてお話してみましょう。 義理には二つある、仰るとうりです! 一つは公としての義理、二つ目は私としての義理なのでしょう・・・ 同じ言葉の義理なのですがこれもまた仰るとうりでしょうが随分違う! 前者は世間と言うものを渡るうえでは欠かせない、 欠かせば世間から後ろ指を指される・・・故に我々がこの社会で生きる義務でしょうか? 比べて後者はまことに情緒的なものなのでしょうね・・・ 何やらisokenさんの言うことをなぞっているようですが同感であれば仕方もない。 isokenさん内村鑑三の名を出された・・・・ あの人は敬虔なクリスチャンでもありましたが同時にまた真の日本人でもあり続けた! 自分の拠って立つ大地は日本と言う国である・・・ それを常に意識していた・・・私はそう思います。 何やら話しがとんでまとまりのない回答になりましたが、少しまとめてみましょうか? 私はね、義理とは公、私どちらでも良いが誠意を尽くすこと、そう考えております・・・・ 別にそれが一方通行にしても構わない、自分の心に恥じなければ良い! 私はそうしてきたしisokenさんもそうだと思う・・・・ 義理とは簡単なものではない、時には周りを全部敵にする覚悟も必要でしょうしね・・・ 我ながらこれは回答になったのだろうか?アハハハ さて、少し別な話をしましょうか? ここまで話せば別に叱られもしないでしょう・・・・ 「特攻・・・」の回答、私は拝見して思わず票を投じました! この事には触れたくない・・・私も全ったく同じ想いです・・・ 私も随分読みもした・・・あなたと同じです。 今、この平和は誰の犠牲の上にあるのか? 愚かな戦争であった、無駄死にであった・・・・馬鹿なことを言う! あなたが言うように後生の我々が軽々に批判出来るものでもない・・・ もう、話すとisokenさんが相手だと止まらない! 安保法制にも少し触れてみたいのです、戦争を出来る国など私は毛頭思わない! ただ、一朝事あることには備えておく法整備は必要でしょうし、 それが国を預かる為政者の責務でしょう、私はそう思います・・・ まだ話したいのですが長くなりましたし、少し前EXさんの質問で私はオウムのサリン、 この話をしました・・・・ 何故?あの「地下鉄サリン事件」が起きてあれほどの犠牲者が出たか? 取り締まる法律がなかったからです・・・・ 事、起きてからの小田原評定がいかに馬鹿馬鹿しいものであったか? 「三原山噴火」の当時中曽根、後藤田、佐々淳之の決断と判断とはこう言うもの、 この話もしたいと思いましたが・・・・さすがに私も疲れました・・・・ ここいらにしましょう・・・

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、こんばんは。 >このような日に質問とは珍しいこと・・・ >まあ聞きませんが、おそらくは訳でもあるのでしょうか? 私なりに少々思うところがありまして・・。 >私はね、義理とは公、私どちらでも良いが誠意を尽くすこと、そう考えております・・・・ >別にそれが一方通行にしても構わない、自分の心に恥じなければ良い! そこまで達観出来れば強い、且つ私の目指すところもそうなんですが、未熟者だからつい貸借、つまりバランスシートを考えちゃうんですね。 ところが私が見るところ、この世には貸しを重しとする人と借りを重く見る人の2種類がある、だから話がややこしくなる気がします。 >義理とは簡単なものではない、時には周りを全部敵にする覚悟も必要でしょうしね・・・ kamejrou さんは時折その片鱗を見せておられますが、私には正直難しいかも知れません、嫌われないオッサンでいたいですしねぇ。 >「特攻・・・」の回答、私は拝見して思わず票を投じました! 当初実は全く回答するつもりはありませんでした。 ところがそれ以外の板での事態の急展開に、私なりのメッセージを ex さんにお伝えしたかったのですが、他に方法が思い付かなかった為にやむを得ず・・、回答じゃなければ削除されちゃいますしねぇ。 ところが質問者さんに見事に無視されました、まあ初期の目的は達しましたからどうでもいい、ましてや今後関係の無いお人ですから・・。 >この事には触れたくない・・・私も全ったく同じ想いです・・・ これを読まれると怒られちゃうでしょうが、まるで他国の他人事といった趣、 その見識の無さにそりゃもう呆れ返りましたねぇ、私が頷いたのは mikasa さんの御意見だけです。 ところで遥か昔に身罷った祖母が、当時幼かった私の顔をまじまじと見て時折涙ぐむという事が度々あった、どうやら戦場で若い命を散らした息子 ( 叔父 ) の面影を私に見ていたようです。 思い出と共に 「 生きていれば幾つになる 」 、恐らくそんな事を考えていたのでしょう、それこそ海よりも深い母の愛じゃないかと・・。 先に楽しい事もたくさん待ち受けていたはず、順序を誤る事が何よりの親不孝と言われる中、多くの若者が何故死なねばならなかったのか、まあ分からない人には何を言ったって分かりゃしない、そういう事でしょう、きっと・・。 >安保法制にも少し触れてみたいのです、戦争を出来る国など私は毛頭思わない! >ただ、一朝事あることには備えておく法整備は必要でしょうし、 >それが国を預かる為政者の責務でしょう、私はそう思います・・・ 長くなる為深入りは避けますが全く仰る通りで、安保法制のいったいどこが戦争支援法案で、若者を戦場に送る事になるのでしょう、その根拠を聞いてみたいほどです。 私が見るところ、多くの人々がその中身すら理解せず、ただ闇雲に反対を叫んでいるが、好むと好まざるとに関わらず国家的な緊急事態はやって来るもの、その際泥縄では遅いんです、グレーゾーンに対処する法整備は絶対に必要なんですがねぇ。 それともう一つ、憲法なんて所詮国家・国民の為の方便に過ぎないはずが、一部の連中に於いて、その中身よりもむしろ憲法を改正しない事が一義的になっているようです。 憲法改正を議論の俎上に乗せる事にすら絶対反対となれば、恐ろしいほどの本末転倒でしょう、つまり如何なる不利益を蒙ろうとも日本人は未来永劫憲法の奴隷という事、まあ馬鹿は死ななきゃ治らない。 >「三原山噴火」の当時中曽根、後藤田、佐々淳之の決断と判断とはこう言うもの、 中曽根さんの過去に関してはまあ色々とあります、ただ総理としての実績と決断に関して言えば、ここ30年 ~ 40年では確かに突出しておりますね。 その他後藤田さんはカミソリの名を欲しいままにした不世出の官房長官、一方の佐々淳行さんは我が国には数少ない危機管理のプロフェッショナル、そういう事だと思います。 まあ退官後の佐々淳行さんは数多くのメディアに登場しましたが、コメンテーターとしても一級品、他の有象無象の追随を許さない切れ味の鋭さは、そりゃもう惚れ惚れするほどでしたねぇ。 回答ありがとうございます。

noname#224992
noname#224992
回答No.7

isokenさま、ご厚情賜り厚く御礼申し上げます。 本人がルバング島(一説によると間違えてダナンに行ったという噂も)で謹慎中のため 担当者の私がお答えさせていただきます。 浮世の義理というと真っ先に浮かぶのは「義理の母」。若い頃上京し、一番お世話になったのは、彼女の母親でした。もともと三人姉妹だった彼女の家庭で「男の子」は珍しい存在で、姉妹の彼氏はそれぞれお母さんにかわいがられていました。 庇が傾く豪華な結婚式のあとも義理の母の家の近くで子供の面倒をみてもらったり、数限りないお世話になってきました。 それが、思わぬことで離婚のはこびとなりその後15年、義理の母に挨拶ひとつなく別れたままです。 だいたい結婚の挨拶というのはわかりますが、相手の両親に離婚の挨拶というのはすべきものなのかどうか、それすら曖昧です。 ○○さんを幸せにします。と誓って結婚した以上「○○さんを幸せにできずにすみませんでした。」という詫びを入れに行くべきだったのでしょうね。その際に「おたくのお嬢さんが男と二年も・・・」なんて話は出せません。ましてや別れた妻が「実はお母さん、悪いのは私の方で・・」なんて殊勝な話をする訳もない。 したとしても、せいぜい「夫が浮気するから私も仕返しに・・・」くらいの話になっているでしょう。それも事実じゃないなんて言い訳を義理の母の前でするわけにもいきません。 そう考えているうちに、私の子供たちは義理の母(子供とっての祖母)の世話になりっぱなし。他人に甘えるのが得意な私は、義理がますます積もっていくばかりです。 義理の母は今年89歳。老人ホームに入っています。これから先葬式すら知らされず 小平にある墓を訪ね頭を垂れ線香をあげ花を手向けるくらいしかできませんね。 義理に助けられて生きてきたのは私も同様です。 実家を遠く離れ都会の喧騒の中に立つ世間知らずな自分。恥をかきながらもなんとか すごしてこれた会社生活も支えてくれたのは妻というより妻自身が何かというと頼って きた妻の母親のおかげでした。ありがとうございました、という一言を伝えたかったです。

isoken
質問者

お礼

Mr. ex の代理人 さん 、こんにちは。 ルバング島はともかく、謹慎するにしてはダナンはいいとこ過ぎる、・・と御本人にお伝え下さい。 ベトナムは結構好きで行ってますが、近くに古都フエやホイアンなんて世界遺産もある、何しろあの国を代表するリゾートですから。 冗談はさて置き、 >浮世の義理というと真っ先に浮かぶのは「義理の母」。 20年もの歳月を、義理とはいえ母と呼びましたら、縁は切れても全く赤の他人という訳にはいかないでしょう、そりゃもう心情的にも・・。 さて ex さんも御存じの通り、先般義母が天へと召されましたが、5年に及ぶ闘病生活の中で、もっとも淡々としていたのは当の御本人であられたようです。 何せ10人兄弟の一人息子に生まれついた為、蝶よ花よと育てられ人が好いだけの極楽とんぼの岳父に嫁ぎ60年、商才が無くどんな商売をやっても上手くゆかなかった彼に代わって家政を切り盛りし、その合間に6人もの子供を育て上げた女傑、言うなれば実質的な家長でありました。 まあ昔はこの手の話は珍しくないのでしょうが、長女の婿というだけではなく、私自身全く遠慮しないからでしょうか、義母とは随分と気が合いました。 ただ驚いたのは、死の床に就いて以来義母から出る言葉が、岳父及び婚家に対する恨み辛みであった事、 「 ああ、この人は何十年もの間、我慢して生きて来たんだなぁ 」 ・・、そう思うと涙が出てしょうがなかった私がおります。 この事は私の胸に仕舞い、いまだ家内にも話しておりませんが・・。 >だいたい結婚の挨拶というのはわかりますが、相手の両親に離婚の挨拶というのはすべきものなのかどうか、それすら曖昧です。 離婚の挨拶とはさすがに聞いた事がない、縁の切れ目が義父母との実質的なさよならという事でしょう。 ただ ex さんはお子さんという鎹で繋がっておられる、全くの他人ではあり得ない気もしますが・・。 >義理の母は今年89歳。老人ホームに入っています。これから先葬式すら知らされず小平にある墓を訪ね頭を垂れ線香をあげ花を手向けるくらいしかできませんね。 お互いに短くない半生で何がしかの縁を持った方への対応、これは難しいですねぇ。 >実家を遠く離れ都会の喧騒の中に立つ世間知らずな自分。恥をかきながらもなんとかすごしてこれた会社生活も支えてくれたのは妻というより妻自身が何かというと頼ってきた妻の母親のおかげでした。ありがとうございました、という一言を伝えたかったです。 現在進行形の縁であればともかく、 ex さんのケースはどうだろう・・。 ただお葬式 ( 縁起でもない事を言って申し訳ありませんが ) には当然出席されるべきでしょう、連絡もなきゃおかしい、私はそう思います。 回答ありがとうございました。

isoken
質問者

補足

ダン 野村さん、こんばんは。 すみません、今日はちょっとばかり疲れておりまして、御回答頂いた皆様方に納得出来るお礼を差し上げる体調にありません。 ・・という事で、明日になる事お許し頂きたいと思います。

  • oya_zico
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回答No.6

isokenさん、こんにちは。 『浮世の義理』について思うところですか… かなり難しい問題ですが参加させて下さい。 現在、巷で使用されている義理という言葉について考えてみたのですが、 (1)義理チョコ (2)義理の母(嫁から見て) 等、余り良いイメージがありませんよね。 wikiで『義』とは何かと調べると、正義、利益を求めない行動と書かれているのに、 (1)の義理チョコも(2)の義理の母(義母)も、嫌々?仕方なく?といった負のイメージが先行してしまいます。 そう、利益を求めないというよりは、全く利益にもならないといった感じでしょうか…。 しかし、isokenさんがおっしゃる『浮世の義理』は、それとは違うものですよね。 三國志の世界で、義兄弟という『生まれた場所は違えども死ぬときは一緒』という特別な関係がありますが、その中でも関羽は(あの天下の英雄、曹操に惚れられても)絶対に兄弟を裏切ることは無かった。それに比べて呂布は、天下無双の豪傑ではあるが、義侠心に欠け、自分の利益を優先させてしまう。 そういった義理ですよね。 私も過去に、周囲の人たちに対し不義理なことをやってしまった…と思うことはありましたが、今は、正道を歩いているつもりです。ただ、妻は、どう評価してくれてるのやら(苦笑)。 話は変わりますが、陳舜臣の『秘本三国志』は学生の時に読みました。目から鱗。 吉川『三国志』だけではなく、この本も必ず読むべきですね。

isoken
質問者

お礼

zico さん、こんばんは。 >『浮世の義理』について思うところですか… >かなり難しい問題ですが参加させて下さい。 いつでも気軽においで下さい、お待ち申しておりますよ。 >wikiで『義』とは何かと調べると、正義、利益を求めない行動と書かれているのに、 >(1)の義理チョコも(2)の義理の母(義母)も、嫌々?仕方なく?といった負のイメージが先行してしまいます。 >そう、利益を求めないというよりは、全く利益にもならないといった感じでしょうか…。 日本語の名詞は多彩な使われ方をしますよね、故にその時々で微妙にニュアンスが変化してしまう、例えば名詞であるのは無論の事、時には形容詞また或る時は英語でいう動名詞的な役割をも果たしますから・・。 >三國志の世界で、義兄弟という『生まれた場所は違えども死ぬときは一緒』という特別な関係がありますが、その中でも関羽は(あの天下の英雄、曹操に惚れられても)絶対に兄弟を裏切ることは無かった。それに比べて呂布は、天下無双の豪傑ではあるが、義侠心に欠け、自分の利益を優先させてしまう。 >そういった義理ですよね。 片方は仰る通りです、ただもう一方の義理はもっと軽い意味合いですが・・。 さて曹操は関羽に相当入れ込みました、それはもう zico さんが仰る通り、まるで惚れた女性に接するかのようでした。 その点が曹操のえも言えぬ魅力の一つであったのでしょう、彼はあれだけの激情家ですから決して仕え易い主君ではなかったはず、ただ一度仕えた部下はそこに魅せられ、その多くは終生彼の下を離れておりません。 その一方で関羽に施した恩が、後の赤壁に於いて彼自身を救う事となる、その辺りは誠に興味深いものがあります。 敗走する曹操と出くわした関羽は、義理と人情の双方から雁字搦めにされました、まあそこが関羽の関羽たる由縁でしょう、・・でなければ後世に於ける彼の名声はなかったと思いますから。 >話は変わりますが、陳舜臣の『秘本三国志』は学生の時に読みました。目から鱗。 >吉川『三国志』だけではなく、この本も必ず読むべきですね。 前回の御答えを頂いた際、きっとそうだろうと思いましたよ。 ・・・でなきゃ、おいそれと劉備が曹操に情報を流していたという発想には至らないでしょうから。 私だって目から鱗でした、加えて説得力もあります、劉備が身を寄せた群雄は悉く滅んでおりますからねぇ。 ところであの 『 秘本三国志 』 は明確に曹一族が主役ですね、陳舜臣さんは曹操に関連する著書を随分と書かれております、恐らく格別の思い入れがおありにあったのだろうと・・。 何しろ従来とは異なる三國時代の英雄象、そこに仏教と道教が絡み描写が生き生きとしております。 吉川英治さんの 『 三国志 』 が仮に文語体であるとすれば、当作は明らかに口語体です、一読の価値ありでしょうね。 回答ありがとうございました。

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