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思いやりのない人間・正義を掲げてない人が得をする社会に見える

 男として22年生きてきました。  小学校・中学・高校・専門学校・出版社勤務と一通り社会の流れを身を持って体験してきましたが、この社会で成功する人は思いやりのない人間・正義を掲げている人ではなく、(もちろん私の中での「正義」という価値観でものを図っているわけですが・・・)勢いがあって周りの人間を取り巻ける人・人を落とし入れる事が得意な人が得をしているように感じます。  まじめな人間は淘汰されて、やはりそういう人間が得をするんでしょうか?。社会人の先輩方教えてください。

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  • syamon9
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回答No.1

おはようございます。 >まじめな人間は淘汰されて、やはりそういう人間が得をするんでしょうか?。 なるほど、korinngayabaiさんもこういう気持ちになりましたか。私もなりました。と言うより今でもこういう気持ちがどこかに残っています。そしてもっと言えばみんながこういう気持ちをどこかに持ちながら生きています。 私は俗に言う不良ではありませんでした。要するに普通だったと自分では思っています。友人にはそっち方面の幹部クラスになった奴も、東大を出て官僚になった奴もいます。ごくたまに彼らと会って酒を飲んだりもしますが(4~5年に1・2度)最初はそれぞれの近況報告がてらの自慢話なのですが、やがて愚痴を聞かされます。その愚痴が早い話自分はいかに貧乏くじを引かされているか。奴らがいかに不正行為をして得をしているか。まったくもって腹が立つ。という話なのです。いい親父が22歳のあなたと本質的に同じ事で腹を立てているわけです。 しかし、彼らこそはあなた達の年代からみれば正に憎むべき相手、悪の権化の筈ではないでしょうか?そんな彼らがあなたと同じ気持ちで腹を立てているなんて、不思議な話でしょう。 つまり、人生とはそうしたものなのです。あなたから見てズルをして得ばかりしているように見える奴もまた、違う誰かを見て同じような事を思っているのです。そして生まれてから一度もズルをした事が無いと言うような聖人君子でないかぎりあなたを見て同じ事を思っている誰かが必ずいるのです。 話が少し本題から外れてしまいました。回答として適切かどうかはkorinngayabaiさんに判断して頂くとして私の答えは、(真面目な人間が淘汰されるような事は有りませんがそういう人間が得をする事は多々あります。しかし得した分の代償は必ず何らかの形で払っている筈です。)と言うところです。 なお、この問題に正確に答える事の出来るのは悟りを開いた人だけです。    ご健闘を祈ります。

korinngayabai
質問者

お礼

 実社会の先輩としてのご意見を頂き、とても参考になりました。  私のこれまでの経歴は、社会的にとても優れているとはいえないものです。高校も一度中退したこともあり、その後のあらゆる環境でも「自分は適応出来ていない」という感覚を持ちつつ生きてきました。  そういった点と、周りの人達がこのような事柄を問題として定義しない点から、この疑問が私が世間知らずで駄目な負け犬人間だから発想してしまうのではないか?、と自分自身に疑心を持っていました。  しかし、社会の中でちゃんと適応されて生きておられるsyamon9さんからこういったご意見を頂き、ある種の安堵感を感じています。自分の自我に対しても肯定的になれました。ありがとうございます。

その他の回答 (11)

  • FRI
  • ベストアンサー率42% (30/71)
回答No.12

私も男として38年生きてきました。 その結果、この社会で成功する人は、勢いがあって周りの人間を取り巻ける人には同意見ですが、思いやりを持って人に接する人、常識の範囲を逸脱せず基本を大事にする人、そして、自分の哲学をもっている人だと思っています。 思いやりがなく人を蹴落とす人は、その後をよく見ていると、周りから信じて貰えず、人間関係につまづき始め、最後はいなくなります。(大体5年ぐらいの期間は居残るケースあり)しかし、その後、上に登っていく人は、人を大事にしているため人の信頼を集め、人望がある人でした。 次に、まじめだけの人は淘汰されるというのは事実です。なぜなら、まじめというのは自己中心であり、周りに配慮ができないからです。自分の考えに縛られて、自分のペースで考え、自分のペースでこつこつ行動しても周りのスピードは遙か先に行ったりしています。また、まじめ人間は正論ばかりいいますが、人の感情や場の雰囲気を読むことが下手です。柔軟性といい加減は一緒ではない、ということは覚えておくのがよいと思います。 最後に、繰り返しになりますが、成功する人は「自分の哲学、ビジョン」を持っています。哲学やビジョンは自分の行動の指針ですから、行動がぶれることがないのかもしれません。一方、どれだけ成功するスキルがあっても哲学やビジョンがない人は、行動する前にあれこれ考えて一歩が踏め出せず、いつも、迷っているかもしれません。 余談ですが、成功する人は笑顔が素敵です。困難なことでも笑っている人は周りに安心感と信頼感を与えますし、笑っている人は気持ちが前向きになっています。人は後ろ向きなことを言う人についていきません。前向きな人に人は集まるものです。参考になれば。

  • ben5125
  • ベストアンサー率13% (7/51)
回答No.11

たくさんの回答でもう充分と思いますが・・ついでにということで・・。私が読んだ本の内容に、成功の定義を示してくれるものがありました。例えば、自分が死んだ時のお葬式のことを想像してみる。残された家族、友人、会社の上司、部下・・、弔辞でどんなことを言ってくれるのか?その内容、あるいは参列してくれた人たちの表情を見れば自分の人生は成功だったかどうかわかると書いてありました。あるいはどんな人間になりたいのかわかると・・。 「7つの習慣」という本なのですが、これを読んで価値観ががらりと変わったと言うか、感動したもので、人に紹介したくてうずうずしてついここで書かせてもらいました(笑)

回答No.10

真面目なだけでは駄目です。 人を見抜く力が必要です。 真面目がとりえのうちの父はグータラな兄に会社社長の座を譲り、自分は朝は5時から夜8時まで一人で走り回り安い給料で文句も言わず働いてきて数十年。 3年前にアホ社長が会社の金に手をつけバクチと投資。会社は倒産。しかも社長の運転資金が必要の言葉に騙され連帯保証人になって1000万の借金を抱え、そのうえ 社長が文書偽造して作ったとあるフランチャイズの会社との契約時の連帯保証人になっていたということで更に700万円。偽造文書は通用しないと思っていませんか。甘いです。明らかに字も社長の字でも兄弟で会社していて知らないって事は許されないんですよ。世間が許さないんです。彼の数十年は水の泡です。 だけど、ちゃんと見てる人もいますよ。 彼を見込んで何の担保も誓約書もなしにポンとお金を貸してくれた社長さんがいました。 この仕事もあるかわからない世の中なのに。 社長さんの目は正しかったかも。 父は借金返済のため毎日駆けずり回り借金返せそうです。 だけど今度はちゃんと人を見て欲しいです。 おかげで家族は振り回され母はどうして生きて行っていいのか路頭に迷いました。 でもやっぱり人生の勝ち組はあなたが言うように人を平気で踏みつけにできるフランチャイズの会社(あなたもきっと知っている大きな会社ですよCMやってますから)や冷たい裁判官やどっちの味方か不明の弁護士でしょう。 みんな自分が生きていくためなんですよ。 弱肉強食。弱かった父が悪いんです。   

  • iwan
  • ベストアンサー率34% (60/172)
回答No.9

真面目な方ですね。 得する人、損する人、正義、思いやり等については色んな方々が答えてらっしゃるので、真面目な人が淘汰されるかどうかについてちょっと意見を。 蟻は社会性昆虫と言われてますが、この中で働き蟻の10%位は不真面目な働き蟻になるそうです。 その10%を除いてもまた残った真面目なはずの働き蟻から約10%不真面目な働き蟻が出現するそうです。 人間の社会でも色んなバランスで成り立っていますが、どんな世の中でも人間の本質的な部分から「悪」と言われる人や魔がさす人、その時代にそぐわないモラルを持った人などが出現するのではないでしょうか。 悪が蔓延れば善が出て、独裁があれば革命が起きる・・・明と暗、陰と陽表裏一体のようにも思えます。 皆平等だと競走からの進化や発見が損なわれ、競走の社会はズルや知恵を生む。 でもそれがバランス。難しいですね。 ただ、人間の社会は言語や進化の上で特殊ですからどうなるかなんて判りませんけどね。 答えがズレた気がしますが、あなたのような人は必要だと思います。(偉そうでスミマセン) 余談ですが、私は大学中退で初めての就職は1ヶ月で辞め、フリーターの後、海外に数年旅して帰国後なんとか就職し今に至りますが、未だに色んな疑問を抱えながらですから社会(会社)に適応できているかも疑問です。??

  • yumax
  • ベストアンサー率28% (6/21)
回答No.8

あなた自身の目はどうですか? うちの社員でも真面目で毎日朝遅刻せずに来る社員と、 毎日のように遅刻する社員がいます。 しかし後者の方が仕事は出来ます。 会社にとっては後者の方が重要です。 毎朝しっかり来ている人の給料まで、その人が稼いでくれています。 例えばまじめで一生懸命だけどまずいラーメン屋さんと、チェーン店だけどうまいラーメン屋さん。 客が入るのはうまいラーメン屋さんですね。 まじめかどうかが問題ではなく、うまいかまずいかの結果が問題なのです。 いくら接客が良くてもまずくては客が入りません。 うまければ余程接客が悪くない限り客は入ります。 確かに真面目に接客してくれる方が気持ちは良いですが、 それは必要要素の一つでしかありませんね。 あなたもそういう目でいろんなお店を見てないですか? 正義や真面目さは、結果につながります。 正義や誠実さはこの世の中を生きるうえで、 たくさんある必要要素の中の一つでしかないのです。 「力なき正義は無力なり、正義無き力は悪なり」 という言葉があるとおり、 いくら正義を貫いても、それを正当化する力がなければ無力です。 では結果だけが重要かというとそうではありません。 結果とそのプロセス、どちらも重要です。 あとはその人自身の美学の問題ですね。

  • huyumi
  • ベストアンサー率14% (108/746)
回答No.7

拝見致しました。 貴方の考えは理解できなくもなく、また私自身もそう感じる時があります。 ここからは私見になりますので1意見としてお願いします。 思いやりのない人、というのは簡単に言えば自分の意に沿わない人(真面目な人?)を集団で槍玉に挙げる ボス格の人がそれに当たるのかもしれません。 彼らに言わせれば「き」真面目な人、信念を持っている人に対しては 自分の尺度でしか物事を図れず、他の意見を受け入れる事はせず 頭が固い、というイメージが先行している。 これは上手く人生を渡る人を庇う訳ではないのですが、取り巻きを作れる人というのは それなりに人という物を見ているケースが多く、自分の考えだけでは生きていけないと 判っていたりします。なので様々の人に受け入れられる 術を身につけているのかと思います。 要するに「要領がいい」という事でしょう。 これは結論からは生きてきた環境如何でもありますが 元々持った性格の場合もあります。 それと、人が寄る、という事は一種どこかに信頼性もある訳で それが仲間内ではいい方になっていて、その中心者が気に入らない「き真面目な人間」は 淘汰とまでは行かなくとも、自然に弾かれるという事だと思うのです。 正義と信念を持った人は損をする、という事はないとは思います。 しかし、一般的には上記の要領がいい人間が世の中を上手く渡るように 出来ているように見えるのも事実。 しかし、人間は誰でもどこかに損をするようにも出来ていて 最後はちゃんと平等にそれなりの人生を終えるのだそうです。

  • norikunny
  • ベストアンサー率21% (256/1168)
回答No.6

非常に難しい問題ですね。 単に「思いやり」や「正義」と言っても意味や考え方が様々です。 たとえばお年寄りや体の不自由な人に電車やバスで席を譲る程度の行為を思いやりと言えるでしょうし、社会で若年者を教育するために敢えて厳しくあたるのもある意味で思いやりでしょうし。 「正義」といってもイラク問題の西欧の「思いやり」や「正義」とイスラム国のそれらとは全く異なっている事がわかります。 あなたの言う「思いやり」や「正義」の無い人も、一旦は得をしたように見えるかもしれませんが、その状態が永遠に続く訳ではありません。 「弱肉強食」のルールで戦って来た勝者は「勝者必衰」をいつか思い知るのです。

noname#25687
noname#25687
回答No.5

>まじめな人間は淘汰されて、やはりそういう人間が得をするんでしょうか 多分、まじめとカテゴライズされる人は、損得だけで行動をおこさないので、損することを避けられないのは同然なことだと思いますが。それは、結局、それぞれの人の人生に対しての信条でしょう。 逆に「得すること」ばかりを探して行動する人は、そのために行動の範囲を狭くしてしまいます。人生というスパンで見たときに、それは損なことだと思います。 「この社会で成功する」「正義を掲げている」ということばをどうとらえて使ってらっしゃるのがよくわかりませんが、「正義を掲げている」まじめな人でも、厳しく他の人にそれを要求していけば、他の人が離れていきます。そうすると、社会で成功する、というわけにはいきませんよね。「勢いがあって周りの人間を取り巻ける」というのは、この社会において非常に重要な才能です。そういう人が社会でウマくやっているというのは、至極当然にも思います。 でも、人生というスパンでみたとき、「社会で成功」というよりも、自分自身が幸せかどうかというほうが重要かもしれません。まじめで正義感の強い人って、そうやって自分の信条に基づいて生きているわけですから、幸せに生きているということでは、と思います。そうであれば、そのほうがいい人生といえるのかと思います。

回答No.4

続けて、回答してますが・・・・。 >高校も一度中退したこともあり、その後のあらゆる環境でも「自分は適応出来ていない」という感覚を持ちつつ生きてきました。  そういった点と、周りの人達がこのような事柄を問題として定義しない点から、この疑問が私が世間知らずで駄目な負け犬人間だから発想してしまうのではないか?、と自分自身に疑心を持っていました。 貴方を取り巻く人物が、その程度の視野、心構えなだけであり、貴方の感じてる事は、本来なら誰が感じても不思議ではありませんよー。

回答No.3

あなたの言うと通り、人にははっきりと得をする人・損をする人がいて、やり込める事が上手い人が社会のおいしい所をさらっている事も事実です。 会社などでは、同じような成果を挙げていても、アピールが上手なので目に止まりやすく評価をより受けていたりする。学生時代の友人との人間関係においてもしかりです。 悪怯れる様子も無く少し狡猾な手段で「得をしている」姿は、思いやりを持ち、真っ当な段取りを踏んで進んでいこうとする人間にはなかなか理解し得ない存在です。 でも「得をする人」「損をする人」両者の差が、すべて負の力の差で決まっている訳ではないはず。 確かに前者は金銭的・評価的にも恵まれてる人が多いのかもしれない。でも取り巻きが多くたって、現実フタを開けてみればこうやって不条理さに抗議の旗を揚げている人間が多数存在することも確かです。 会社では「売上貢献度」が評価の対象となる。でも人間性も含めて評価できる人『尊敬できる人』が、どのくらいいるだろうか。これは相対評価であって絶対評価ではない。 したがって人間性の優劣でもない。 > まじめな人間は淘汰されて、やはりそういう人間が得をする これは社会においては、不条理として受け止めなければならないこと。商談の場において、会社の人間の立場としてあなたも駆け引きせざる終えない事もあるはず。取引先との会社の力関係によって負の圧力をかける事だってある。 ビジネス社会では企業存続の意味でも(企業・人材は)淘汰されていくは自然の流れです。 しかし、ひとの存在価値の評価基準がこれとは異なる世界では、淘汰の成立条件が変わります。ーー真面目な人間が評価される世界ーー淘汰される立場に真面目な人間が多く入らなくなる世界もあるでしょう。 この振るい分けは複雑な要素が絡むものです。どの地点から眺めるのかによって変わってくるものです。 あなた自身が、その嘆きを消化できる自分自身の価値を持つ事、それが大切なのではないかと思います。

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