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オタク人生が終わったのか?
- 私のオタク人生は終わってしまったのだろうか?友達もいないし、恋人もできない。ただ絵を描くことが好きだけど、人気は出ない。オリジナル作品もあまり評価されず、絵の才能もないと感じてしまう。唯一の長所は容姿だけだけど、中身が大事と言われるたびに落ち込む。二次創作で失敗し、復活できる方法はあるのだろうか?
- オタク人生が終わったのだろうか?私はつまらない人間で友達もいないし、恋人もできない。絵を描くことが唯一の楽しみだけど、人気は出ないし評価も低い。絵の才能がないのが悔しいし、容姿だけが長所で他は何もない。中身が大事と言われる度に傷つく。二次創作での失敗からオタク人生を復活させる方法はあるのか?
- オタク人生が終わったのだろうか?友達もいなくて恋人もできないし、絵以外に特技もない。人気もなく評価も低い。絵の才能がない自分に可能性はあるのだろうか?中身が大事と言われる度に自信を失い、二次創作での失敗によってオタク人生が終わってしまったように感じる。復活させる方法はあるのだろうか?
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率直に言うね。 下手におだてても嘘んなっちゃうから。 光るものは全く感じません。 それが第一印象です。 ただ、違う点で印象に残ったことがあります。 決してあなたを貶すつもりじゃなくて、 「どうすればいいか」の答えに繋げてもらうために 書くから、少々凹むと思うけど、ちゃんと受け取ってね。 印象に残ったことというのは、 ○人の顔以外がとてもいい加減、というか絵として 描く気が無いみたい 、ということです。 描きたくないものを描くのは嫌、というようなことが 書かれていたけど、多分、絵を上達させるために必要な 様々な模写のことを言ってるのかなと思います。 好きなマンガやイラストはコピーしたいと思っても、 後の建物や和服、傘、剣らしきもの、どれを見ても 異様なまでに無関心なんだな、ということが強く印象に 残ります。 「描ける」、ということは「観ている」ことそのものです。 描けることが才能だと思う人は多数いると思いますが、 抜きんでた才能の持ち主というのは、凡人とは異なるものが 「観える」ものだと思います。 自分を熱くするモチーフが無いから描けない、モデルが悪いから 描けない、よく芸術家を名乗る人達が言う言葉です。 自分の才能を開花させる対象が必要なんだ、と。 でもね。 先ほど、「描く才能」とは「違う物が観える眼」だ、と 書きましたが、そういう「眼」を持つ人にとっては、電柱に 群がる電線一本、古い家のブロック塀のヒビ一つでさえ、 人に驚きを与える着想やリアリティで素晴らしい作品に してしまうのです。 例えばね、とてつもなくリアルに描かれた電線のアップの 絵を想像してみて? つまんない、としか思えないとしたら、その人は普段の 生活の中で殴り書きの落書きみたいな風景の中で暮らして いる、ということになります。 つまり、ロクに何も見ないでぼーっと生きてる、ということ。 正直、この絵を見る限り、あなたはそもそも、 「まだ何も描いていない」 と思います。 それはすなわち、 「何も観ていない」 ということと同じこと。 酷いこと言わないで、と思わずに、じゃ描くって 何なの?と考え直してもらえたらいいんだけどな。 答えを探しに長い旅に出かけて欲しいわけです。 才能云々の前に、好きなマンガのキャラしか見ていないの ではないかと思います。 例えば、建物には、何故そういう形をしているのか、 そこではどんな暮らしが営まれているのかが描かれて 初めて登場人物が立体的に立ちます。 建物は単なる背景の模様じゃないよ?場所であり状況であり、 それは「舞台」という、登場人物と繋がってるもう一つの 「登場人物」だよ?、ということ。 服のシワはいくつかのパターンを覚えれば一見それらしく 書き殴ることは出来ます。 でもそれは記号を書いただけで 絵を描いたことにならないのです。 服は素材によって皺の縒り方が違いますし、中の人間の 「カタチ」を「想像させる」動きを持ったフォルムです。 服のシワ一つとっても、それを着ている人間の感情さえ 表現することが出来るモノです。 刀、刀ってなんだと思いますか? かっこいいキャラクターや敵方の人物の持ってる単なる小道具? とんでもない。 刀と言う物が何なのか、いろいろ考えてみてください。 描けない筈の、人物の心や過去、生き方さえも刀の 描き方で表現することも出来るのです。 そういうことは、誰かの高いレベルの表現を観て、 感じて、沢山吸収して、自分なりに真似ようと 模倣を繰り返し、全然似てないダメだこんなの、と もがきながら初めて消化して自分のものに出来るものです。 その膨大な蓄積が、新たな視点、観え方を生みます。 絵のことと、あなたの容姿が十人並以上であることは 何一つ関係ありません。 ただ、自分に自信が持てず、好きなモノに縋り付いて 自分の価値って何だろう?と悩むから、自分について 売り物になりそうな要素をかき集めるガレージセール みたいな気持ちになっちゃうんだと思うけど、それは 全く違うと思う。 何故って、売れる売れないではなく、恥さらしなんかでも ないです。 その気持ちは判るけど、自分を貶めるような恥じゃ ないと思う。 あなただって下手な歌手や役者を観て「こんな奴サイテー」と 思うことはあっても、それきりその人のことなんか忘れて しまうでしょう? 単なる冷たい風があなたの周りに吹いた。 それだけのことです。 みんな忘れてるのにあなただけ覚えてたら、すごく損でしょ? 正直、凄い人は数少ないけどダメな人やイタイ人ってべらぼうな数、 存在するからそんなのいちいち覚えてらんない。 そう、思いません? あなたがこれからすることは、「スゲエ・・・」と思う作品を ドカ食いし続けることです。 食事と同じでね、好きなもんばかり食ってると栄養が偏って しまう。 「眼」が大事なんだから、イメージのビタミンが不足して鳥目に なったら話になんないじゃん? comicoとかだけじゃなく、色んなマンガ、色んなイラスト、 そして。 それらの元々のモチーフになっている様々な、絵画や映画、 彫刻、アート、そして人物や風景。 「スゲエ!」「よくこーゆーの考え出すよな」というような 「才能に触れる経験」をガンガン重ねていくことです。 才能というのは、無から湧き出る特別なインスピレーションの 泉じゃないと思う。 入れて、消化して、出す。 それの繰り返しで、体の中に蓄積されていく「才能の肉体」が 存在すると思うのです。 奇妙な言い方で伝わるかどうかわからんけど、観て感動すること、 驚くことは、とても楽しいことだし、食えるかどうかと表裏一体の 問題かもしれないけど、感じることや驚くことそのものは、生きること そのものだもん。 質屋、って 知ってる? 昔からある金融屋、つまり金貸しで、例えばオメガの腕時計をカタに 預けて、何万円か貸してもらう。 返済期日に利息を付けて返せなければ 質流れ、と言って、それは転売されてしまう。 だから、まがい物を掴ませられると店がつぶれちゃうから、見習いの頃から ひたすら一級品の本物ばかりを観させられ続けるのが修行と言われます。 膨大な量の本物を見続けることで、知らず知らずの間に真贋を見分けられる 「眼」が養われてくるのだそうです。 あなたがこれからすることも、基本的には同じだと思う。 いいものを、本物を、山ほど見て感じて驚いて味わうことだと思う。 インプットが無いのに、アウトプット出来るでしょうかと訊かれても そんなの出来っこないとしか答えられないでしょ? まずはインプット、ひたすらドカ食いすることです。 何を見るにも、その表面だけ「見て」ちゃダメです。 その形には、その動きには、その色や質感には、理由がある。 見えるモノの向こう側にあるものが「観える」まで、ひたすら 数をこなすと、ある時突然、目の鱗がゴソッと落ちる日が来ます。 まあ、ヒントとして書かせて頂きました。 もっともっと「観る」ことを楽しみましょう! それを、「才能」と呼ぶんですから。 好きこそものの、上手なれ、ですよ。 GOOD LUCK!!
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- satouenn
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好きこそものの上手なれ、ですよ。 デッサンとか、絵の構図の取り方とか、基本を忠実に学習しなおしてみてはどうでしょうか。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
年齢がわからないのですが。 うーん ペンタブでの創作ですよね? うーん なんつーか びみょうー ですな 本気でやるならもうちっとなんとかならんかな。。。。。 と。 陰影つけたり ぼかしを入れたり するだけでも違ってくると思うけど セルに色乗せたみたいにみえる 終わってる前に始まってもいないように思えるんで がんばってください