上司をほめる、なんていうから、ごますりだとかいうツッコミが入るのです。
それと、口に出していうかどうかではなく相手を評価するという視点でみないと、本質の議論になりません。
仮に自分が上司だとして、部下を見たとします。
こいつは使える奴だ、一方こいつはほめようがないじゃないか、と思うような上司は、間違いなく仕事ができません。
ここでいう仕事というのは、文書のタイプをして1分で何千字入れられるかというレベルのことではありません。
それはどちらかというと技能力の話です。
仕事と考えるのは、会社なら会社の利益を増やしたり評判をあげたりする効果のある行動と思ってください。
経理として取った人間で伝票処理は遅いけど宴会の幹事をやらせたら名人だというような部下がいた場合、宴会ならあいつだと思う段階でその人間をそのポイントでほめていることになります。口に出す出さないではありません。
客先の接待のときにはこいつを置いておこう、という発想につながるのです。
存在全部がだめだ、というものは世の中にありません。
いいところは必ず見つかるはずなんです。
料理で「味が薄いな」と感じるものは、逆にいえば素材の味を生かしているといっていいでしょう。
いま料理の例をだしましたのでその方向で話題を深めます。
ゴーヤという食材がありますが、これは苦いということを欠点だとみなしたら食べません。そこでおしまいです。
ただ、ダシを使って油で調理したら、食欲をそそるものになります。
そういう食材はいくらもあります。
ピーマンでも人参でもそうですし、魚や肉を生状態の匂いで判断したら食べものではありません。
鮮度や季節、温度湿度で味も香りも変わりますね。
料理人の才能はそこにあるでしょう。
その日のその食材の状態を見て一番うまい状態のレシピを思いついて提供できるんですね。
それができなければ、料理人の能力がない=仕事ができない、ということになりませんか。
うまいタイが手に入らないから今日は和定食は作りません、というような店が流行りますか。
食材のよいところをすぐに見極めて、「ほめる」ことができるのが実力のある料理人です。
部下を見て「こいつは使えない」と思うような上司が無能だというのはわかりますか。
適材適所ということばがあって、こいつにはこういうことをやらせたら活躍できるということがわかって計画できるのが有能な上司です。
今度は、逆に考えてみてください。
自分が部下であって上司を見たとします。
上司は無能だな、何もできないな、としか思えないなら、自分も仕事ができないと言われてる可能性が非常に高い。
それは、上司のやっていることが見えないという致命的な欠陥だからです。
よく若い社員が、社長はいいな仕事しないでお金もらえるからな、と思ったりしますね。
これは、自分がたとえばコピーしたり書類を綴じたり封筒にいれたりする仕事をしているとしたとき、社長はそんなことはしないでただ座ってお茶飲んでるだけだと思うからです。
のこぎりで木を切ったりかんなをかけ続けている人間が、親方はいいな、立ってみているだけだもんな、と思う話です。
技能力でいえば、確かにいまかんなをけずっている自分のほうが上だと見えるのでしょうが、親方はそんなことは30年前にやってきているのです。
親方は、工程が旨く回っているか、無理が生じていないか、事故の危険はないか、などを監視し、手薄なところにどう対応するかを考えていて、それが仕事です。
実費としてかかる経費と見積もりをバランスさせて考え、次にどういう交渉を施主としようかと考えている。
でも、現場からみたら仕事をしていないように見えるかもしれない。
こういう職人は、親方にはなれません。生涯かんな削りで終わります。
上司がほめられるかどうか、と言う話にしましょうか。
上司がどう動いてどういう悩みを抱えながらマネジメントをしているかがわかったら、その仕事に対し尊敬の念が起きるはずです。
口に出してほめるかどうかは別として、上司の存在を評価しています。
そういう人間は、それが見えているから、間違いなく仕事ができます。
どういうところを見ているからその期待に応えられるようにしようと思いながら仕事しますからね。
いいな、仕事もしないで給料もらえてるし、と見えるなら、仕事ができない人間です。
とんちんかんなことをやりながら、汗かいた血流したと言いたがるだけの面倒な存在になっていることも気づかない。
なお、言うまでもありませんが、これは上司の人間的な面とか人としての奥深さという話ではありませんよ。
卑猥な話を平気で話すセクハラ部長、という人間でも、顧客に対し筋を通すところはすごい、と思うなら、一面ではあるけどほめていることになります。
ほめる、というのを、口に出して表現するということにするかしないかは別のはなしです。
お礼
ありがとうございました。