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往生際とは?質問者の悩みとは
- 60代半ばの男性が「往生際」について悩んでいます。あの世からお迎えが来るときに、「まだ死にたくない」と泣き叫ぶのではないかという不安があります。
- 質問者は充実した人生を送っているつもりですが、不安がぬぐい去れません。
- 質問者は「死に際」をよくするためにどのような心がけが必要なのか、また他の方々はどのように生きているのか知りたいと思っています。
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- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 >(1)「死に際」をよくするため……「まだ死にたくない」と泣き叫ばないためにはどういうことに心がければ良いと思いますか? 独り暮らしなので、常にある程度の「覚悟」を持って生きています。 例えば、家に居て体に異常が起こったとしても、必ずしも電話で救急車を呼べる状態にない時、「死を覚悟」するしかないのです。 「まだ死にたくない」と泣き叫ぶだけの力があるうちは、未だ死にはしません。 >(2)どのように生きれば、そのようになれますか? 思い残している事を片付けていけば良いと思います。 財産が無いと出来ませんが、死に際に若い嫁をもらって死に水を取って貰う。 飲み屋の女に入れ込んで、散財した後に死ぬ。 こうして考えてみると、大した望みもありません^^; 日々、悔いの無いように生きて居れば、何時「お迎え」が来ても直ぐに旅立てますよ。 >まだ、教えていただきたいことが沢山あるように思いますが、気持ちの整理が出来ません。 きっと、心に未だやり残しが有るのですよ。
- Akesimu2149
- ベストアンサー率7% (71/906)
往生際が悪いことの何が悪いのですか? 人生に悔いはない、叫ぶほどのことはない つか、痛いとかきついとか辛いよりさっさと死にたい。 こんな感じの人生の自分からしたらあなたのほうがうらやましいです。 そんな気力あふれる人生だったらと思ってもそういう風に自分はなれないでしょう。
お礼
ありがとうございました。 「往生際が悪いことの何が悪いのですか?」……ほんのちょっぴり安心しました。
>(1)「死に際」をよくするため……「まだ死にたくない」と泣き叫ばないためにはどういうことに心がければ良いと思いますか? 過去の幸福に感謝する >(2)どのように生きれば、そのようになれますか? 自分を偽らずに生きているうちに欲しいものを手に入れたいと望んで生きる 本当は欲しいのに、無理だろうとかあきらめたりしない。 理不尽な不幸に見舞われた時がチャンス。この見返りに何か望みをかなえて くれるはずだと信じて生きる。 目標を持つ どんな下世話な目標でもいい。 持てばいつかは叶う。 目標もなくてお迎えがきてから、望みをかなえてもらってないなんて言っても 遅い。 そのためには、いいものをたくさん見る。 よい暮らしのイメージをたくさん記憶する。 世界を知る。美味いものを食う 良い服を着る いい女と寝る いやなら無理にとはいいません。死んでからじゃ遅い。
お礼
ありがとうございました。 「感謝する気持ち」を大切にしたいですね。 ご回答が多く、びっくりしました。普通も、こんなに多いのですか?「お礼」を書くのに少し疲れました。いちいち列挙はいたしませんが、exhibitionist3のご回答は、考えさせられました。 「いやなら無理にとはいいません。」……いやではないけれど、「無理」というものもあります。(*^_^*) しかし、「死んでからじゃ遅い」というのも事実ですよね。(*^_^*)
- satouenn
- ベストアンサー率13% (286/2073)
泣き叫ばない保障はありませんが、人生なるようになる、という意識でいます。 抗っても無駄なものが世の中にはある、その最たるものが「死」かな、と。 それに「泣き叫ぶ」という言葉だけで捉えれば、本当に死ぬ瞬間は、多分叫ばないと思いますし。 後は、恨み辛みを生きているうちにきちんと処理しておくことでしょうか。
お礼
ありがとうございました。 「人生なるようになる」……(*^_^*)そうですよね。私も、意識の持ち方として、「もう、どうにもならん」ということよりも「なるようになる」とか「何とかなるさ」ということに心がけています。 「本当に死ぬ瞬間は、多分叫ばないと思いますし。」……そのとおりなのですが、「顔がゆがむ」のではないかと。(*^_^*) 「恨み辛みを生きているうちにきちんと処理しておくことでしょうか。」……これからの生き方として考えてみます。
>「まだ死にたくない」と泣き叫ぶのではないか? 心配ご無用、泣いたりわめいたりする気力体力があれば死にません。 >男として、「往生際」が悪すぎると思うのですが なぜ悪いのですか、 この文章を読まれている瞬間にも、奥さんや幼い子供を残して死ぬ訳にはいかないのに亡くなっていく方がおられます。 自分の家族だけではなく従業員の生活を支えていて、自分が死ねば、従業員の子供が進学を断念せざるを得なくなり、人生を変えざるを得なくなる、という重荷を背負ったまま亡くなっていく方もいます。 自分がいなければ、入浴も糞便の処理もできない、金も財産もない認知症の奥様を残して亡くなっていかざるを得ない方もおられます。 往生際がどうのこうのと自分一人の体裁だけ考えて死ねるならこんな気楽なことはないのではないのですか。 両親にサヨウナラありがとうと言って死んでいく幼い子供もいます。 小学生の子供が人生観だの生き方だの、そんなわけのわからないことを考えますか。 地球上には60億人といわれる人が住んでいます。 誰かが死ぬから生きていくことができます。 新しい命も生まれます。 還暦を過ぎてもまだ算数計算もできないのですか。 還暦を過ぎてもまだ手前一人のことしか頭に浮かばないのですか そうであれば、この先待っているのは地獄です。 地獄へ行きたい人間なぞどこにもいませんから、泣いたりわめいたりするのは当然でしょう。 自業自得で泣こうがわめこうが、そんなことを一々覚えているほど世間様は閑ではありません。 医師も看護師もやれやれこれでやっと静かになった。 今夜は他の患者さんもゆっくりお休みになれて回復するだろう、と考えるのがせきのやまです。 死んだ後に世間の噂話が聞けますか、所詮無責任な他人の噂話、何か価値がありますか。 化けてでてきて恨みつらみでもいうおつもりですか。 薄暗がりにボーと浮かんで、あの人は往生際に泣かなかった、わめかなかったいうのを聞きたいのですか。 ウオウろ出てくれば嫌われて、坊主にお経をあげられたり牧師に十字架を突きつけられたりして追い払われるだけです。 何を心配しているのかサッパリ分かりません。 手前の人生ぐらい手前で決めて下さい。 生老病死、死ぬのも人生の一つです、順番が一番最後なだけです。
お礼
私の質問の何が気に障ったのでしょうか?それとも何かご機嫌が悪いのですか? はじめて質問させていただきました。「馬鹿な質問」だと思われるのであれば、相手にしないでいただけませんか。 それとも、このサイトには、あなたのような方がはびこっておられるのでしょうか?
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
> (1)「死に際」をよくするため……「まだ死にたくない」と泣き叫ばないためにはどういうことに心がければ良いと思いますか? 死に際だけは、未来よりも過去を注視することだと思います。 過去の素晴らしい時間を思い出し、この世に生れた僥倖に感謝する時間を持つことです。 > (2)どのように生きれば、そのようになれますか? どのように生きようとも、心の持ちようで、この世に生まれた僥倖を感謝する気持ちに満たされて死を迎えることが出来ると思います。 しかし、可能であれば、自分の都合を犠牲にしてでも人様の為に、人様の笑顔や、人様の快適の為に献身する生き方をしたほうが、人生の最後に悔むことが少なくなるように思います。 でも、60代半ばでは今さら人生をやり直すことはできないのですから、過ぎ去った時間を思い出し、この世に生れ、生き続けることが出来た僥倖を感謝する事が一番だと思います。
お礼
ありがとうございました。 「感謝」という言葉は、私も普段から意識し、実践しているつもりなので、もう一度深く考えてみたいと思います。 「自分の都合を犠牲にしてでも人様の為に、人様の笑顔や、人様の快適の為に献身する生き方をしたほうが、人生の最後に悔むことが少なくなるように思います。」……そうかも知れませんね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
(1)「死に際」をよくするため……「まだ死にたくない」と泣き叫ばないためにはどういうことに心がければ良いと思いますか? 死に際にこだわらなければいいとおもいます。 「我が人生に悔いはない……死に際に泣き叫ぶことはない」と悟っておられる方におたずねいたします。 (2)どのように生きれば、そのようになれますか? こだわらなければ、別に人生を悔いたり、悔いなかったりしないような気がします。いろいろな事柄が終わりになるのを経験しました。 暖かくお尻を包んでくれたお襁褓との永遠の別れ、母のオッパイとのさようなら、幼稚園、小学校の卒業式など、相当予行演習おやってるので、それに一つ加えるだけだと思っています。
お礼
ありがとうございました。 「こだわる」というのは、私のどうしょうもない「性格」ですので、SPS700のご回答を活かすためには、「性格」を変えなければなりませんし、私の性格には「頑固」というのもありますから、おそらく「間に合わない」と感じました。(T_T)
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
1) >充実した人生、悔いの残らない人生を送っているつもりなのですが、不安がぬぐい去れません。 不安を拭い去ってしまうことです。つまり、いまやりたい、遣り残したと考えられるすべてのことをチェックしなおし、すべてをやり終えることです。 有名人の死に際のことを列挙したユニークな本「死言状 山田風太郎著」を読んでみるのもひとつの方法でしょう。 「我が人生に悔いはない……死に際に泣き叫ぶことはない」と悟っておられる方におたずねいたします。 (2)どのように生きれば、そのようになれますか? やはり教養を高めることでしょう。でも、死の際までだれもが冷静で居られるとは限りません。私も完璧に見事に死ねるという自信はありませんw。でも私の祖父も父も義父もたまたま同年で死にましたが、見事な大往生でしたよ。
お礼
ありがとうございました。 「つまり、いまやりたい、遣り残したと考えられるすべてのことをチェックしなおし、すべてをやり終えることです。」……名言だと思いました。真剣に考えすぎると、また悩みが増えそうなので、これからの生き方として、「ほんの少し」だけ考えてみます。 本を紹介していただきましてありがとうございます。「有名人の死に際」というのは、私には全く縁の遠い世界だと思っていますし、私のような頑固者の、糞爺には、「豚に真珠」というような気もします。それなら「質問するな」とお叱りを受けそうな気がしますが。お許しを。m(_ _)mm(_ _)m 見事な大往生というのは、「教養」で実現できるでしょうか??? 「大往生であるか、どうか?」を残された人が判断すると、ただ単に残された人が自己満足として、感じるだけの世界に陥ってしまうという側面もあるような気がしますし、私の質問の趣旨は、残される人のことよりも、「死を迎える本人」として、見苦しくない死に方というのはないか?ということなのです。
- kia1and2
- ベストアンサー率20% (482/2321)
以前は、死の恐怖をやわらげ、素直に受け入れる役目をするのが宗教だったんですが、これだけ科学が進んでしまうと、宗教の説明する「死後の世界」などおとぎ話なみで、現実味がさっぱりなくなり、幼児のように信じられずに浮いてしまっているのが事実です。 誰だって、知らないところに行くのは、不安があります。頻繫に世界中を旅行しているベテランでも、初めて訪問する場所には、暗くなってから着くな、仕方なしに着く場合は、その街のまともなホテルを予約する、が鉄則です。最新情報のガイド・ブックが簡単に手に入る時代になっても、この鉄則は変わらずです。 ましてや、これまで逝った人ばかりで、そこから帰って来た人はなしの世界に旅立とうするのですから、お呼ばれ年齢に近づいてくると、不安があるのは当たり前です。すべての宗教や書き物になっているのは、あの世の想像ばかりです。そんな現世の人間が描いたおとぎ話で、不安がなくなるほど、現在人は幼稚じゃないです。 天国と地獄がある、この世は仮の世界で来世が本当の場所とか、子供騙しもいいとこ。私に言わせるとアホかです。 それで、人間は死んだあと、どこに逝くのか、を考えに考えました。そして、何年もかかり、自分なりの解答にたどりつき、不安がなくなり、お呼びがいつ来ても、素直に受け入れえられる気持になっています。この2年間の地獄に行くよりも厳しいと感じるような闘病生活。何度も何度も、もう早よう迎えに来て欲しい、って願ってもしました。でも、それは、ただ今の肉体的な激痛から開放されたい上で願ったことだけです。 そして、やっと、人間が死んだあとどこに行くかの命題を自分に納得できる解答を得られてから、体の痛みがなくなってきました。身長は15センチほど縮みましたが、皆様から顔色は健康体の艶のある色で、回復しているのが眼に見えるとか言われますが、現在医学の検査では、以前として末期の肺ガン患者で、背骨、腰の骨にもガンは転移は進んでおり、回復どころか、さらに進行中との診察です。 多分、あと数ヶ月ももたないと感じていますが、その最後の時に泣き叫ぶことはないと確信していますが、絶対とは言い切れません。わたしなりの人間の死後の行き先の結論が正しかったのか、間違っていたのかは、その最後の最後にならないと分からないと思います。 多くのお見舞いに来られた方々、看病をしてくれている家族にも、何度も分かりやすく説明しているので、泣き叫びもなしに、静かに息を引き取れることができれば、その人たちより多くの人たちに言葉が伝わっていくと思います。 あえて、言うなら、他人の哲学に自分の考えを合わすのではなく、言葉に表れなく体系すら幼稚であっても、自分の哲学を持つ、ということでしょうか。 もし、全能の神様が現れて一番好きな年齢に戻しあげる、って言われても、今が70年の人生で一番幸せな時期なので、今のままで、って確実に言えます。
お礼
ありがとうございました。 「以前は、死の恐怖をやわらげ、……幼児のように信じられずに浮いてしまっているのが事実です。」……そうでしょうか?私はkia1and2と同じ考え方だと思いますが、「宗教」によって救われる人もいるのだと思います。それはそれで幸せなことだと私は考えます。 「そして、やっと、人間が死んだあとどこに行くかの命題を自分に納得できる解答を得られてから、体の痛みがなくなってきました。」……とのことですが、ご回答からは、「どこに行くか」というのを、私の能力では読み取れませんでした。m(_ _)m それと、私は、死後どこに行くかというよりは、「死=無」と考えているので、死後のことは気にしていません。「死に際」なのです。 「その最後の時に泣き叫ぶことはないと確信していますが、絶対とは言い切れません。」……このことが知りたかったのです。 そして、 「静かに息を引き取れることができれば、」……このことが、残された家族への「感謝の気持ち」になると思うのです。恥ずかしながら、私には、その心構えがまだ出来ていないのです。それで質問してみました。(T_T) 「もし、全能の神様が現れて一番好きな年齢に戻しあげる、って言われても、今が70年の人生で一番幸せな時期なので、今のままで、って確実に言えます。 」……羨ましいですね。私も「同感です」という気持ちはありますが、実際にそうなったら、やはり「戻りたい年齢」というのを考えるでしょうね。(*^_^*)これが「未練」ということなのでしょうか?そして「往生際」を悪くする元凶かも? どうかご自愛下さい。
何故 肉体で産まれて来て 何故 死が訪れるのか が 判れば 死とは 単に肉体を脱ぎ捨て 永存する為に精神(心)のみの実体になるだけ・・ってのが解かるのに・・ 俗に言うあの世(無形実体世界)は 本当にあるのです・・ そして 其処で 過去の歴史の全ての人物と共に永存するのです・・ 人間に永遠に生きたい と言う願望があるのは 永遠世界があるからなのです・・・ それが理解出来なくなってるだけ・・・なので 死が 恐怖に感じるのです・・・
お礼
ありがとうございました。 「何故 死が訪れるのか」というのは私には分かりません。ただ、「生あるものには、必ず死が訪れる」ということは理解しているつもりです。 私は、残念ながら、「あの世(無形実体世界)の存在」というのをまったく信じておりません。 「人間に永遠に生きたいと言う願望がある」という考え方はどうなのでしょうか?少なくとも、私にはそのような願望はありません。 私にとっては「死の恐怖」ということよりも「生への未練」ということが問題なのです。
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お礼
ひとり暮らしであるかどうかにかかわらず、私も『常にある程度の「覚悟」を持って生きて』いるつもりなのですが、……。「悟り」の境地に至りません。 「例えば、家に居て体に異常が起こったとしても、必ずしも電話で救急車を呼べる状態にない時、「死を覚悟」するしかないのです。」……そうですよね。私も、これまでに救急車に3回お世話になっています。もし、家内がいなかったら、もうとっくにあの世に逝っていたでしょう。 お分かりだと思いますが「泣き叫ぶ」というのは比喩でして、「未練を残さないような死に方」とでもいったほうが良いのかも知れません。 「思い残している事を片付けていけば良いと思います。」……少し考えてみます。 「悔いの無いように生きて居れば、何時「お迎え」が来ても直ぐに旅立てますよ。」……その通りだと思います。 「飲み屋の女に入れ込んで、散財した後に死ぬ。」……(*^_^*)これはひとり暮らしのpct10968さんに与えられた「特権」です。羨ましいですね。 「心に未だやり残しが有るのですよ。」……少し考えてみます。考える時間だけはたっぷりありそうな気がしますので。 ありがとうございました。