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往生際とは?質問者の悩みとは
- 60代半ばの男性が「往生際」について悩んでいます。あの世からお迎えが来るときに、「まだ死にたくない」と泣き叫ぶのではないかという不安があります。
- 質問者は充実した人生を送っているつもりですが、不安がぬぐい去れません。
- 質問者は「死に際」をよくするためにどのような心がけが必要なのか、また他の方々はどのように生きているのか知りたいと思っています。
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- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
年末までには64になる、来年定年のバーさんです。 子どもが二人、亭主とは、別居10年以上になるかな? 一応、80過ぎまでの経済は、特に大病デモしなければ、計画できているし、 趣味としては、5年前からの落語のおっかけで、たのしみもある。 そして、何より、和裁が趣味なので、縫わなくちゃいけない反物がすでに150本を越えて、抱えているので、 まずは、これを縫うこと。 なので、これが100を下回る前に、死んじゃうなら、’まだ死にたくない’とは思うだろうと思う。 なので、月間2本ー3本は消化している(仕立ててる)。 このペースだと、年間24-5本なので、6年分。 なので、70すぎたらもう、いつでもいいやと、逆算の根拠です。 ゴキブリが出ないように、狭いマンションの自宅をそれなりに気遣っているし、 たまさかの夏の暑い夏に外からゴキが入り込むと、私の野生がピカピカして、 闘争モードで、必ずしとめる。 なので、死後は、もしかして、外で野たれ死んで、虫に食われることがあっても、 それはそれで本望です。 ゴキにごめんねって。 生物学者の池田清彦氏が虫に食われて死ぬのが望みだというような内容のことが著作に書いてあるのを 読んで、ああ、これって、素敵だなったおもったので、死後の望みとしての、オプションです。 ただ、現実的には、難しいのだろうとは思うので、 娘には、火葬場で骨はほとんど捨ててもらって、一つまみ辰巳の海にでもパラリとしてもらえば、大満足。 昨年はホノルルマラソンにでて、15年ぶりに完走したので、フルもまだ走れると確認しました。 今年は、トライアスロンにまずは、3年ぶりに復活してと、最後尾でいいので、怪我しないようにと、 八幡様に年頭に祈願。 ホノルルマラソンもハワイの出雲大社に神頼みしての完走です。 息子が、25にして、半分引きこもりの、バイト生活ですが、先がどうなるかはもう、考えません。 上の娘は、一人暮らしで、ちゃんと社会人としてやってる。 親としてするべきことはして、お金も手間もかけて育てましたので、どうなっても、もう、彼らの責任。 10年近距離別居の、亭主は息子との軋轢が原因でそのままですから解決したいなら、 彼が動かなくちゃ仕方ないことで、これはもう、本人の責任ですし、 いまさらです。 エアコンはついてますが、暑い都内で、すでにして5年以上稼動してません。 今年は、取り外そうと思ってます、使えないでしょうもう、5年使ってないから。 もちろん、冬も暖房なしです、18度を下回らないので、マンションが快適だということでしょう。 ただねぇ、「60まで生きないわよ」(頭痛もちなので、絶対に脳腫瘍だと信じていたのですね) ・・・と言っていた、実母が今年90で認知症すでに15年で、 何もわからないで車椅子で’まだ生きてる。 どうも、家系らしいのです。 なので、まぁ、細かいことにこだわって、懐具合は確保して、 日々、それなりな闘争モードを忘れないようにという、それがモットー。 娘は、’お母さんは、絶対に熱中症で死ぬね’って、言います。 それはそれで、本望です。 それまでに、最低でも、100本の反物を縫い上げて、新しい着物をきて、ちゃらちゃらと落語です。
- whaihansei
- ベストアンサー率23% (227/983)
作曲家の例ですが、 モーツアルトはレクイエム作曲途中で、 プッチーニはオペラ「トゥーランドット」作曲途中で 亡くなりました。こういう作品を「遺作」と言います。 いつ死ぬか、あらかじめ誰にも分かりません。 つまりかなり直前になるのであろうと。 だからそのことを忘れ、趣味でも、何でもよいので 集中、熱中することではないでしょうか。 なにもしない1年、3年、5年はすぐ過ぎます。 目標を持ち邁進した3年、5年では収穫ができます。 60代半ばならまだ十分若い。 十分何かをすることができます。 以下は皆さんへの提案ですが、こういうのを学ぶのは どうでしょうか。 「65歳になったら親子で学ぶ生と死」 その目次です。 1 健康寿命 2 病のパターン(または死亡の原因) 3 医療行為 4 リビングウイル 5 介護申請 6 施設か在宅か 7 4つの痛み 8 その時(亡くなる時)、そばに居るのは誰? 9 グリーフケア (以上を知るだけでも大分違うと思われる質問が この「なんでも相談室」に多数寄せられています。)
お礼
ありがとうございました。 「集中、熱中」できることを見つければ良いですよね。集中、熱中しているうちに、しぜんと死ねるということですね。ありがとうございました。 「なにもしない1年、3年、5年はすぐ過ぎます。」……これはしたくないと思っていますが、それでも、……不安が……。
- 150715
- ベストアンサー率19% (841/4396)
もうすぐ40になるワカゾーですが。。。 > (1)「死に際」をよくするため……「まだ死にたくない」と泣き叫ばないためにはどういうことに心がければ良いと思いますか? 個人的には、『30歳過ぎたらどんな病気を発症しても仕方がない』と考えています。 これを40代、50代になるにしたがって、リスクが増えるイメージで。 後ろ向きとも受け止められるかもしれませんが、いい意味で『諦め』が肝心かと。。。 >「我が人生に悔いはない……死に際に泣き叫ぶことはない」と悟っておられる方におたずねいたします。 (2)どのように生きれば、そのようになれますか? 悔いはありますよ。誰だってね。 でも、やっぱりそこは諦めです^^; だって、生きていれば遅かれ早かれ死は避けられないでしょ? 思いっきり子育て世代で、子供も小さいですが、お金だけは残すことで 死後の家族の生活の心配をしなくて済むかなって思っています。 保険や貯蓄などなど。 ただ、あなたの質問は、精神状態が『正常』なことが大前提ですよね? 何らかの精神疾患(脳梗塞など機能性疾患も含め)を患ったら、そういう不安は 持ち合わせていないかもしれませんよ?
お礼
ありがとうございました。 いい意味で『諦め』が肝心かと……私も、スケジュール帳には病院名と、予約時間しかない、「病気まみれ」の人間ですので、よく理解できます。 ただ、上手く説明できないのですが、「諦める」ということと「悟る」ということの違いに悩んでいるのかも知れません。 「やっぱりそこは諦めです」か???「諦め」しかないのですか??? 「思いっきり子育て世代で、子供も小さいですが、お金だけは残すことで死後の家族の生活の心配をしなくて済むかなって思っています。」……私も通過してきた道ですし、そのことに「悔い」はありません。 精神状態が『正常』なことが大前提ですよね?……私も一応正常だと思っています。(*^_^*)
- toiawasedesuyo
- ベストアンサー率15% (733/4702)
54歳 男性 この年齢になると、学生時代の友人が亡くなった話しを聞く様になってきました 昨年から今年にかけて親戚の叔母や叔父が3人も病気で亡くなりました 充実した人生を送りたいですよね 質問者様は私よりも年上の方 生意気な内容かも知れません 定年退職され、残りの人生を楽しまれていると思います 悩むより、自分がやりたかった事をノートに書き出し これからの行動予定表を書かれたらどうですか? やりたい事が50個有るなら、時間がどれ位必要かに 並び替えてみる もしくは優先順位を決めるとか 何時病気になるとか、倒れるかも知れません 悩むより、自分が死ぬまでにはやりたい事をノートに書き出し計画を立てる。 最低限の事が実現出来たなら、充実した人生だったと満足出来ると思います
お礼
ありがとうございました。 私の父も母も、私が30歳代前半の時に、60歳で、続けて亡くなりました。そのことを考えると、私は、もう十分に生きたという気がしています。ただこの歳になっても「死の覚悟」というのが出来ていないのです。みっともない話なのですが。(T_T) 「悩むより、自分が死ぬまでにはやりたい事をノートに書き出し計画を立てる。」……ありがとうございます。私は、それ程几帳面な人間ではありませんが、「自分が死ぬまでにはやりたい事」というのを再度考え直してみる必要はあるかも知れませんね。
- catpow
- ベストアンサー率24% (620/2527)
やはり、「私は人生を十分に生ききった!」と感じていることではないでしょうか?100%完璧ではないけど、自分の信念に従い、正義を守り、不正なことはやらない人生であったとか、「やりたいことをやった人生だった」と思えることでしょうね。 大川隆法氏の吉田松陰霊言の本には、「一日一生の思いで生きよ」という吉田松陰先生の言葉があります。 「今日が人生最後の1日」という想いで生きていれば、お迎えがきても、すでに準備できていることになります。 ただ、「自分が死んだあとにどうなるか?」が十分に分かっていないと、「一日一生」の気構えで生きていても、やはり不安感は消えないと思います。 幸福の科学には、「秘伝・三途の川瞑想」という研修があります。これは、生きながらにして「三途の川」を渡るっていう研修で、死んだ両親や先祖、友人に会えるというものです。 私は、信仰心が不足しているため瞑想しても、三途の川には近づけませんでしたけど、他の参加者はほとんどの方が、三途の川を渡ることができたようで、瞑想の最中、すすり泣く声が私の周りのあちこちから聞こえていました。 その後の感想発表では、「死んだ両親に会えた」「おじいちゃんに会えた!」というような声が聞かれて、私は羨ましく感じたものです。 まあ、こういう幽体離脱の体験ができずとも、「自分は、死んだとしても、単に魂が肉体から離れるだけのこと。自分の本質である魂・霊は、今回の人生が終わろうとも、永遠に生き続ける」という確信を得ていれば、「まだ死にたくない!」見苦しく泣き叫ぶことにはならないと思います。 思ったよりも早く死んでしまったなら、「この世でやりたいことができなかった」という残念感というか、悔いは残ると思いますけど、それはそれで「まあ、次回の転生での宿題だね」と割り切ることができると思います。
お礼
ありがとうございました。 「私は人生を十分に生ききった!」……この思いですよね。そこに到達できるのか?この歳になって恥ずかしいのですが、自分自身の精神の未熟さを感じるのです。 「今日が人生最後の1日」という想いで生きていれば、……良い言葉ですね。考えさせられます。しかし、私のような凡人は、単に「不安」につながってしまうような気がします。 私は、「私の想い出」の中で、いつでも、亡くなった祖父母や両親に逢えるので「秘伝・三途の川瞑想」という研修を受ける必要性は感じませんが、そのようなことで救われるのであれば、それも幸せかも知れません。 「自分は、死んだとしても、単に魂が肉体から離れるだけのこと。自分の本質である魂・霊は、今回の人生が終わろうとも、永遠に生き続ける」という確信を得ていれば、「まだ死にたくない!」見苦しく泣き叫ぶことにはならないと思います。私は、「死=無に帰すこと」と信じていますので、この確信が得られません。(T_T) だから『「まあ、次回の転生での宿題だね」と割り切ることができると思います。』というのは、難しいのですが、ご回答に感謝いたします。
- pupupu
- ベストアンサー率22% (111/495)
こんにちは。 前に本で読んだのですが、人が死ぬ前に後悔する事3つは (1) もっと人に優しくしておけば良かった。 (2) もっと旅行に行っておけば良かった。 (3) もっと子供をたくさん作っておけば良かった。 だそうです。 参考になれば嬉しいです。
お礼
ありがとうございました。 (1)と(2)は、これからの生き方として、ほんのちょっぴり参考になりましたが、「もっと子供をたくさん作っておけば良かった。」というのは、「今更、婆さんと頑張っても」……(*^_^*)
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お礼
ありがとうございました。 元気バーさんのご回答に卒倒しそうで、「お礼」の言葉もありません。m(_ _)m 私は、住んでいる所と、財布の事情で「落語のおっかけ」はできませんが、若いときから気持ちがくじけそうになったときには、落語で気持ちを慰めていました。特に、今ではCDでしか聞くことは出来ませんが、5代目小さんの「粗忽長屋」や「狸賽」は何度聞いても、笑えます。今思ったのですが、「落語を聞きながら」というのも……。(*^_^*) ご回答の中で、考えさせられたのは、「まだ死にたくない」と「もう、いつでもいいや」です。自分自身で整理したいのに、整理できない……。 それと、生まれ変わっても、bekky1さんの部屋のゴキにはなりたくないですね。すぐに「仕留められた」のではかなわないですよね。(*^_^*) 私も「死後」のことは、全く気にしていませんし、ただ「虫に食われて死ぬのが望み」でもありませんし、骨をどうして欲しいという希望もありません。