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悩んでいます。
最近、死んだらどうなるんだろう?という疑問が頭から離れません。 鬱なのかと思いましたが、食欲も睡眠も普通に取れているので違うと思います。 大学生から社会人となり、それに伴い地元に帰ってきました。 親にも頻繁に会えるようになり、親が年をとってきていることを感じるようになりました。 それからだと思います。 もし、親が亡くなるともう一生、永遠に会う事は出来ない、自分が死ぬときは 無の状態になり何も分からなくと思うととても怖いです。 人間誰にでも言えることだし、自分だけではないことはわかっています。 また、死にたくない、このままの状態が続けばなんて思えるという事は 今が幸せだという事だなとも思います。 でも、どんなにいい方に考えようとしても、死んで無になり何も考えられない状態、永遠に 親や友達に会える機会がなくなる時がやってくるとふと思い出すと吐き気や涙が止まりません。 こんな悩んでも仕方のないことで悩む人は、暇だからだ、悩んでも意味がない、宗教にでも頼るしかない、とありますが、悩んでしまいます。 みなさんはどのような考えを持っているますか? また同じような事で悩んだことのある人は意見を聞かせてください。 お願いします。
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- tkycpt
- ベストアンサー率7% (69/901)
小学生のころから考えていましたが、兄弟に 「いつか死んじゃうんだよ。死ぬとどうなるかわからないよね。」って聞いたら 「そんなのずっと先だよ」と言われたので、人それぞれだと思います。
- Aristarchus
- ベストアンサー率9% (186/1928)
皆同じことで一度は悩みます。生きている時に何を為すべきか、です
お礼
皆一度は悩むと知ると少し安心しました。 今は仕事でいっぱいいっぱいで毎日同じことを繰り返している ような気になっていますが、慣れてきたら他にも何かできないか 考えてみようと思います。
- manmanmann
- ベストアンサー率12% (535/4296)
I am going in search of a great perhaps. 私は偉大なる「もしかして」を探しに行くのだ ラブレーの最期の言葉です。 死後、どうなるかはまだ誰も証明していません。 無限の可能性のはじまりかもしれませんよ。
お礼
誰もわからないことを考えても仕方ないですよね。 回答頂きありがとうございました!
- kngyk
- ベストアンサー率6% (72/1055)
死を考えるということは生について考えることです。 生き方について今考えるときに来ているのだと思います。 どう死にたいかはどう生きるかということです。 考えてみてください。
お礼
どう生きるか.. これもまだまだ考えると長くなりそうです。 ゆっくり仕事や私生活も見直して考えてみようと思います。 回答頂きありがとうございました!
まぁ、そうね。 おっしゃる通り、悩まないためには忙しくするのが一番ですね。 死については散々考えて飽きたって感じかな。 ですから、死という言葉はけっこう軽く使うようになってきました。 死って不幸でしょうか? 死後なんて誰もわからないから不安がるのは仕方ないですけど、不幸とも限らない。 もちろんしあわせかもわからない。 死後の世界を語ってるヤツは詐欺師です。 生きてる間に生きてる人から金を貪ってるだけ。 煩悩の塊。 信用ならない。 ぼくが考えているのはどう死にたいか、です。 それがすなわちどう生きたいかにつながる。 また、死を意識することで、アクティブに生きたいとも思っている。 要するに、死については何もわからないので、人生を豊かにする手段として、死を考えている。 そんなところです。
お礼
お強いですね。 まだまだ、ポジティブには考えられなさそうですが、 私も意識しながら生きていけるようになりたいです。 回答ありがとうございました!
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 >最近、死んだらどうなるんだろう?という疑問が頭から離れません。 確かに「死」は身近なもので、突然死もあれば交通事故でいきなり死んでしまう事もあります。 私などは、何時お迎えがきてもおかしくありません。 >また、死にたくない、このままの状態が続けばなんて思えるという事は 今が幸せだという事だなとも思います。 生きている事が、ただそれだけで幸せなのです。 悩む必要もなく、宗教に頼る必要もなく、今生きている事、元気に学び働ける事、美味しものを食べられる事、死が訪れるまで喜びを持って生きていたいですね。
お礼
>悩む必要もなく、宗教に頼る必要もなく、今生きている事、元気に学び働ける事、美味しものを食べられる事、死が訪れるまで喜びを持って生きていたいですね。 そのように言ってもらえると、何か幸せになるためにしなければ という思いから、少し楽になったような気がします。 自分よりも経験を積んだ方からアドバイスを頂けると 納得するというか...安心感がありますね! 回答ありがとうございました。
- HeyXey
- ベストアンサー率26% (134/497)
50代男性です。自分自身を観察してください。自分自身の認知の仕方を観察してみてください。 わたしたちは通常、「まず何かが先にあって、頭の中である思いに至る」と考えています。自分の外に原因を求めます。今、あなたは「死んだらどうなるんだろう?」が重要だと感じています。その認知がどういう風に膨らんできたのかをメタ認知してみてくださいと僕は言っています。 たぶん最初は小さな疑問だったのでしょう。その“重要度”が上がってきたのはあなたが考える度に、ではないでしょうか。世の中には考える対象が無数にあります。無数の謎、無数の命題、無数の課題があります。 答えを見つけなければ前に進めないと考えるのは間違いです。『今はこう考えている』という仮初めの答えでいいのです。「どう生きるべきか」「自分は何に向いているのか」、簡単に答えは見つからないでしょう。それを見つける過程こそが人生とも言えるでしょう。いくつもの仮説を抱えて生きていくので普通ではないでしょうか。 囚われを生み出したのは外界ではありません。自分が「ある心理的ポジション」に従って思考し行動し選択すると、その心理的ポジションは強化されるという法則があるのです。人は自らが為した行動や選択をどこかで受け入れるものです。怖いから逃げる、すると怖さは増します。ちょっとした恥部を隠す、するとその恥部は重大な瑕疵に思えてきます。これくらいはいいだろうと人を騙す、すると人を騙して要領よくやってもいいんだという心理的ポジションは強化されます。 ある命題の重要度は、その命題が重要だからではなく、頻度と関わった思考時間の長さに比例する、と僕は感じています。 “行動はその背後にある動機を強化し、選択はその背後にある世界観を正当化する” ジョージウエインバーグ(心理学者)
- kurukuru-maru
- ベストアンサー率32% (619/1921)
小学生の高学年くらいから10代はよく考えました。 主には思春期の頃でしょうか。 無になるのかな、とか本当にいろいろと布団な中で考えて何時間も起きていたこともあります。 その一方で子供っぽくたいして考えないで暮らしていた部分もありますが。 こういう考えは人間ならではかもしれません。 成長して長く生きていくといつかは平和に寿命で死ぬのが(死ねるのが)幸せだと気付くようになります。 私は40を過ぎた(後半)ので余計にそう思いますね。 そして生に対して一層の感謝も生まれてきます。 死に対しては一度は考えることかもしれません。 なのでおかしいことではないと思います。 宗教?頼るためなら入らないほうがいいです。 人間が教祖でそしてそこに人間が集まれば教えがどんなに良くても結局は運営ということになります。 そこには都合や私利私欲が生まれるような気がします。 死を恐れずに日々感謝し、人も自分にも大切に生きる、そういうことに意味があると思うほうがいいですよ。 限りあるから尊いのだと思います。 悩みすぎずに肩の力を抜いて今を楽しんでみてください。
お礼
宗教に頼ってしまわないよう気をつけます。 あまり悩まないよう心がけます! 何もかもが永遠にあるならば、 何も大切に出来ないような気がします... 楽しみながらいろいろな経験をすれば考え方も変わるのかなと 思いました! 回答頂きありがとうございました。
- bunyago
- ベストアンサー率40% (179/441)
私が『死』を意識したのは、7歳の時です。 その頃私は、事情が有って 親と離れて暮らしてたのです。 辛くて淋しくて 「死んだら今すぐ会いに来てくれるかな…。」 なんて真剣に3日程考えてたら 死んだら 本当に会えない事に気づき断念しました。(笑) 私も『死』に興味が有ったので 色々知りました。 自殺するとあの世では、逢いたい人には逢えないそうです。 自殺は、自殺した場所で地縛霊になって その場所から離れないそうです。 それを知ってからは、自殺はやっぱりいけない事なんだと思いました。 よく『臨死体験』をした人が 「前に亡くなった身内の人が現われた。」とかいうのを 聞いたことないですか。?! ちゃんと自分の寿命を全うすれば あの世で親に逢えると 私は、思ってます。 そうそう、親子の仲が良ければ良いほど 願えば来世でも逢えるそうですよ。 その時は、現世と違う 兄弟関係だったり 親子逆転だったり 夫婦だったりというのが有るそうです。 『退行催眠』で前世を 知った人の実際のお話です。 親が少しでも長生き出来る様に 親の健康を気遣ってあげるとか 1度親と一緒にお墓参りに行って ご先祖様に 挨拶行くのも良いかもしれませんよ。 私は…『死』は、簡単で 『生』は、難しいものだと思ってます。 百田尚樹さんの小説『影法師』(上下巻)は、 『生』も『死』考えさせられる話です。 機会が有ったら 読んで下さい。(図書館で借りられますよ。)
お礼
実家によく帰るようにしたり お墓参りに行ったり ちゃんと向き合っていきたいと思います。 悩んでる暇があったら本も読んでみますね! 『死』は、簡単で『生』は、難しい というのは、わかる気がしました。 今回はご回答頂きありがとうございました。
- potkurin
- ベストアンサー率24% (33/134)
こんばんは。 二十代のかたですかね? 死について考えることは何も変ではありません。 むしろ健全です。 おっしゃるとおり人はいつ死ぬかわからず、またいつかは死ぬのですから。 死について考えることは、生きる意味を考えることでもありますからね。 以下に私の考えを書きます。 (1)人生とは、魂に見合った苦しみを味わうための、魂の修業の場である。 よって産まれつき障害をもった方たち、大変な苦難を味わう方たちは より優れた魂をお持ちの方たちだと思います。 (2)死んだ後には会いたい人達に魂で会える。 ある日、夢枕になくなった父が立ちまして微笑んでいました。 何も言葉は交わしませんでしたが、 生きているうちに頑張りなさい、死んだら会えるから、 という思いが伝わってきました。 何故かはわかりません。 (3)死とは、次の生に自らの魂を繋ぐための儀式である。 とある大学の先生が前世の研究をされてまして。 経営学の先生が前世の研究をしているのか、と驚いたものです。 飯田史彦先生、だったかな。 結論を言うと、あるそうですよ、前世なるものが。 ということは生まれ変わりもある、ということでしょうか。 必ずしも私と同じ考えにならなくてもOKです。 私とあなたは違う人間なのですから。 何かしらヒントは得られれば幸いです。 ちなみに私は宗教家でも哲学者でもありません。 その辺にたくさんいる、おじさんサラリーマンです。 にしても、若者が正しく悩む姿をみると嬉しくなりますね。 でわでわ
お礼
20代です。 私よりもはるかに経験されている方から 回答を頂けてうれしいです。 同じ会社の方の奥さんが前世の記憶があるといっていました... 希望としては、前世とかあの世とかあるんだと思いたいですが、 何もなくなってしまう恐怖の方がまだ勝ります。 でも今生きているうち頑張らないと、頑張るときはないですよね!! 飯田史彦先生についても少し調べてみようと思います。 今回はヒントを下さりありがとうございました。
お礼
そのようなさっぱりした考え方のかたもいらっしゃるんですね! 驚きました... 私も深く考えないように心がけます。