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テレパシーができるようになっても文学はある?
- テレパシーが可能になった場合、文章力がなくても伝えたいことが伝えられるため、文学の存在意義が問われる。
- 現在のように自然の美しさを伝える手段が進化することで、文学が置き換えられる可能性がある。
- しかし、文学は言葉だけでなく、表現の力や物語性を持つため、テレパシーが普及しても存続する可能性がある。
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そんなことより、お体大丈夫ですか?ご自愛ください。 文学はなくならないけど、文がなくなる。 そう、思います。 心に思ったことが、思うだけで相手に伝わるのですから メールや手紙の必要はなく、文がなくなる。 けれど、受け取って側は そのテレパシーを理解する必要が、あります。 それには、文学は必要で もっとより理解したい・・・と思えばやっぱり文学しないと 納得いく理解が、できません。 人間は欲張りだから、すでにある文学を捨ててまで テレパシーに頼らない・・・かな?と思います。 テレパシーも文学も2つとも自分のものにしたい・・・というか。 それと このテレパシーは、妻と私のテレパシーとは違うものですよね。 妻の機嫌が悪いから、話しかけるなよテレパシーを感じる時が たまにあるんですけど、妻とは違うテレパシーを理解するには ある程度文学が必要だろう・・・そう、思いました。
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- Postizos
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「テレパシー芸術」のような物が発達するでしょうけれど文学は残るでしょう。だれもがスマホで独り言のような写真をアップする世の中になっても和歌が無くなっていないように。 テレビが発達しても文学は残っていることからも類推することができると思います。 テレパシー芸術ができるとしたらどういう物になるかなあという想像のほうが思考実験としては興味があります。演劇や演奏、ダンス・舞踏のようなライブパフォーマンスかなあと思いますが、美術のようなことも可能ですよね。
お礼
テレパシー芸術ですか、どんなものなんでしょうね。 >テレビが発達しても文学は残っていることからも類推することができると思います。 まあ、テレビの楽しさと文章の楽しさは別物ですからね。 そうなると、やっぱりテレパシーができる未来でも文学はのこりそうですね。 >テレパシー芸術ができるとしたらどういう物になるかなあという想像のほうが思考実験としては興味があります もしかして、心が清らかじゃないと芸術ができないみたいな日が来ますかね、、、、。 どうなるのか興味深いです。 ご回答ありがとうございました。
- kuro804
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こんばんは 年に一度くらい 有名な文学者の草稿が発見された 等と聞くのですが 何度も書き直したりと、推敲を重ねたあとが歴然と見受けられます。 おそらく一時の感情は言葉でも伝えられますが 深く熟慮された世界をテレパシーで伝えるにはまるで写経のような煩わしさと時間が必要でしょう。 推敲を重ねた内容が例えば恋文が(古い!)30秒で読まれたとして、 それを出まかせの推敲なしでテレパシーで伝えるならば、おそらく 彼女は編み物でもしながらでないと とても我慢出来ないくらいの 無駄と 言い直し 言葉選択ミスなど の聞き流しに備えなければならないと思います。 つまり、落語家とラジオの野球の実況中継的 才能が必要となり、文学者は確かに育たなくなります。 不要ではなく育たないのです。 想像したくはないのですが ぴーちくぱーちく的内容のテレパシーが飛び交い まさに烏合の衆になりはてそうです。 昔 猿の惑星で人が放射能の影響で進化して 相手を見つめてうなずく様なしぐさでテレパシーを使う場面がありましたが どうでしょうかね? むしろ、SF的に頭の中の考えが超小型の高性能コンピュータにて瞬時に整理整頓され論理的、或いは文学的表現に処理されて 今はやりのウエラブル? でのやりとりが面白そうですね。 これが実現出来れば 小説家も一度の受賞に甘んじていけなくなります。
お礼
そうですよね。 文豪や和歌の達人と同じように物を見てるわけではありませんから、テレパシーで伝えられるからと言ってそこら辺をおろそかにしたら、ピーチクパーチクになってしまいますよね。 >つまり、落語家とラジオの野球の実況中継的 才能が必要となり、 確かに、ヘタクソな動画は見ること自体が苦痛なのに、それが、テレパシーともなったら、普通に交信したら、聞いたり見たりするのに耐え難い苦痛かも知れませんね。 もしも、科学がそこまで進歩したら、日常生活に文学的芸術的才能が必要になってきそうですね。 深い考察ありがとうございます。
- izumi044
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なくならないのではないでしょうか。 目からの刺激、耳からの刺激、皮膚からの刺激、香りの刺激。 五感で感じるものを脳内で完全に再現できるからこそ、アナログ懐古な世界を楽しむ方が少なからず現れるだろうと思います。 また、他者との感覚が完全にシンクロできるということで、自分と他者との境界線が低くなる怖さもあります。 そういった意味で、完全に脳内のみでの情報のやりとりをすることに規制がかかる可能性もあるような気はします。 個人的な楽しみとしては、完全に脳内からの情報をシャットダウンした状態で文字を読み、その後、脳内でそれを感じることで作者と自分の感覚の違いを感じてみたいなあとは思います。
お礼
確かに、自分と他者が同じ事を感じられたら、ちょっと気味が悪いかもですね。 > 個人的な楽しみとしては~、作者と自分の感覚の違いを感じてみたいなあとは思います。 こういう答え合わせがあったら、国語の授業が楽しかったでしょうね~。 妄想世界につきあっていただきありがとうございます。
- バグース(@bagus3)
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人間は、言葉を使って考え、考えたことを言葉で 他者に伝えるんです。言葉なしで精神活動はできません。 たとえば「それはあなたの義務だ」と伝えるのに 「それ」「あなた」「義務」という言葉を使わずに 映像や音響で伝えられますか。 まして脳波なんて。脳波は、脳が活動した時に出す電気であって、 考えている内容を表しているんじゃないんです。
お礼
どうなんでしょうね? 言葉なしでは本当に精神活動できないのでしょうか? 脳波はどこまでの内容を表しているのか? 妄想世界での仮定の話なので、実際にどうなのかはまるで知りません。 ご回答ありがとうございました。
お礼
お心遣いありがとうございます。 そうですね、芸術という形で文学は残ってもどうでもいい文章は消えてしまうのかも知れません。 高度な意思伝達にはやはり、文学の力が必要になるのかもしれません。 結局「思考と言語の関係」がどこまであるのかってことですよね。 >このテレパシーは、妻と私のテレパシーとは違うものですよね。 まだ科学がその水準まで達していないのに、時々感じますね、テレパシー。 ご回答ありがとうございました。