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パソコン・情報社会 黎明期笑い話
人類史において、私たちはコンピュータの発達による情報化社会が始まった時代の最初の世代と言えるでしょう。コンピュータが一部マニアのツールではなく、一般的に誰もが使うようになったのはここ20年くらいでしょうか。 その過程には多くのトラブルがあったかと思います。パソコンやインターネットなどの黎明期笑い話を教えてください。 ・・・私は知人に「ウチのヤフーが壊れたから治してくれ」と言われて困りましたw
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うっかり印刷とクリックしたら、出てくる出てくる 同じものが100枚くらい。 泣きそうになって慌てて停止を押しても何故か止まらない。 マウスを逆に持って大変な思いをしてクリックしてみたり。 20代の社員が誰もパソコンを使えないので、私が(一番年長)独学で毎日朝まで書類作成に奮闘。 せっかく作った書類が突然消えてしまってやり直し。 ある時使ってもいないフォルダに入っているのを見つけたり そういえば あれは20年くらい前でした。 あの時もおばさんでしたが、もうおばあさんになってしまいましたわ。 でもパソコン大好きです。
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- 雪中庵(@psytex)
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20年ほど前、博物館の学芸員をやっていたので、 Mac(クアドラとか)を使ってフォトショップを やってましたが、すぐ爆弾マーク(フリーズ)が 出て、作業がパーになって泣きました。 当時は、パソコンはフリーズするもの、というのが 常識でしたね。
お礼
私もMac、フォトショ使いですが、もうちょっと後からですね~w フリーズはしなくなったけど、アプリケーションが突然落ちるのは今でもありますね。いまだに作業の節々で「コマンド+S」は鉄則ですw ただ、最近のMacはハードディスクのデフラグとかメンテナンスがほとんど不要になりました。クラッシュした時や以前の状態に戻したい時は「time machine」なんて便利な機能があって、かなり助けられてますw フォトショ絡みの笑い話ですが、昔、DTPの作業で切り抜き処理する画像の原稿写真を、お客さんが実際にハサミで切り抜いてくる事が多くて困りましたw ご回答ありがとうございました。
私が初めてパソコンと言う物に振れたのは友人宅に有った PC-8801mk-IIと言うNECがリリースしたパソコンでした 一応ゲームをする際には、データーレコーダーと呼ばれる パソコン用のカセットデッキにカセットテープを入れて ロードして遊ぶのですが、その時間の長い事… 普通のゲームで7分位掛かりました(読込速度は1200bps) その後、ソイツはフロッピーディスクドライブを購入したのですが その読込速度の速さに目から鱗が落ちました そんな私も高校に入学すると親から進学祝いで シャープのX-1Fと言うパソコンを買って貰いました プログラムの読込はやっぱりカセットテープでしたが X-1は2700bpsでしたので、PC-8801mk-IIよりか速かったです 当時のパソコン勢力図は NEC、シャープ、富士通の通称御三家が大きく幅を利かせており その生存競争に敗れたメーカーは、パソコン業界から撤退したり MSX規格に参入したりしていました 今でこそWindowでどのマシンでもソフトは共通ですが 当時は、メーカーが違えば、ソフトも別なので ある機種にあるゲームがリリースされると、自分の持っている機種に そのゲームが移植されないかと期待して待っていたりもしました 当時としてはPC88-SR以降にまずリリースされ その後にX-1やFM77に移植されると言う流れでした X-1やFM77ユーザーからは、PC-88SR以降シリーズはゲームが早くリリースされて 羨ましいと言えば、PC-88SR以降ユーザーからは 他機種はPC-88SR以降シリーズで不評だった操作形態が 改善されて移植されているから羨ましいと まさに『隣の芝は青い』状態でしたね そんな8ビットパソコンも私が高校を卒業する辺りから、失速し そこから16ビット、32ビットとアッと言う間に切り替わって行き しまいには、Windows95の発売で、それまで独自の展開で発展してきた 日本産のパソコンは、PC/AT互換機の道へシフトしました ちなみに、私が最後に手にした国産パソコンはX-1の後継機のX68000XVI ハードディスクはオプションんで250MBで2万3千円 メモリに至っては2MBで4万円と言う、今の世と比べると値段と容量が桁違いですね (昔はみんなこうだった…) 尚、そのX68Kですが現在も自宅にありますが、数年前に 電源基板のコンデンサが経年劣化によりパンクして、永眠しました もっとも、電源基板を修理すれば、復活はすると思うのですが 今になっては、Windows上でX68Kのエミュレーターが動く訳で 態々復活させる必要が無いと言えばそれまでです 尚、メーカー元のSHARPが2001年にBIOSとシステムファイルを 無償公開していますので、X68Kに限っては エミュレーターは合法です(だから通報しないでね…(^^;)
お礼
同世代ですね。 私はファミリーコンピュータベーシックでBASICを覚えて、親に借金してPC88-ma2ってのを買ってプログラム組んで遊んでました。ファミリーベーシックがプログラム容量たった2KBだったのが、PC88-ma2は1MBもあって驚きました。 ホビー用の8ビット機、上位機種の16ビット機、そんで高校に入ったら32ビット機なんてのがあって、8ビット機ではまともに動かなかったBASICで自作したテトリスがまともに動いて、処理スピードに驚愕しました。 Toshi_mk2さんほど詳しくはないですけど、マシン語も少し手を出したんですよ。しくじると壊してしまう緊張感をよく覚えていますw X68000は友人が持っていて羨ましかった! FMタウンズなんてのもありましたね。その頃からCD-ROM搭載になりましたね。 プログラミングにハマリ過ぎて、社会性を失ってしまう事を怖れてプログラマーの道は辞めたんですけど、デザイナーになって結局Macというコンピュータと再会。今度はハードディスクの話になるけど、容量が2GBもあって面食らいました。あれから15年くらいであっという間に桁が3つも4つも増えてるしw パソコンを買う場所も、市販され始めた当初は大きな文具店、それからパソコン専門店が出来はじめて、今は家電量販店、そしてネット店と移り変わってきましたね。 ご回答ありがとうございました。
- localtombi
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あー、沢山ありますよ。 私が新入社員だった30年くらい前は、まだ「オフコン」と呼んでいたと思います。 当時の画面は文字が緑色で、ブラウン管に保護フィルターをかけないと目がおかしくなりました。 そのオフコンは誰もが使えるものではなく、たったひとりの社員しか使えませんでした。 記録媒体はFDですが、大きさは8インチもありましたね。 会社ではレポートにグラフを入れ込む必要がありましたが、今のようなエクセルはありませんので、グラフ専用の「グラフライター」という製図機のような機械で作っていました。 データを入れるとペンが動いて、下に敷いた紙にグラフを書くというものですが、熱がこもるとペンが小刻みに震えだして動かなくなる症状があって、機械が冷めるまで仕事ができませんでした。 徹夜で3人くらいがグラフを書きたいと思っても、冷めるまでは仕事にならずに困ったことがあります。 インターネットは大分後になってからですが、当時は接続時に“ピーヒョロヒョロ、ガー”というような音がして、一体どこから、どういう原理で聞こえるんだ?と不思議でしたね。
お礼
オフコンですか~。緑色のブラウン管、時代を感じますね~。 昔のコンピュータって、穴空けテープで出力されるのもありませんでした?よく昔のアニメに出てくるやつw 私高校が情報処理科だったんですが、入学体験の時にはパンチカードとテープ記録の大型コンピュータがありましたよ。当時はもうFDが普及してたので面食らいました。入学したときには一新されていてホッとしたけど、相変わらず情報処理の勉強ではパンチカードが出てきてたっけ・・・ グラフライターですか、特種なコンピュータですね。というより機械? マイコン時代はカセットテープでセーブ、ロードしていて、そのときの信号音がピーヒョロヒョロで、初期の院田ネット接続はその名残でしょうか。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
ソフトにもよるけど、印刷の設定って今でも結構小難しいんですよね。 >マウスを逆に持って大変な思いをしてクリックしてみたり。 正しい持ち方を知らなかったということでしょうか、これは笑えるw >せっかく作った書類が突然消えてしまってやり直し。 >ある時使ってもいないフォルダに入っているのを見つけたり 怪奇現象ですね・・・何かの拍子に誤操作で移動してしまったんでしょうか。 >でもパソコン大好きです。 ご年配でもインターネットやメールを使えれば、人生が拡がりますよね。これからもお楽しみくださいw ご回答ありがとうございました。