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思い出や物事の推敲の過程を残したくてしかたがない
今の自分や身の回りの物の知識、思考、経験、状態、いつ出会ったか、いつ出会っていたかなどがいつどこでどのようにしてそこに至ったのかが気になりすぎます。 例えばこの質問文を書いていてもここでこの言葉をこう変えた結果こうなったとか、さらにはこういう考え方はどこの本でいつ読んだものかなどというものであったり、 他にもタイヤがパンクした時にいつどこで何をしたのが原因かや直し方もいつどこで知ったのかまたその過程でどんな風に知ったのかというものです。 推敲の過程を残したいといえば聞こえはいいですがそんな推敲なんて言えたものでもないようなことも多々あります。 今のこの感覚何かに似ているなとかたまに思った時も昔それを体験した時の日記などをみて何月何日何時頃のこれかと確認しています。 旅行やイベントの思い出を書く程度ならいいのですが、 その日思ったことや過程を記録するために日記などにその日起こったことを書いたりメモ帳やツイッターなどに今起こったことを時間つきで鮮明に書いたり、パソコンで開いたページの言葉などが気にとまった時やゲームで新しいアイテムを手に入れた時などにスクリーンショットをとったり、それ以外にも気になったものを写真に撮ったり、レシートを写真に撮ったり、物が傷ついたりしたときなどにも写真を撮ったりなどなどとひどい有様です。 写真やスクリーンショットは便利なものでその時の時間などを記録してくれますし名前をつけれるものではそれに思ったことを短く書けますし日記なども思ったことをより細かく書けます。 ですがここまではただものすごくめんどくさいことをしているだけで済むのですがそれがたまに消えてしまったりすることがあります。 今がそのままの状態で消えないようにとの思いでそうしてるものなのにそれが消えてしまうとものすごく落ち込みます。 こんなことならいっそもうやめてしまおうと思うのですが、昔そうやって残しておいたものをみてしまうとそんな一時の気の迷いでなんで記録を止めてしまったのだろうとまた落ち込んでしまうのでやめるにやめられません。 単純に後であれってなんだっけと気になった時にそうやって残しておいて便利だったこともあったりふと気になった時にバックアップがされていて心強いのですが消えてしまうなどの 悲しいことや大変なことがほとんどです。 物が捨てられない人の感覚と似ているのかもしれませんが私は現物というよりはその過程がだいじです。 もうどうしたらよいのでしょうか?
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