- ベストアンサー
大晦日、お正月の神社のお参り
- 大晦日の夜か元旦に横浜の地元の神社でお参りをする場合、実家に帰ってから地元の神社にお参りはしなくても問題ありません。神道の決まりでは特に制約はありません。
- 横浜市内には住んでいる区内に近い神社に行くのが通常の決まりですが、区外の神社に行っても問題ありません。横浜市内には多くの神社がありますので、自宅からなるべく近い神社を選ぶと良いでしょう。
- 大晦日から三が日のお参りは日本の文化の一環であり、多くの人が行います。自分にとっての意味や価値観に基づいてお参りすることが大切です。実家の氏神様への参拝や地元の神社への参拝など、自身が心から意味を感じるお参り方法を選んでください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
初詣と称して一般の人がお正月に神社にお詣りするようになったのは明治時代半ば以降の習慣です。 >大晦日は毎年の習慣として神社まで行きお賽銭をして お参りをしていました。 これは宮中で行われていた大晦〔おおつごもりと呼ばれる祭事が一般に広まった名残りの習慣です 習慣ですので、地方によってあるいは家庭によってそれぞれ違います >大晦日の夜か元旦に(大晦日の深夜に行こうとおもっています 大晦日の深夜0時を境にしてお詣りするのを二年詣りと呼びました。 地方によっては自宅との間をいたりきたりします。 >実家に帰ってから地元の神社にお参りはしなくてもいいのでしょうか?または、してもしなくても神道の決まりのうえで問題ないのでしょうか? ルールとか決まりとかがないのが日本の神道の特徴です。 あーだこーだと喧しく言いだしたのは明治政府です。 明治政府が勝手に決めた国家神道などいうものは既にありませんので、お気持ち次第でお詣りして下さい。 面倒であればいかれなくても一向に差支えはありません。 来たの来ないのとグズグズいうような神様はいません。 >また、横浜市内の神社に行く場合ですが今住んでいる自宅からなるべく近い神社 (住んでいる区内)に行くのが通常の決まりでしょうか?区外ではダメ? 初詣なることで有名神社にお詣りするようになったのは、鉄道会社の営業戦略がもたらしたものです。 明治時代に初詣の習慣が広まった際に、川崎大師へのお詣り客を集めるのに鉄道会社が宣伝したのがそもそもの始まりです。 今のように鉄道網が発達していませんでしたからテクテク歩く以外に方法がありませんでした。 新年早々出かけていく閑人はいませんでした。 年始まわりのついでに近場の神社へ行っていました。 >氏神様=地元の守り神ですか?には親に連れられて行っていました。 神社はその土地の鎮守として祀られていましたので、鎮守の神様のところで宮中にならって大晦をした習慣の名残りです。 >大晦日~三が日のお参りについて 正月行事は七日までに済ませてしまえ!と言いだしたのは江戸幕府です。 お札を焼いたりするどんど焼きによる出火を警戒して取り締まるためでした。 三が日という習慣も会社勉めなどという形態が普及したあとに出てきた習慣です。 正月行事は三日で止めてさっさと働け!というだけのことです。 お時間があれば小正月(15日)までゆっくり楽しんでください。 本来の松の内は小正月までの間です。 以上ザット説明しましたが新年の行事といいますか祭事はその時代時代に応じて変わってきています。 何分にも風俗習慣ですので、地域色が強く出ています 門松一つにしても地方によってデザインが違います。 飾り付けるものも違います。 お餅も関東と関西では形が違います。 恵方詣りなどというのを大切にするのは関西の風習です。 節分の恵方巻も関西の習慣をコンビニが宣伝して全国版に焼き直しただけです。 バレンタインデーのチョコレートと同じです。 関東では恵方とか方角とかにはほとんどこだわりません。 関東には恵方巻などという代物は20世紀まではありませんでした。 御実家の三重にいかれたらその地区の習慣に従われれば宜しいでしょう。 おそらく子供の頃とは違ってきているでしょうから、旧友に尋ねてみて下さい。 正月早々地方毎の習慣の違いで角を突き合わせてもつまりません。 蛇足 江戸時代までは掛け売りが一般的で、年末に清算していました。 大晦日は掛取りに大忙しで除夜の鐘がなるまで払う払わないの攻防戦が繰り広げられていました。 大晦日定めなき世の定めかな、なんて川柳もありました。 元旦はくたびれ果ててみんな寝ていました。 二日には取引先へ箱入りの扇子を年賀として配って歩きました。 江戸城では元旦は譜代大名全員が将軍に拝謁して祝辞を述べる一大行事の日でした。 外様は二日です。 将軍様も大変です正月早々大広間に座りっぱなしです。 将軍様は正月早々働かされていました。 晴れ着を着て行列を揃えて登城しますので、武家奉公人は大晦日は準備にテンヤワンヤでした。 お殿様がお城から帰られれば後片付けでオオワラワです。 後は御親戚やらなにやらとの年賀訪問のやり取りです。休む暇もありません。 お正月を楽しんでいたのは子供たちだけでした。 歳神様のご加護がありますようお祈りします。 良いお年をお迎えください
その他の回答 (2)
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
まず結論から書きます。 本来の正月行事というのは初詣とは全く関係のない行事です。ですのでこれは省きます。 初詣は幾つ行っても構いません。元日に居る場所の近くの神社で充分ですし、他の神社でも構いません。 氏神様は住んでいる地域の神社になります、その神社が氏子として定めている町内に住んでいればいいのです。 産土神社(うぶすなじんじゃ)があります。これは自分が生まれた土地の氏神様です。 鎮守神社・・これは住んでいる地域を護る神様です。 例えていえば氏神は町内会、鎮守は市町村や区の規模になります。さらにそう鎮守と言って言うならば県単位の規模を守護する神社があります。 崇敬神社・・住んでいるとか生まれたとかに関係なく、自分が尊敬し崇敬する神を祭る神社です。 この典型が稲荷神社や弁天社ですね。自分の土地に社を建てて祭れば崇敬神が氏神にもなりえます。 大きな有名な神社に行くというのは“俄か仕込み”の風が強いですが一種の崇敬神社になります。
お礼
いろいろと規定があるようですね。 近くにそれほど大きな神社(全国的に名の知れた)はありません。 ですから氏神様にお参りすることになるとおもいます。 有り難うございます。
- nitto3
- ベストアンサー率21% (2656/12205)
大晦日には寺で除夜の鐘を搗いて、その足で氏神様、 そのあたりだと鶴ケ岡八幡宮かな、などにお参りします。 特に決められてはいないですから自分でこれからのことを考えて コースを作っておくと、子供たちもあなたのように大人になった時 思い出してくれるでしょう。
お礼
特に決まりはないのですね。 鶴ケ岡は近いですので行こうとおもいます。 どうもありがとう。
お礼
歴史まで掘り下げてルーツまで丁寧に説明頂いて感謝。 明治時代 政府 企業が絡んでいたということは 人工的に作られた行事とも言えますね。 決まりとかがないのが日本の神道の特徴・・・そうとは知りませんでした。 ということですので、例えば大晦日~3日まで何処にも出かけずに 歴史で考えれば1月5日や8日にお参りしても問題ないということですね。 そして地元だろうが遠方だろうがどの神社でもよいということ そう解釈しました。