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自閉症の説明と病気の議論
- 自閉症の説明は難しい課題ですが、脳の発達や機能の障害と関連しています。
- 自閉症を病気とするかどうかは議論があるが、DSMで分類されており、先天的な疾患とされています。
- 社会福祉的な立場では自閉症に障害という言葉は使えないとする考え方もありますが、医療の視点からは受け入れがたいと感じることもあります。
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自閉症の子どもを持つ親です。 立場とか関係無く同じような主張をされる方は居ます。その為に子どもに取って辛い状態に成っている話しも聞きます。 先天的な物は病気ではないというのなら遺伝的な問題で病を持っている人達はどうなんだろうな。病気じゃないからと放置すればどうなるかな?と思いますが。 その方は宗教関係者かもしれませんね。宗教的な考えかもしれません。新聞とかに載っている怪しい本が有るでしょう?あのような本を読んでいるのかもしれません。そういった本に書かれている事例はたまたまうまくいった事例だけで、怪しいとか駄目だなと思った人は継続して診療に行きませんからね。 思い込みの激しい人だとどんなに説明しても理解しませんし、しようとしません。 何もしないで居る事例と、何かを行って良くなった事例とか多く紹介する必要が有るでしょうね。私自身、発達障害を受け入れて、学校などと協力して子どもが過ごしやすく、そして社会に出る事も含めて対策とか取れています。でも、否定されるとそういったサポートが無く大人になっても無い状態に陥りますからね。自分の理念とか考え方より、相手のことを考えてどれだけサポートが出来るか。そのサポートを受けるためには症状とか病名が必要なんだと説明するのも良いかもしれませんね。
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- suzuko
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支援学校教員です。 社会福祉学的にも「間違っている」と思います。 自閉症が「障がいでない」のならば、社会福祉的に言えば「支援する必要のない状態」となります。 その女性というか、一部の「偏った考え方」の人の意見でしょう。自動筆記など。 ただ、そう言った方たちを「納得」させるのは困難ではないでしょうか? 実際、「障がい」は「病気ではない」でしょう。「病気」は「進行中の状態」であって、「障がい」は「進行が停止した、または、停滞している状態」でしょうから。 そして、どちらも「日常生活に困る」から「支援が必要」なのだとは思います。 そう言いう意味では「誰でも生きていれば、必ず障がいを持つ状態になる」とは言えるかと… それが「早い」か「遅い」かの違いがあるだけで、と。 私見です。
お礼
現場からのご意見、大変にありがたく存じます。 システム面から考えれば、「支援が必要か否か」というのは非常に重要な問題ですね。 現状、個人の主義・主張をどこまで反映できるか、というところで考える必要があるのだなぁ、と思います。 障がいという言葉一つでも、単純にDisabilityのみで考えていくのか、ICFのもっと幅広い範囲まで考えていくのかで随分変わりますね。 問題はこういったことが世間的にも曖昧なことで……。 私達医療者からしますと、「障害=停滞」かと言われると、リハビリの側面から否と言いたいところもあるのですが、でも支援する立場で考えてみると納得する部分もあり……。 難しい問題だと思います。
- hanhangege
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その方だけがそうおっしゃるのではないですか? 先天的なら障害ではない、ということはありえませんよね。 生まれつき視力が弱い、脚がない、手がない… 中途障害ゆえの障害以外の障害もたくさんあります。 もちろん、障害という社会的な区分をしなければ すべて個性、個人差、性質、特性、となると思います。 しかし社会で支援をうけたり、配慮をうけるためには「障害」という区分が必要で それは「自力で社会生活をしていく上で困難がある」「そこに障害がある」ということですよね。 病気、というのは違うとは思いますが…。 その方が当事者の用にも思えますね、そのため否定したいとか。 自分が社会福祉を学んだ時に「本来は障害ではないのだ、生まれつきの違いだ」ということで それが強くインプットされているのかもしれません。 病気ではないが障害ですよね。いや、先天性の病気というのも実際は存在しますが…。 医療のフォローをうけないと困難があれば病気ではないですか? 脳腫瘍や、心中隔欠損は先天性なら病気ではないと? では保険適用せずに手術も治療もするのでしょうか…。 そんなことはありませんね。 そりゃIQも75と76で支援が線引きされたりと、不都合なこともありますが…。 それでも障害としていますね。 大学の先生などにはいろんな思想の方がいますから 障害という定義、区分は必要ない、という先生に教わり、それに強く傾いた学生さんなのでは… 海外でも福祉に置いて障害という区分を定義しないところもあり つまり、個々のニーズを支援すべきという考えなのかも知れません。 もしくは、ありのままにみんな同じコミュニティで当たり前に生活すべきと言う 区別や合理的な必要性なども差別ととらえる 極端な平等主義の先生に講義を受けたのかも知れませんし…。 個人的に福祉や社会学や法律関係の先生はその方の思想主義が強く出るので…割と極端な論もあります。 お話の前に言葉の、この場面で使われる定義、日本での現時点での 社会福祉制度や医療上、法律上での定義や条件などを最初に説明して 今日のこの場ではこのような前提でお話しします ということで線を引いてしまってはいかがでしょうか。 障害も病気も、どう定義するか、で違ってしまいますが そこが違う角度で切り込まれても話は進まないので…。 その方以外の他の方も皆そのような考えなのでしょうか? そしてまた、その方とお会いする機会が今後もあるなら 一度その方の薦める著書など聞いて読んでみるとまた、主張の意味がわかるかも知れません。
お礼
回答ありがとうございます。 「話の前に定義づけをする」そうなんですよね……。 これが非常に大事なことだと私も思います。 個人の思想と一般的な定義とは、必ずしも一致しないものだと痛感しました。
お礼
心中お察しいたします。 障害を持つお子さんと親御さんとの関係は本当に様々だと、私も日頃から思っております。 そしてうまくいっていない家庭を見ると、失礼ですが、これはやはり親御さんの心理面の影響が大きいと思います。 問題なのは、現実的な社会のシステムに、個人の思想をどう適応させていくかという所なのでしょうね。我々としてもできる限りサポートしていきたいとは思うのですが……。 ご回答ありがとうございました。